第8話 誰が為に振る舞うか。3/4


「じゃあ、私はお先に——はぁ……良い香り」


「‼ んんんー‼」


 そんな彼らのやり取りを確認したミリスは構わずにマツタケを箸で掴み、口に運んだそれに感動大きく舌鼓したつづみを打つ。


「たまんないわ、コレ‼ 一気飲みしちゃおー♪」


 それから彼女は独り、堪らなくゴキゲンに枡の中の酒をおどらせて愛しく口づけ。ゴクリ、ごくりと喉を鳴らし心の渇きを欲望のままに満たすかの如く流し込み、


「……ふぅ。シ・ア・ワ・セ」


 恍惚と頬に手を添えて、満足げに語らう。まさにが——そこにはあった。


「なんというアホ面よ……やはり酒など飲むものでは無いな」


 しかし、クレアにはそうは見えない。明らかな依存症の兆候、ミリスの無様ぶざまを目撃した彼女の感想はただひたすらに『』その二文字である。


「デュエラ。貴様も食べよ、どのみち我は焼き立てが好かん」


 クレアは、そんな感染しかねない病気からデュエラを守るべくますの中にこぼれていた酒に手を伸ばすミリスから顔を逸らして食事を勧めた。


 すると、

「は、はい……なのです」

 「あ……え、えっと」


 まずデュエラは緊張感を持った。ミリスの許可なく食べて良いのかという配慮の中で、クレアの視線に急かされる感覚で葛藤かっとうしつつ、用意されていた箸をてのひらで掴む。


 しかしながら、デュエラは箸というものを目にするのが初めてで、ミリスの真似をしてみようかとミリスの箸使いを伺えど、馴染みのない動かし方に上手く指が動かない。そうしている内にデュエラの視線に気が付いたミリスと目が合い——、


「ああ……箸は難しいかしら、なんなら手掴みでもいいわよ」


 デュエラの困惑を悟り、ミリスは呆れ気味に片手間で微笑んでそう言った。何故なら彼女は片手に持つ枡の中身に未だ取り憑かれ、心を惹かれ続ける御執心の様相。デュエラへ気を遣ういとまは無いようである。


 そんな折の事、


「馬鹿言ってんじゃねぇよ。フォークもあるぞ。持ってきた」


 ミリスの心配こころくばりなき発言を諫めたのは、厨房ちゅうぼうの作業を一段落終えたイミトであった。


「あら、気が利くわね……それは?」


「マツタケと蟹と卵のあんかけ豆腐。前にネットで見掛けて作りたかったのを贅沢にしてみた」


 片手のひらで持つトレーには湯気立つ黄金の料理。油で揚げた豆腐にかかる黄金のあんには、白い蟹の身と炒められたであろう幾つかの種類の野菜がいろどりえていて。


 それらをテーブルに置き、別の取り皿と料理を取り分けるためのレンゲを並べながら説明するイミト。


「えー、凄い美味しそう‼」


 すると酒好きが枡酒を置く程の勢いで、楽しげに目を見開いたミリスが身を乗り出して両手を合わせ、感動を露に。


「出来立ては熱すぎるから気を付けてくれよ」


 それをいなしながら、イミトが告げた。そして忘れない内にと振り返り、背後から麦酒と漢字で書くビールの入った機械が乗った荷台を押してきたアルキラルに向け、


「アルキラル、デュエラにフォークとスプーンを」

「……はい」


 若干の不敵な笑み。冷ややかな顔でありながら、アルキラルは少しの不愉快を滲ませる返事。そして淡々とデュエラの下へ向かっては、椅子の横から両手で二本の銀の道具を丁寧にマツタケの乗った取り皿の横に添える。


