第12話 思考道中、暗夜に嗤う。2/4


「イミト様、クレア様ぁ! ただいま戻りました、です!」


 そして、覆面のセティスを背中に抱えてデュエラが彼らの下へ、かしずくように帰還する。またも空から飛び降りてきた格好である。


「おう。問題は無かったみたいだな」


「はい、魔物は特に見当たらなかったのです、ます」


 さして驚くことも無く、チーズの入ったセティスの小鍋をさじで掻き回しながらデュエラへと振り向くと、背中からすべるようにセティスが地に堕ちる。手を地に突けた様子から今度は気を失ってはいないようだ。


「セティス……も元気そうだな」


「……この娘、頭がおかしい。まさか、あんな速度で山を一つ越えるとは普通思わない」


「そりゃ災難だったな、それで乗り物は見つかったのか?」


「ん……それは抜かりない」


 嘆くようなセティスの満身創痍まんしんそういを尻目に淡々と会話を交わすイミトであったが、



『聞いたかクレア。』

 『うむ。我らが水源を見つけられなかった訳よな、山一つ向こうにあったとは』


 心内では、クレアとそんな会話をしていた。正直、クレアとイミトは『デュエラ・マール・メデュニカ』という少女の潜在能力を未だ計れずに居るのだ。凶悪な魔物ひしめく森の中、独り生きてきた少女は天真爛漫てんしんらんまんにして本当の無邪気——クレアやイミトとは正反対に位置するような生物である。


「念話は止めて。感覚が狂う」

「?」


 そして何より、無自覚なのだ。彼女の自らの異端さに。不思議そうに首をかしげるデュエラに、セティスにクレームを入れられた二人は呆れて共に息を吐く。


「風に当たって寒かったろ、直ぐに紅茶をれてやるから少し待ってろ」


 けれどデュエラにそれを上手く伝えられる術がない。クレアもイミトも自身の異常さを自覚しているし、純朴な彼女にお前も化け物だなどと遠回しに言うことも些かはばかられることであった。


 故に、はぐらかすようにイミトは焚火で温めていたセティスの道具であるヤカンを取り上げて、紅茶のティーポットに湯をそそぎ始めて。


「それ、私の……いや、私はコーフィーが良い」


 当然、好き勝手に自分の道具を使われ、セティスにも思う所があったようだが彼女はそれをグッと飲み込み、せめてものあらがいにとイミトへ注文を付けたのだろう。


「豆からかなきゃいけないから時間が掛かるだろ。今日は紅茶にしとけよ」


「ん……わかった」


 しかし、あくまでも我を通し尽くすイミト。掌に黒い箱を作り出し、湯をそそいだ丸いティーポットを中に収納しながら傍らに置いた。これが後に味と薫りに違いをもたらす『ジャンピング』という技術である。


「貴様のような強盗は初めて見たぞ、イミトよ……我が物顔で開き直りもはなはだしいな」


 流石のクレアも、その豪胆さとセティスに対する無礼に同情を禁じえなかったようで。いさめるような呆れ顔でイミトを見上げて。


「いやいや馬鹿を言いやがる、食い物に関しての見返りは後でキッチリ払うつもりだ。見損なうなよ」


 集まる女子三人の視線。何処かに逃げ場は無いかと目を泳がし、そこで彼は若干の後ろめたさを激しく露にした。


 そして斜め上を見上げ、鼻頭を少し掻きながらの一考の後、


「取り敢えず、そうだな。飯食おうぜ、チーズも良い感じになった」


 話を有耶無耶、チーズの小鍋に手を伸ばして黒い匙で粘着質の液体を持ち上げて周囲に魅せつけたイミト。


「うぅー、謎のドロドロなのです……それを肉に掛けるのですかイミト様」


 すると、興味半分、恐怖半分のデュエラがイミトの下へ這いずるように近づいて。イミトが胸元の谷間を凝視したのは言うまでも無い。


 が、

「ああ。それからセティス、この胡椒、少し貰っても良いか」


 彼は直ぐに我に返り、平静を装いデュエラへ小鍋を手渡して次に胡椒の入った高級な小瓶を手にセティスの注意を引く。


「! それは、とても高かったやつ……でも、良い。あまり好きじゃないから」


 今度は覆面のセティスがイミトの下に這いずってきた。やはりイミトの推測通り、胡椒というものはこの世界のこの時代でも高級品であったようで、彼女にとって入手した思い出と共に相当に名残惜しかったに違いない。


