第27回電撃小説大賞《選考委員奨励賞》受賞作/『ぼくらが死神に祈る日』

メディアワークス文庫

一章 モーンガ―タのささやき

一章:モーンガ―タのささやき/01


 僕が殺した姉、田越葉月の葬儀には、予想していたよりもずっと多くの人が参列した。僕と両親だけでは受付の手が回らなくなり、途中からは、親戚の何人かにも手伝ってもらうことになった。

 通っていた高校の同級生、クラスメイト、後輩、それから数人の教師と、所属していた生徒会の役員生徒たち。加えて姉さんには、学校外にも知り合いが多くいたらしく、そのひとたちは学校関係者をすべて合わせても足りないほどの数になった。ほとんど面識はなかったが、やがてあらわれたひとりの男性には、唯一見覚えがあった。県警署長の平さんだった。

 「このたびはまことに、ご愁傷様です」

 平さんのお辞儀に両親が応じて、同じように頭を下げる。僕を逮捕しにきたのだろうか。彼の腰には手錠が隠されているのか。そうであるなら喜んで両手を差し出すところだが、そんなことにはならなかった。

 見覚えがあるのは、新聞で見たからだった。一度目は姉さんが痴漢を現行犯で捕まえたとき。二度目は川で溺れた小学生の男子を救命したとき。姉さんが感謝状を手渡されるところの写真が、地元の新聞に掲載された。二回とも、感謝状を渡していたのがこのひとだ。

 県警署長の平さんが僕のほうを向き、言ってきた。

「怪我は? まだ痛むかい?」

「大丈夫です。痛くありません」

「自分を責めてはいけない」

「はい」

「不幸が重なった。あれは防ぎようがなかった」

「はい」

 純粋に、悪意なく慰めようとしてくれているのだとわかった。平さんに限らず、誰も僕を咎めない。車に轢かれたとき、亡くなる姉さんを目の前で見ていたのに、何も聞いてこない。権利もないのに怒りがわいてしまう。体が熱くなる。噴き出た汗に染みたのか、ガーゼの奥で、えぐれた頬の傷がずきずきと痛みだした。どうして僕が生きているのだろう。

 告別式の最中は、あちこちからすすり泣きが聞こえてきた。途中からは湿度が高くなったような気がした。涙が流れたときに鼻に届く、独特の匂いもした。

 葬儀の最中、背中から視線を浴びている気がして、そっと息を止める。昔からの癖だった。存在を消したいとき、いつのまにか、呼吸をやめている。派手な活躍をする姉と比較されるのが嫌で、身についた習慣。姉が亡くなってもなお、体に染みついている。それで体が消えるわけでもないのに、やめられない。

 出棺のため、姉さんの棺を霊柩車の待つ会場外に運び出す。数人の親戚と、父さん、そして僕で行った。まわりの大人と比べると僕の身長はやや小さく、担ぎだすとき、棺の重さをほとんど感じることができなかった。棺の後ろを喪主である母さんが、遺影を持って続いた。

 霊柩車に乗せ終えたとき、母さんの姿が消えた。持っていたはずの遺影はスタッフに預けられていた。見回すと、近くのトイレに向かう後ろ姿が見えた。僕よりも早く気づいた父さんが追いかけていった。

 参列者が霊柩車のまわりに集まり始める。まだ異変には気づいていない。スタッフに預けられた遺影に写る、姉さんの写真と目が合う。市が行った、小学生の学習支援のボランティアに参加したときの写真だ。その姉さんの笑顔に、背中を押されるというより、叩かれた気持ちになって、両親のあとを追った。

 建物裏の屋外トイレの前で、母さんは崩れ落ちて泣いていた。声が漏れ聞こえないよう、必死に手で口元をおさえていた。父さんが母さんの背中に手をあて、何かつぶやく。母さんの泣く声がそれでさらに強くなった。

「なんで葉月なの。どうして、あの子じゃなくちゃいけなかったの」

「喪主の挨拶がまだ残ってる。もう少し、頑張れるか」

 二人の会話は絶妙に噛み合っていない。母さんは葉月、と呼び続けている。助けを求めるように、父さんがあたりを見回す。そこでようやく、僕と目が合い、ほっとするようにため息をついた。たとえば死んだのが僕で、ここに代わりにいたのが姉さんだったら、父さんはきっと、もっと安心した顔を見せるだろうと思った。

