第6話 あの時の事。1/3


 クレア・デュラニウスは、森を先程より早く駆けるデュエラの傍らでイミトとの出会いを走馬灯そうまとうの如く思い返していた。


 封印されてひさしくして、或いは初めて直接に触れた人肌は——ひたいの痛みという記憶で残っている。


 頭突き——死に物狂いの彼が放ったのは、それだった。

 それだけでしかなかった。


「イミト……貴様は何故、笑うのだ」


 それでも加えられた衝撃の後、体を奪われ、頭部のみだった彼女が地に堕ちる最中に見たものこそが悪態を吐きながら笑みを浮かべる彼の表情。


 その時——、彼女は既に悟っていたのかもしれない。


 数多の戦場を駆ける生の渦中、人間が死の間際に浮かべる決死の表情を戦場の数より遥かに多く見届けて来ていた。その誰もが死の間際に魅せる表情は三通りしかなかった。


 ——痛みによる苦悶。

 ——或いは、迫る死を怯えながらの後悔


 ——そして、死を受け入れ納得した表情である。


 しかし、彼女と久しぶりに対峙した人間は、そのどれでもない表情を見せてきた。

 三つ目の表情に似ているが何処か違う。


 それが——どのような感情なのか、彼女には理解できなかった。


 いや、それも或いは、なのであろうか——。


「クレア様、何かおっしゃいました、ですますか?」

「……いや、もう少し急げ、デュエラ‼」


「はい! なのです‼」


 イミトが、またも笑っている。自分よりも楽しげに、親しい友人と遊び慣れた遊びにきょうじるように。


 心がざわつく中で、クレアは嫉妬の如く歯を噛んだ。


 デュエラは、そんなクレアの感情を知らぬまま、彼女が【龍歩】と呼ぶ魔法で激しく空を蹴っていく。


 それでも二人には、一抹いちまつの不安という共通の認識があって。


 ——イミトは、今どうしているのだろうか。

 郷愁きょうしゅうとは程遠い感情が、二人に冷や汗を一筋ひとすじ流させていた。


 ——そして、辿たどり着く。


「はぁ……はぁ……」


 入れ違い、という事は恐らく無いのであろう。空から落ちてきたように着地し、息切れするデュエラの金色の瞳には土砂崩れの岩石地帯で激しく大蛇が動き回った跡と横たわる二匹の大蛇の姿が直ぐに飛び込んできていて。


「イミト‼ イミト、何処だ、何処におる⁉」


「……これを、イミト様が?」


 目的地に到着するや、姿の見えないイミトへ呼びかける事に夢中になったクレアを他所に、デュエラは驚愕していた。


 彼女にはピクリとも動かない二匹の大蛇の様子が異常に見えている。


 どういう戦い方をしたのか、一匹の蛇の口は有り得ぬほどに開かれ巨大な刺々トゲトゲしい鉄球によって塞がれていて、逆にもう一匹の口は完全に巨大な剣によって頭から貫かれ閉ざされている。


 ——まるで、御伽話で聞いた巨人を相手にでもしたかのような景色がそこにはあった。


「ええい、貴様も探さんかデュエラ‼」


「あ! は、はいなのです‼」


 クレア曰く戦いを知らぬ人間、とは思えぬ武勲ぶくん愕然がくぜんとするデュエラへ、落ち着かぬクレアがえる。それによってハッと我に返ったデュエラが慌てて岩石地帯に足を進めた。


 すると、その矢先であった。


「「⁉」」


 何か巨大なモノがうごめく気配。それは、紛れも無くそこに横たわる蛇たちと同種の生き物。巨大な大蛇である。


『なんだい、手間がはぶけるね、戻ってきたのかい』


 しわがれた雌の声色に顔を見上げると、逆立った刺々とげとげしい白鱗はくりんに巨大な金色の瞳。その佇まいが放つのは、まさに狩猟者の威圧。


「……、バジリスク‼」


『ようやくアンタを姉様あねさまがた献上けんじょうできるわね、デュエラ。今日は逃がさないわよ』


 ゴクリと息を飲んだデュエラへ過去の因縁をにじませるバジリスク。ズルリと巨躯の肢体したいで地をなぞり、バジリスクはその顔を更に空に近づけてデュエラを見下げ舌を細かく震わせていて。


「思い出話なら死んでからにせよ……、我の虫の居所が悪いのが分からぬかケダモノが」


「——⁉」


 しかし、そんなバジリスクの威嚇いかくよりもデュエラは自身が抱えているクレアの存在を忘れてしまっていたことに気圧けおされて。その静かな怒りを感じたのは恐らくはデュエラだけなのであろう。


『……ん? 何だい、アンタは? 頭だけとは、ずいぶん珍妙ちんみょうだねぇ』


「貴様如きの感想など聞いてはおらん、イミトは何処におる」


 至極冷静に挑発じみて笑んでいるようなバジリスクの言葉を切り捨て、本題を尋ねるクレア。しかし、そんな彼女とは対照的にデュエラの胸には嫌な予感がいっぱいに広がっていた。


 戦いの痕跡、彼の姿は無く、一匹の大蛇が悠然ゆうぜんたたずんでいる。


『イミト? ああ……もしかしてあの男を助けに来たクチかい。そんな体で愚かな話だね』


 予想は付きそうな状況ではあった。余裕を見せるバジリスクの態度にその確信の色が段々と濃いものになり、その形を露にしてくるようだった。


 それでも、

「違うな、我はあの阿呆を叩きのめしに来たのだ」


 自分よりも冷静で、鋭い考察をしてきた二人組の内の片割れが、そんな近づいてくる現実を見て見ぬふりしているようで。デュエラは密やかに彼女の頭を支える自らの両手の力を強めていく。