 それでも、僅かな思慮しりょの後にイミトに好き放題されることを良しとし、先程の紅茶の件も含めて直ぐに諦めたのは何らかの思惑があってのことなのだろう。


あらく砕いて粉にする。チーズに混ぜるんだ」


「……謎」


 無論、それをクレアもイミトも知っていての振る舞いなのかもしれない。一切悪びれる様子も無くイミトは黒い器を魔力で創り、胡椒を目分量で少しそそぎ言葉の通り、磨り潰し始めるのだ。クレアは興味深げに彼らの光景をただ眺めていた。


「あ。あのイミト様! す、少し食べてみても良いので御座いますでしょうか!」


 一方、チーズの小鍋を受け取り、中の液体が気になって仕方なかった様子で耐えられずに声を上げたのはデュエラだった。


「いいぞ。ていうか最初は胡椒の入ってない方を漬けて食べ欲しいから、むしろ食べてくれよ。肉も新しいのが焼けてるだろ?」


「は、はいなのです!」

 「私も食べる」


 そんな彼女にイミトが指示を出すと、デュエラに続いて自らの覆面を慌てて半分剥ぎ取ったセティスも焚火近くの肉の串焼きに手を伸ばす。それぞれ匙を用いて肉にドロリと黄金色のチーズを掛けるに至ると、彼女達は直ぐに頬張ろうとした。