「作楽、代わりを頼めるか。参列者の方々を待たせるのは悪い」

 母さんの上着のポケットに手を入れて、父さんが小さなメモをよこしてくる。挨拶文が書かれていた。形式的な言葉が、生気のない淡白な字で並んでいる。

「短すぎるから、途中で葉月の話をしてくれ。思い出話とか、そういうのだ」

「思い出話?」

「葉月と過ごした最近の出来事でも、なんでもいい」

 姉さんとの思い出。一緒に過ごした記憶。何かあっただろうか。すぐに出てこない。今年、同じ高校に通うようになってからは、特に話さなくなった。なんでもできる姉さんと比べられるのが嫌で、劣等感から身を守るために、あのひとを避けてきた。

 いくら思い出そうとしても、人前で聞かせられるような、姉さんとの温かいエピソードは見つからなかった。失敗する光景しか、浮かばなかった。

「大丈夫」強引に立ち上がって、母さんが言う。「やれる。戻りましょう」

 父さんは母さんの肩に手を置いたままだった。姉さんだったらこんなとき、うまくやれるのだろう。両親をきちんと安心させて、皆のところに戻るのだろう。

 結局、母さんは僕の手からメモを取り返し、行ってしまった。

 母さんは言葉通り、出棺の挨拶を無事に終えた。さっきまでうずくまり、泣いていた人物と同じようには、とても思えなかった。それは僕が母さんに強いてしまった負担の証だった。家族のために動くべきだったのに、僕は自分が失敗したときのことを想像して、怖気づいてしまった。

 空を見ると残酷なくらい青かった。昨日まではずっと雨だった。何かの遅れを取り戻そうとするみたいに、あちこちで蝉が鳴いている。無害な薄い雲が、風に運ばれ流れてくる。ここにいる自分たちを置き去りにして、世界中の人々が幸せでいるような気がした。

 霊柩車が出ていく先の道路に、大きな水たまりが見えた。そのときになってようやく、僕は姉さんと過ごした時間をひとつ、思い出した。


       †


 入試が終わり、志望校である受験会場から出てすぐ、買い物帰りの姉さんに捕まった。合格すれば先輩になる予定でもある姉さんは、僕を学校に引き返させ、校門を出る受験生たちの流れに逆らい、なぜか校舎裏に連れてきた。抗議するが、黙ってついてくるように言われた。

 校舎裏の地面はぬかるみ、いくつもの水たまりができていた。前にいる姉さんは器用に乾いている部分だけを見つけ、苦もなく林の奥へ進んでしまう。ジーンズに泥が跳ねてつくこともなければ、靴が汚れている様子もない。反対に自分の足元を見ると、すでにスニーカーが泥まみれになっていた。歩き方だけでこうも違いが出る。

 つま先からは泥が染みこみ、靴下を濡らしていた。二月の泥は最悪だった。氷でも入れて歩かされている気分。そのうち指の感覚がなくなるだろうと思った。

 遅れをとる僕に気づき、姉さんが振り返って言ってきた。

「ほら、作楽、早く。すぐそこだから」

「ここに何があるの。軟らかいベッドと温かい毛布がないなら、帰りたいんだけど」

 風が頭上の木々を揺らし、葉をつけていない枝が、かちゃかちゃ、と音を立てていた。わずかに射していた陽も雲で隠れ始めていた。いまごろは受験のストレスから解放されて、ベッドに寝転び、毛布にくるまり、心行くまでレンタル店で借りていた『バットマン』シリーズの映画を観ているはずだった。

 雑木林を抜け、やがて開けた空間に出た。右側一帯が斜面になっていて、ずっと下った先に校庭が見えた。見晴らしが良いのと、地面が乾いていること以外、これといった魅力はなかった。

「ここは、願いをかなえてくれるところ」

 姉さんが指した空間の一角に、地面から突き出している岩が見えた。近づくと、それが岩ではないことがわかった。建造物の残骸の一部だった。周囲が、崩れた外壁で四角に縁どられている。何かが建っていたのだ。

 目の前まで近寄ると、地面に埋まるようにして設置されている、一枚の銅板を見つけた。建物の名前を記す文字がとびこんでくる。『教会礼拝堂跡地』。下に続く説明文は錆びて腐食し、ほとんど読めなくなっていた。かろうじて拾えたのは、『スウェーデンから来訪した宣教師の……』という文の一部だけ。