 そして——、

『そうなのかい? でも残念、あの男なら今頃アタシの腹の中で骨になっているだろうさ』


「——⁉ そ、そんな……」


 突き付けられる現実に、驚いたふりをしながらデュエラはさりげなく足を退いた。クレアだけでも守らねば——食われたとのたまわれた彼が自身に残した意志だけは守らねば——そんな思いが真っ先にはたらいたのだろう。


 それから——

『なかなか骨のある人間だったからね、良いコレクションになりそうだよ。ふふふふ』

「……」


「クレア様……」


 空高々に森の木を超える巨躯の上から見下ろすバジリスクだが、挑発か或いは嘲笑の度合いを増し増し、獲物に狙いを定めるように少し顔を下げる。そしてデュエラもまた心配そうに胸下に抱えるクレアの様子を伺った。


 だが当のクレアは眉間にしわを寄せ、ヒタリとまぶたを閉じていき——


「はぁ……イミト‼ イミト、貴様……いつまで遊んでおるつもりだ‼」


『おや、オカシな頭がオカシクなったね……そういう滑稽こっけいなのは好きさ』


 その意味する所を知らぬ一匹と一人は、恐らくものの見事に誤解したのだろう。溜めた息で心を整え、クレアが苛立ちを吐く。


「……噂に名高いバジリスクとて、末端はこの程度か」

『——なんだって?』


 そして彼女は次に呆れるような息を吐いた。バジリスクは、それを挑発と受け取った。気が触れて自棄じきになった弱者の強がりだと。


「早く薄汚いハラワタを裂かんか、この馬鹿者‼」


『ふん、無駄さ。まだ仮に溶けていなかったって——ううっ⁉』


 しかしバジリスクにも自尊心があり、下手な挑発には乗るまいと少し苛立ちながらも言葉を吐き捨てようとした——そんな最中の事である。


 その異変には、デュエラもすぐに気が付き——驚く。


「なに——この魔力……イミト様?」


 彼女の言うように、彼女が胸にしまう情報からはそうとしか思えない圧力。或いは存在感といって良いものが、バジリスクのハラワタの内からあふれ出したのだ。


 ——そしてそれからの事も、まさに刹那せつなの事であった。


「ぎゃあ、ああああああ⁉」

「——きゃあ⁉」


 唐突に、あまりに唐突に巨大な武器の数々がバジリスクの内から爆発が如く弾けると共に血の雨を降らす。


 それは剣であり、槍であり、斧であり、刺々トゲトゲしい棍棒であり、土石流の如き勢いで、それらが互いに衝突し金切り音を立てながらバジリスクの腹を裂いたのだ。


「美しくない戦い方をしおって……」


 そんな中、独り冷静なクレアがそう呟くと、


 ドスン。と先程の余裕が嘘であったかのようにバジリスクは倒れ、


 そしてズルリとバジリスクのハラワタからい出る者は、言うまでも無く、語るまでも無く——


「ふぅ……母親の子宮に居た頃を思い出したぜ、生臭くて嫌になるね」


「イミト様‼」


 しかし語らねば伝わらぬやもと、デュエラ・マール・メデュニカの後に名を書こう。

 そこにあったのは見紛うことなく、


 この物語の主人公——、イミト・デュラニウスの姿であった。


「様付けは、居心地悪いな……ゲロの香りをただよわせてるし」


 吐しゃ物と血だまりを踏みつけ、首の骨を鳴らす飄々ひょうひょうとした振る舞いで肩に槍を担ぐイミトは多少の土汚れや血糊ちのりは見て取れたが、不思議と濡れては居なかった。


 たった今まで蛇の腹の中に居たとは思えぬ佇まいである。


 されどそれはのちの事——今は再会、或いは再開について語らねばなるまい。


「「……」」

「よう……泣いてなかったか?」


 長く感じる沈黙の後、彼はおもむろに淡と彼女を見下げた。


「ふん。貴様の為に流すものなど無いわ、怒りが沸くのみよ」


 見下げられた彼女は三白眼を見上げ返し、そこから彼が居る景色を視界から捨てて苛立ちを吐き捨てる。


「それより、我が今から望み通り殺す気で殴ってやるから歯を食いしばれ」


 そして彼女は髪を操り、黒い拳を作り出す。


 すると、彼は諦めたように楽しげに笑った。


「へいへい……」


 きっと、これまでとは違う、笑みであろう。


「——死に腐れ、い‼」

「——はは、【デス・ゾーン】」


 クレア・デュラニウスは全霊を込めてイミトを殴る為に髪がりなした拳を振り抜いた。しかしそれが完遂される矢先、得意げに開かれるイミトの瞳孔。イミトの肌から数センチ、赤い光が溢れ出す。


「——なっ⁉」


 彼女も、油断していた。今は地に伏すバジリスクと同様に。イミトの纏う光に触れるや、黒髪の拳は突如としてその速度を落とし、その隙を突いてイミトは咄嗟にしゃがんで拳をかわす。


 それでも、置いていかれたイミトの槍は別であった。


「……マジで殺す気だったな、おい」


 まるで鋭利な刃物で切られたかの如く逃げ遅れた槍の先は拳によって吹き飛ばされ、嵐が通り過ぎた後のような災害の爪痕つめあとを見たイミトは僅かな畏怖いふってそう呟く。


 一方、そのやり取りも踏まえ、災害たるデュラハンも眉間にしわを寄せ、いぶかしげに——こう言うのだ。


「貴様……とうとう【デス・ゾーン】まで盗みおったか」


「人聞きが悪いな、技名を喋る意味に辿り着くまで割と苦労したんだが」


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