第15話 さとる君という男の子
「ねーちゃん、何してるんだよ。」
いきなり、後ろから、怒鳴られ足を蹴っとばされた。
ちょうど、左足のももあたりに衝撃があり、思わず、「きゃっ。」、足を折って、膝を本棚にぶつけてしまった。
その拍子に、右手に持っていた絵本が右足の靴の上に落ち、角があたったものだから、「ぎゃっ。」、さっきより悲惨な声がでる。
そして、両手で足を庇おうとして変な体制になったものだから、そのままなぜか、後ろに体重がのり、すってんころりん、子供が転ぶようにキレイに尻もちをついてしまった。
「あ、白のパンツ。ねーちゃん、にぶっ。」
目の前の小学生に、股を開いた状態の自分をガン見されたあげく、とどめのように侮辱され、青くなるわ腹が立つわで、頭も体も沸騰中。
とにかく足を閉じ、スカートで隠し、足が痛いのを我慢しつつ、自分自身に、相手は小学生、冷静に、冷静に、そう念じていると、
「で、何してんだよ。あんまり、ここ、部外者が来ないでくれる?邪魔。」
ぶちっ、頭の中で大きな音がした。
「あなたね、人の足、蹴っとばしといて、何言ってるの!まず、謝るのが普通でしょう。だいたい、まず名乗りなさいよ。看護師さんに言うからね。」
「チクるんだ。俺、そういう奴、嫌い。」
「私も無礼な人間は、大嫌い。例え、何も分からない小学生だとしてもね。」
「お前、俺が何も知らないとでも思ってるのか。だいたい、お前が勝手に本なんか寄贈するから、後から後から増えて、俺らだって、大変なんだよ。それなのに、今度は探偵ごっこでもするつもりかよ。この前は、イケメン兄ちゃん、次は、まひろ兄まで巻き込んで、二股かよ、最低だ。」
二股、その言葉を聞いただけで、体中から震えがくる。
もう、腹が立つとか、赤面するとか、そんなレベルを超えて、体中が怒りに震えてくるのだ。
「誰だか知らないけど、いい加減にしなさいよ。私なんて、十三年間、誰とも付き合った事ないし、告白されたことも、告白したことも、一切無いのよ。どうやったら、二股とか恐ろしい事が出来るのよ。だいたい、友達だって出来た事ない自分が、人と付き合う事さえ分からないのに、あなたに何が分かるの?せっかく、勉強して、私立の中学校入れたのに、今だに友達がいないから、誕生日だって祝ってくれる人いない、移動教室でさえ、一緒に行く人、いないんだから。黒崎君はね、そんな中、偶然、病院でぶつかった挙句に、すっころんだ私と知り合って、私が寄贈した児童書が無くなってる事に、相談に乗ってくれたの。それなのに、彼は私の事、友達だって言ってくれたんだから。私なんて、恐れ多くて言えなかったのに。そんな、相手に対して二股とか言わないで。ついでに、もう一人の彼は、桃田君。たまたま、吹奏楽部の手伝いが一緒で、ここに妹さんが入院してたから、妹さんから話を聞かせてもらったの。それこそ、彼氏でも無ければ、友達でも無いんだから。そんな、良い人の二人を二股だなんて、何も知らないのはどっちよ。」
ハアハア、ゼイゼイ。
一気に喋ったもんだから、もう息は切れるし、頭は怒りでくらくらするし、何だか悔しくて、涙すら流れてきた。
「木崎智。」
ああっ?