 アルキラル——、彼女は終始、デュエラとは決して目を合わせなかった。理由はきっと、デュエラが呪われたメデューサだからでは無いのだろう。


「で、クレア。何の用だ」


 アルキラルの様子を伺いつつ、イミトは話を進める。その時には既に分かってはいたが、えての知らぬふり。


「……貴様も腹が減っておろうと、わざわざ気を利かせてやったのよ」


「はは、そりゃ有難いね。良い感じの焼き具合だし」


 テーブルに乗るクレアの後ろに回り、そこにあった椅子の位置を軽くずらす。次にはクレアの言葉を真に受けた振りで腰を落として首を天井のない上へと向けた。


 そこからある事を思い出した彼は、再びアルキラルへと目を移す。


「ああ、ウーロン茶も持ってきた。紅茶より、そっちの方が合うだろしな」


 その目で語るのは、アルキラルに対する次なる指示。しかし、既にそれがある場所に先回りしていた彼女を見て、イミトは首を項垂うなだれさせた先へ悪辣な笑みを送った。


「おぎしましょう。メデューサの少女」


「あ、は、はい‼ ありがとう、なのです、ます‼」


 ようやくといった会話。心をどこに置くかソワソワするデュエラの傍らに、ワイングラスをそっと置き、ボトルに入った液体を注ぐ。


「……さて、じゃあ食べますか」


 これ以上は不粋ぶすいだな、とイミトは悟った。そして何よりクレアの白黒髪が僅かに波立っているのに気付き、【自分】の事に集中しようと改める。


「頂きます、なのです‼」


 イミトが皿を手に取ると、デュエラもフォークに手を伸ばし不器用に持って食事を始める。


 ——ひとくち。


「「んんんー‼」」


 しなびれもせず、歯を押し返そうとするほど良い食感の後に訪れる薫りは強い焦がし醤油の香りにも負けず、よき森の記憶を閉じ込めた生命を感じさせる薫り。


 マツタケと醤油の味が噛む度に交互に波打ち、不思議と嫌気のしない炭の香りと融合しつつ喉の奥にあるだろう心へと流れ去っていく。


「美味いな……マツタケは香りを食う食べ物ってのが、良く分かる。焦げた醤油も炭火の風味も、かなり良い感じだ」


 そんな余韻に浸りながら、イミトはただマツタケを眺める。懐かしい、久方ぶりの気さえする感覚を人は郷愁きょうしゅうと呼ぶのだろう。


「お、美味しいで御座います、ですイミト様‼」


「ふふふ、とても楽しげね」


 イミトもデュエラに微笑みながら、ふと自らの過去を思い返す。横で酒を飲むミリスが酒のツマミ代わりに嗤ったが、それに嫌味で返すのもはばかられて。彼は何も言わぬまま、もう一口マツタケを口に運び、現実を楽しもうとした。


 しかし、である。


「……」

「ん。どうしたクレア? 口に合わなかったか?」


 二口目を食べてさえ、クレアの反応が無い事に気付く。これまで、塩にすらグルメリポートさながらの反応を見せてきた彼女が。


 淡白でありながら不安げなイミトの問いに、クレアはびくりと驚いた後頭部を見せた。心を何処かから引き戻し、我に返ったのだろう。振り返らぬまま頭を振る彼女は答える。


「いや……たいした事では無い。本当に旨いと、そう思っただけよ」


「そうか——なら、良かった」


 きっと、嘘では無いのだろう。そう椅子に寄り掛かる傍らでイミトは微笑んだ。


 深く静かに息を吸い、双眸そうぼうを流れ星の舞う紺碧の空へと向けてクレアの表情を想像しながら現実を噛むように。


「俺は、向こうでまだやる事あるから行くけど、味覚は繋いどけよ。食べながら他の物を作ってくる」


 そして、一切れのマツタケを食し終わると「よっこらいしょ」と立ち上がって。


「うむ、分かった。行ってくるがよい」


 ついでの如く素知らぬ顔のクレアの白黒髪を掌の上からサラサラと流し、イミトはテーブル周りをぐるりと回るように歩き出す。


「ミリス。残りは天ぷら、土瓶蒸し、炊き込みご飯、茶わん蒸しの順で良いか?」


「え? ああ、良いわよ。楽しみにしているわ」


 その途中に目に入ったミリスに問いかけると、彼女は満を持した様子で揚げ豆腐のあんかけを自身の取り皿に流し込みつつ話半分の返事。


「——⁉ 熱ひ、ひ」


 ふぅふぅ、と息を突き、熱を永遠に閉じ込めそうなあんかけのりをで、彼女はそれを意気以って口へと運ぶ。しかし熱さがおとろえるはずも無く、彼女は口内を周囲に見せないように手を当てつつ、静やかな空気を求めた。


 ただひたすらに、熱かったのだ。


 それを見越して動き出すイミト。彼女がなんとかあんを武装した揚げ豆腐の熱さに耐え、眉をひそめながらも噛むと共に、イミトはアルキラルが持ってきていた機械を用いて大きなガラスで出来た円柱状の器にこれまた黄金色の液体を泡交じりに注ぐ。


「はいよ。中ジョッキで良かったか?」


 アルキラルと違って、これが俺の流儀だと言わんばかりにテーブルの上にドスリ。熱さに耐え忍ぶミリスに対して器の中の液体を勧める。


 するとミリスは返事も無く、慌ててそれを受け取った。


「……ぷはぁ‼ ビール、サイコー‼」


 最早、ミリスがそれを飲む勢いはゴッ、ゴッ、と表記せざるを得ない勢い。久方ぶりに息を吐くように器の液体を飲み干したミリスは、爽快感を露に感想を声高々に口にした。


「でも、大ジョッキを用意しとくべきだったわね」


 それから彼女はそう言った。神の威厳など何処にもない、ミリスの冗談めいた物言いに居酒屋で楽しげに酒を舐める女性を彷彿ほうふつと思い出すイミトである。


「どんだけ酒好きなんだよ……クレア、これも向こうにあるからな」


 そんなミリスの醜態に嬉しそうに呆れつつ、少し離れたクレアに気を遣うイミト。それはクレアが少し物欲しそうに見ていたのを察したからなのだが、


「べ、別に欲しがってなぞおらんわ、ボケが‼」


 返ってくる言葉に、余計な気遣いだったなと息を吐く。そして彼はまた、はむほむとマツタケを夢中でかじるデュエラを尻目に、戦場へとおもむくように厨房に戻っていくのだった。

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