「こんなものがなんで高校にあるの?」僕は訊いた。

「校舎が建てられる前は、この土地に修道院があったんだよ。取り壊されて、神学校になったけど、そのあと統廃合でいまの学校になったの」

「知らなかった」

「志望校の歴史くらい押さえておいたほうがいいよ」

「こっちは昨日まで世界の歴史を抑えるのに必死だったんだよ」

 受験で疲れていることを暗に伝えてみたが、まだ帰る気はないようだった。逃げ出そうものなら、首根っこを掴み引き戻してくるはずなので、あきらめた。

「神教のなごりは、いまの高校にはまったく残ってないけど、この場所だけは保存されてる。ここを知らなかったってことは、『教会跡地の神様』の噂も知らないよね」

「教会跡地の神様?」

 姉さんは僕の腕を引いた。コートから手を出したくなかったので、不格好なまま、連れていかれた。

 僕たちは礼拝堂跡地の、敷地内に足を踏み入れた。荘厳さを感じさせるようなものは何もなかった。信者が座るための会衆席も、ステンドグラスも、神父が説教をする台も、その背中の壁にかかげられていであろう十字架もない。寒さに焼かれて枯れてしまった花と、色素の抜けた雑草が生えているだけの荒れ地だ。だけどよく見ると、その雑草が踏み倒され、一本の道ができているのがわかる。道はまっすぐ敷地の奥へと進み、ある地点で途切れていた。

 そこに置かれていたのは、金属でできたお椀だった。膝の高さまである、巨大なお椀。表面が錆びついている。正体をつかめないでいると、姉さんが説明してきた。

「神社でいう、賽銭箱みたいなものだよ。誰が置いたかは知らない。わたしが入学したときもすでにあった。教会のベルを逆さまに置くのって、宗教的にどうなのかなとは思うけど、でも、ここではこれが伝統になってる」

 言われてようやく、そのお椀が巨大なベルだと気づいた。本来の向きからひっくり返され、先端を地面に埋められているのだ。

 ベルのなかには、ぎっしりと物がつめこまれていた。テニスボール。使い込まれた野球のグローヴ。腕時計。水色のセーター。くまのぬいぐるみ。筆記用具も見える。ベルからあふれるように、周囲にも物が置かれていた。

「教会跡地の神様っていうのは、つまりそういうことか」

「作楽の受験が合格しますようにって祈りたかったから。ということで、ほら、おそなえしよう。何か大切なものを差し出して、祈るの」

 合格祈願なら近所の神社で十分だと思ったが、文句を言って歯向かう時間も惜しかった。早く帰りたくて、とっとと終わらせたい一心だった。

「何をそなえればいいんだよ。受験票とか?」

「それはまずい。用務員さんが定期的に回収にくるの。それでバレる。ここ、校則では立ち入り禁止だから。万が一見つかったら、印象が良くない」

 自分の身分を特定されないおそなえもの。何があるだろうと迷っているうち、しびれを切らした姉さんが、買い物袋からあるものを取り出した。金平糖の入った袋だった。姉さんの昔からの好物だ。

「そんな適当なものでいいのか」

「何かを差し出し、手放すことが大事なの」

 姉さんが金平糖の袋を、ベルからあふれたお供え物の上に乗せる。誰かの願いを上書きしているような、変な後ろめたさを感じた。

 横を見ると、姉さんが目を閉じ、手を合わせてすでに祈っていた。馬鹿らしかったので、祈る代わりに周囲を眺める。近くの木にリスが止まっているのが見えた。たぶん、金平糖はあのリスが袋をやぶって持っていくのだろう。もしかしたら姉さんのように、ここに食べ物を供えるひともいるのかもしれない。冬眠を中断してでも、ここに待機する価値があるのだ。

 視線を戻すと、姉さんが目を開けたところだった。満足したように、風変わりなお賽銭箱に背を向けて、歩きだす。

 敷地内を出る瞬間、一度だけ大きな風が吹いた。妙に湿気を含んでいて、季節を無視した、生暖かい風だった。思わず立ち止まる。姉さんは速度をゆるめることなく、先に行ってしまう。いまの風に気づかなかったのか。

 何気なく振り返り、そしてあることに気づく。

 そなえたばかりの金平糖がベルから消えていた。

 さっきの風が落としたかと思ったが、近くの地面には落ちていなかった。リスが持っていったのかもしれないとも考えたが、袋ごと、抱えていけるのか疑問だった。

 姉さんはすでに敷地を出ていた。後を追う。いま吹いた風のことを尋ねたかった。消えた金平糖のことを報告したかった。口が開きかけて、結局やめた。黙っているうち、林を抜けた。

「一緒に登校できるといいね」

「しないよ」

「きっと合格するよ。大丈夫、最後にはうまくいくようにできている」

 それは姉さんの口癖だった。最後にはうまくいくようにできている。僕はその言葉が嫌いだった。才能があるからそういうことが言える。できないやつの気持ちがわからないから、そんな言葉がつかえる。

 二週間後、受験結果が発表された。僕は合格していた。姉さんは飛び跳ねて、泣き、最後には抱きしめてきた。

 やがて春を迎え、高校生になった。袖を通した制服は少し大きかった。姉さんとは、たまに家を出る時間が重なれば、必ず一緒に登校する羽目になった。

 七月になると姉さんが死んだ。

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