多分、最大級に眉間に皺を寄せ、目が三角になっていたと思う。
「だから、俺の名前。ねーちゃんは。」
「白石瞳子。」
「トーコか、悪かった。そんなに、根暗な過去を持ってるとは思わなくて。蹴った事もパンツを見た事も謝る。ごめん。」
丁寧にお辞儀したのだ。
ただの、くそ生意気な子供だと思っていたけど、あまりに潔くて、こっちがびっくりしてしまう。
「もう、いいわよ。怪我したわけでもないし。でも、何で、そんなに目の敵にするの?」
さとる君が、少し考える風に、ゆっくり話しだす。
「正直言うと、調べられたくないんだ。これは、俺と洸一の秘密なんだ。優奈にも、本当の理由は言ってない。あいつ、女だからお喋りだろ。それに、あいつ、トーコと友達になれそうなんて言うから、腹立っちまって、ここまで怒り心頭で来ちまった。たまたま、まひろ兄や他の奴と一緒の所を見て、まひろ兄まで、巻き込まれてると思ったし、本当に、ごめん。」
小さな体を思いっきり屈め、私の目に、彼の小さなつむじが、くりくりっと見える。
何だか、可愛くて笑ってしまった。
「何、笑ってんだよ。こっちは、本気で・・。」
いやー、可愛い。
「お前、俺が子供だと思って、馬鹿にしてるだろ。」
少しいじけた声が、また、きゅんとくる。
「言っとくけどな、俺とお前は、二歳しか変わらないんだ。俺が中学生になったら、たった二歳の差を後悔しろよ。ぜってー、トーコより高くなって、まひろ兄よりいい男になってやる。」
なんの宣言だか知らないけど、頑張ってね。
本当、出来れば、自分よりは大きくなってほしい。
よしよし、したい気分をぐっと我慢し、だって、本当にしたらもっと怒りそうだもの。
「それで、もう終わりね。なら、仲直り。」
そう言って、小指を差し出すと、それにもムッとして、
「だから、お前、俺を子供扱いするな。こういう時は、拳と拳を合わせるだけでいい。」
さとる君が拳をおもいっきり差し出すので、自分もそれにならってチョンと拳同士を合わせた。
「では、仲直りしたって事で、さとる君はなぜ、優奈ちゃんと児童館の本を隠してるの?」
さとる君はというと、いきなりの質問に、ぎょっとしてる。
丁度いい機会だもの、聞くわよ。
「なんなんだよ、ぼーっとしてる奴かと思ってたら、知ってるのか?そうだよ、俺達が本を隠してるんだ。トーコの寄贈した本も隠した。それは、悪かった。でも、こっちにも事情があるんだ。」
「言わないから、聞かせて。私には、聞く権利があるでしょう。なにせ、寄贈した本を探してたんだし、パンツだって、見られたんだから。」
「パンツの件は、さっき謝っただろう。本に関しては、俺と洸一の問題なんだ。話せない。」
きっぱり言った後、ぷいっと横を向く。
「なら、私は探すのを諦めない。だって、私はここの児童館を利用する子供達に読んでもらいたかったから、弟のお下がりだけど、選んで持ってきたんだもの。選ぶ時もね、あー、この絵本良かったな、可愛いな、元気になれるかな、そう思いながら選んで持ってきたの。どんな理由があるにしても、私の気持ちが収まらない。だって、ここは、みんなの児童館だもの。」
そう言いきると、さとる君は、目を閉じ、口を堅く結ぶ。
何かを一生懸命考えているのだろうけど、私も譲れない。
「確かに、そうだ。トーコや他の寄贈してくれた皆は、悪くない。悪いのは俺だ。でも、こうする事しか思いつかなかった。ごめん。洸一は、俺の友達なんだ。でも、あいつ、夏に病気で死んだ。だから、あいつの思い残した事、やってやりたいんだ。」
とても悲しそうな目をしている。
彼にとっては、人が死ぬことは、生きた証を残す事なのかもしれない。
「洸一君は、好きな子がいたの?」
さっき見た、冊子に拙い字で書いてあったことを思い出し、聞いてみる。
「・・いたよ。たまに、ここに来るんだ。どうして?」
歯切れの悪さに、今までのさとる君とのイメージが合わない。
「ここに、みんなが描いた絵や言葉、それを冊子にした物が、本棚の横にかかってるの、知ってるよね。そこに書いてあったんだ。『ぼくは、大きくなったら、結婚して好きな人を守りたい。さとるとはずっと友達だ。 矢野洸一』。もしかしたら、思い残した事と、関係あるのかなって思ったんだ。これはね、私にとっても大事な事なの。弟が大事にしていた児童書だってあるし、それは、みんなで読んでもらいたいからって気持ちがあるの。後、洸一君は、<いのちのバトン>を何度も借りていた。お願いだから、何か隠している事があるのなら、教えてくれない?誰にも言わないし、理由があるのなら、手伝う。真尋君だって、手伝ってくれる。」