 けれど、

「「あっつい‼」」


「はは。熱いからな、少し息を吹きかけて冷ませよ」


 食すことをはばむ出来立ての熱、二人の少女の反応に対してイミトはお約束のように笑った。そんなイミトの助言を受けて、各々、口元の湯気が息の形を表していく。


 そして——、

「「……んんーーー⁉」」


 ごりり、胡椒を砕くイミトは再び笑みを浮かべた。


「なにこれ……凄い。こんなチーザは初めて食べる」


「いや、お前が持ってたもんだろ。少し味と香りが薄かったから塩と香草を足しただけだぜ?」


 顔を失った状況の中にあろうと感極めた様子が伝わってくるセティスへ向けて滲む呆れ笑い、胡椒の器を傍らに置くイミト。


「美味しいので御座います、です! 口一杯にチーズというものの不思議な香りが広がってなんだか凄いのです、ます」


「そりゃよかったよ」


 デュエラの純朴な感動を尻目に、彼もまた串焼きの肉に手を伸ばし、


「……」


 覚悟しろと見せつける様にクレアの眼前へ串を迂回うかいさせつつ口に運ぶ。きっと、チーズの熱を冷ます意味合いもあったのだろう。


 彼は、苦も無くそれにかじり付いた。


「——こ、これは‼」


 すると、やはりクレアが先に慟哭した。


「真っ先に広がるのはチーズとやらの見た目通りの不可思議で、粘り気のある味。その謎深い風味広がる中で、肉の汁と香草がたわむれるが如く味をおどらせておる……」


「なるほど、これは……愉快、かもしれぬ」


 説々と饒舌じょうぜつに語られゆく感想、口をもぐもぐする一行の視線の先はクレアの機嫌を如実に表す白と黒の髪の波打つ様である。


「相変わらず凄い表現するよな……舌を巻くぜ」


 イミトは、自分が感想を言うまでも無いなと、そう言った。


「イミト様、イミト様‼ そちらを使うと、これとどう違うので御座いますか!」


 そして言う間もなくデュエラが好奇心を満ち満ちさせる。彼女の黄金の視線の先には粉になった黒胡椒の器、それからワクワクとイミトの顔を見上げて。


「食べりゃわかるさ。少し混ぜてっと……ん、食べて良いぞ。口に合うかは分からん」


「ふふーん。楽しみなのです、ます」


 デュエラ・マール・メデュニカの冒険心に敬意を払う不敵な笑み、イミトは粉になった黒胡椒をチーズの小鍋に流し込み少し匙で掻き回して調理を終える。


「私も食べたい」

「はい、セティス様からどうぞ」


「イミト、貴様もはよう食さぬか。愚図グズめ」

「酷い言い様だな。はいはい」


 今度は学び、手順は洗練。それぞれが自らの肉に黒胡椒チーズをトロリと掛け、熱を冷ます為に息を吹きかけた。


「いただききます」


 起点は、イミトの小さな掛け声である。


「……、……、……」


 一斉に食べ、味に集中している事による沈黙。黒胡椒の効果は、未だ見えずに。


「「「んんんーーーーー‼」」」


 しかし、表するなら衝撃であった。唐突にその存在が内々で暴れ出したように体を反応させたのはイミト以外の三者。


「なんぞ……淡く不可思議だったチーズの味が形を成しおった。胡椒とは、ここまで攻撃的であったか。胡椒の味に触発され全ての味が複雑に絡まり、暴れ回っておる」


「美味しい、美味しいのですー‼」

「辛さが後を引く……なるほど、こんな使い方をするものだったなんて」


 クレア、デュエラ、セティスは順を追って感想を口にする。間を置かない事が、彼女達の溢れ出る感動を表しているのだろう。


「ん……セティスは料理好きなんじゃないのか? 調味料のそろえ方からして、てっきりそうだと思ってたんだが」


 イミト自身も満足の行く出来だったようで、セティスの気になった言葉に反応を示しながら、もう一口を誰に言われるまでも無く口にして。


「珍しい調味料の薫りをぐのが好きなだけ、まだ料理はあまり得意じゃない」


「紅茶、貰ってもいい? 喉が渇く」


「ああ、そろそろ良いか。さっぱりした冷えた緑茶とかの方が合いそうだけどな」


 むしゃむしゃと一心不乱に食事に夢中のデュエラを他所に会話は進む。イミトは黒い箱の中で蒸していたティーポットを取り出し、カップに注ぐ。それがジャンピングという、ひと手間であるのだ。


「……⁉ これ、本当に私の紅茶?」


 紅茶を静かにすするセティスの再びの驚愕。彼女は覆面の表をイミトに向け、驚きを露に。


「何なのですか、それは」


 それにイミトより先に反応したのはデュエラだった。森で独り暮らしていた少女は、もはや食というものの虜なのであろう。


「紅茶って飲み物だ。茶葉を乾燥させてから味や香りをお湯や水に溶かし出す、まあ料理だな」


「良い質の茶葉を使うのが基本だが、質が悪くてもれ方ひとつで味が全然変わるからな」


 そんなデュエラにも紅茶のカップを手渡し、セティスの問いにも答えるイミト。


「ああ……ふぁー……暖かくて優しい薫りなのですぅ」


「んん、イミトよ」

「分かってるよ、今すぐ飲むさ」


 そして、食を知らなかった彼女もまた、もはやとりこであるのだろう。せきばらいで暗にイミトに要求を伝えるクレア・デュラニウス。イミトは最後に自分の分の紅茶を注ぎ、一段落着いたように息を吐いて紅茶を啜る。


「ほう……なるほど、色の付いた水などに何をたかぶるかと、かつてはそう思っておったものだが初めて理解出来た気がする」


 「そりゃ何よりで……気をんだ甲斐があるってもんだよ」


 腹が満たされていく中で、イミトは心も満たされていく感覚を味わっていた。

 ——。

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