第8話 誰が為に振る舞うか。4/4

 ——。


「……天ぷらも満足して頂けているようです」


「ああ。はもさばけと言われた時は、アイツを骨切りしてやろうかと思ったもんだが」


 幾つかの作業を終えたイミトは、根菜の飾り切りをしながら厨房へと再び戻ってきたアルキラルの報告に穏やかに答えた。


 はもという魚は小骨の数が異常に多く、包丁で繊細かつ丁寧に下処理をしなければ美味しく頂けない魚として料理業界では有名な逸品である。


「デュエラも美味いって言ってたか?」


 ミリスの我儘わがままな要求に応え、はもを調理したイミトが当たり前の報酬を得るが如くアルキラルにそう尋ねる。とても皮肉めいた笑みだった。


「——邪推は辞めて頂きたいのですが、その様子で御座いました」


 すると心揺れ動かさずとも、うんざりした様子のアルキラルである。再三に渡るイミトからの遠回しな疑義に、いい加減に辟易へきえきと。


「はは、邪推じゃなくて嫌がらせだよ。ただのな」


 自分というものを否定する疑いを、嬉々として放っていたというイミトから目線を逸らしつつ作業台に並べられた下処理済みの食材に目を移すアルキラル。


「……今は土瓶蒸しの材料で御座いますか」


 彼女は、話題を逸らすには丁度いいとその事について尋ね始めた。食材の傍らにある緑茶を淹れる時に用いそうな土瓶を注視する様に気付き、イミトが浮かべたのは微笑ましい子供を眺めるような表情。


「そうだな、炊き込みご飯の少し前に持っていきたいから少し待ってくれ」


「とても料理が得意なのですね。アナタが居た世界の同年代の若者は、そこまで出来ないと聞き及んでいます」


 そして飾り切りを終え、最後の下処理を終えたイミトはアルキラルのお褒めの言葉を他所に、火にかけている様子の土鍋の下へ。彼は火加減を調節しつつ、


「得意、とは言えないが、まぁな。バイト先の大将に二年間みっちり仕込まれた上に、自炊もしてたし」


 アルキラルの称賛にようやく応えた彼と共に、土鍋から湯気が吹き出し始め、更に彼は先程アルキラルが見ていた土瓶に手を伸ばして食材を中に詰め始める。


「それには——……はは、神に感謝って奴だな」


 そして食材を菜箸で掴みながら、彼はそう嗤った。


「天使を前に心にも無い。あまり口が過ぎると、天罰が下りますよ」


 故に作業を見つめながら、天使は不快を口にした。


 ——すると、彼は彼らしいイタズラな笑みを捨て、


「神に感謝してる、ってのは本当の話さ」


「神って奴が存在しなきゃ、俺はあの親父と会う事は無かっただろうしな」


 あたかも贖罪しょくざいを口にするが如く、食材を詰め終える。


 とても、切なげであった。


「……」

「何のことの無い、腐った宗教団体の話だが懺悔ざんげだと思って聞いてくれ」


 そして取っておいた出汁を土瓶にそそぐ中で、彼は語り始める。アルキラルが執事服でありながら翼の生えた天使の風体であったのも、その一因だったのかもしれない。


「むかし、むかし、カルト宗教に騙されたババアが居た」


「ジジイに先立たれ、病気がちな娘を案じた優しいババアだったよ」


 語り口の悪い御伽話は、土瓶に火をかけるまさにその瞬間に口火を切る。横で未だに湯気を噴く土鍋と共に熱を帯び始め、対照的にイミトの表情も声も温かさを失っていくようであった。


「神って奴は、そんな可哀想な奴を探し出すのが大変にお上手らしい」


 しかし、浮かぶのはアルキラルに向けた皮肉な笑み。アルキラルはそんなイミトを三白眼で見返して。


「は……そんな目で見るなっての。ただの悪夢みたいな御伽話さ」


 ただ、彼の語りを自らの想いでさえぎらなかったのは少なからず彼女自身、彼が語り始めた昔話に心が惹かれていたからなのであろう。


「ババアは娘を神とやらの供物くもつに差し出して、物の見事に地獄へ片足突っ込んだってハッピーなエンドだよ」


 続けて彼は投げ捨てる様にそう言った。


「残されたカスみたいな息子に訪れたのはハイエナみたいな弁護士だった。本人は正義の味方のつもりだったんだろうけどな、俺はああいう奴らも嫌いでね」


 土瓶に負荷を掛ける火力をシステマチックに調節しながら、とても満足そうに作業を終えて次に彼は、少し離れた場所にある火元へと向かう。


「でもな、【被害者の会】って奴に連れていかれて大将に初めて会った」


 そこにあったのは、長方形の蒸し器。こちらも僅かな隙間から湯気を噴き出し、調理中のようで。彼はコンロの横に置いていたストップウォッチを手に取り、調理時間を確かめるべく映し出されていた数字を眺める。


 そして、ふっと笑った。あたかも、まだ時間があるように。


「仏頂面のくせにお喋りが好きな爺さんでな。バイト探している時にたまたま再会して、店で飯を食わせて貰いながら飯が不味くなるような身の上話を語り合ったもんさ」


「そっからは、大将が体を壊して死んじまうまで少ない時給でこき使われて」


「まぁ、他を考える余裕が無いほど料理の知識と技術は叩きこまれたから割には合っていたんかね」


「さぁ——茶わん蒸しが良い頃合いだ。後は冷ますだけだな」


「それらが——アナタという哀れな罪を、作り出してしまったのですね」



「はは、【】か。【罪人】扱いされるより幾らか気分が良いな、それ」


 ストップウォッチのタイマー機能が時を告げるその時まで、アルキラルは黙って昔話を聞き、自らなりの結論を出す。


 それを受け、イミトは楽しげに言葉を噛んだ。



 そして同時刻——その時のクレア・デュラニウスは、離れた場所で瞼をふと閉じたのである。

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