大きな溜息が、さとる君から漏れた。
これだけしっかりしている子なのに、何を背負っているんだろう。
「今は言えない。でも、ちゃんとある人に伝わったら、トーコには言う。約束だ。」
来た時の勢いは、どこにいったのか、背中を丸くし、階段を降りて行った。
私もその背中を見ながら、そうだ、下の階で荷物を持って帰らないと、しょぼくれた背中を見ながら、後ろからついて行く。
さとる君は、考え事をしているのか、私が後ろからついて行っても気付いていない。
五階は初めて来るけど、隔離病棟とリハビリテーションが一緒になっている。
隔離病棟には行けないけど、リハビリの方は、何人かが器具を使って、歩く練習や持ち上げる練習、体をほぐしている人達がいた。
前を歩いていた、さとる君は、誰かを見つけたのか、リハビリ室へ入って行く。
ガラス越しに覗いて見ると、捕まり歩きをしていた、優しげなおじさんに話かけていた。
おじさんの方は、さとる君が言う言葉に、うんうんと頷き、笑顔で対応している。見た感じは、近所にもいそうな、ごく平凡なおじさんに見えた。
色々な人と知り合いなんだ。
自分は、初対面は勿論、人と何を話していいのか分からない。
経験値も少ないし、遊びにも行ってもいない、いわゆる会話のネタが少ないのだ。
ああ、小学生を羨ましいと思う自分が、情けない。
えっと、ロッカー室はと、リハビリ室を抜け、隔離病棟に入る手前に、トイレと並列して、ロッカー室と書かれた名札が見えた。
ロッカー室は、黄色の扉で目立ち、貼り紙で、関係者以外使用しないで下さい、そう書かれていた。
リハビリ室を使用する人が使ったりするのかな、そう思いながら、ママが使っていいのだろうか、疑問も浮かぶ。
鍵の番号を見ると、八番になっていた。
中に入ってみると、オレンジ色の長方形のロッカーが壁一面に置いてある。
着替えも兼用なのだろう、カーテンで所々仕切れるようになっていた。
八番はと、お目当てのロッカーを見つけると、ちょうど三段ある真ん中だった。何と無く、真ん中って好きなんだよね。
鍵を差し込み開けてみると、白い紙袋が入っていて、出してみると、とっても軽い。
同僚のお土産で、食べ物って言ってなかったかな。その割には、持っている感じがあまりしないんだけど、でも、軽い食べ物なんていくらでもあるか。
白い袋の下の方に、ビニールで丁寧に包んだ物があるだけなので、袋の上から下に折り目がつくまで折りたたみ、小さくしてから、自分のリュックに入れた。
今日は、あまり荷物が無いので、楽に入れられた。
後は、二階に行って、本の寄贈者を確認するだけだ。
ロッカー室から出ようと、扉を少し開けると、その前を、この前会った宝石商の中川さんが通った。
相変らず、高そうなスーツを着て、腕にはダイヤモンドのブレスレットをしている。
目立つなぁ、病院なんだから、せめて、装飾品の派手なのは、やめればいいのに。
庶民の自分としては、あまり理解が出来ない。ゆえに、庶民なんだろうけど。
変な自己嫌悪に陥りながら、颯爽と通って行く中川さんを目で追ってしまう。
一旦、廊下に出ると、横の女子トイレに入り、入口からそっと様子を見てみる。やっぱり、あの人は、何だか嫌な感じだ。
何がと言われれば、具体的に分からないんだけど、女のカンよ。
中川さんは、お目当ての人間を探すと、一直線にその人物に話しかけに行く。さっき、さとる君が話していたおじさんだ。
人の良さそうなおじさんと、金持ちそうなインテリ宝石商、何だか、ミステリーに出てきそうだ。
見ていると、宝石商の人が、人の良さそうなおじさんを怒ってるような気がする。
んー、なぜ。
近づいてみたいけど、大きな窓ガラスの向こう側なので、リハビリ室に入らないと会話は聴こえない。
リハビリ室の中には、女性が二人、男性が五人と介護士さんが三人いる。
中川さんとおじさんも、人の迷惑になると感じたのか、中川さんが、足の悪いおじさんに肩を貸し、出入口付近に寄ってきた。
チャンスかも。
トイレから、廊下に出て、ガラス張りの下を屈んで、リハビリ室の出入口まで行くと、ぴったり体をドアにくっつけ、軽量の引戸になっているので、ゆっくりゆっくり、少しだけ扉を開け、耳を最大限に集中させ、声を拾う。
彼等は、扉を背にガラス戸にもたれかかっているので、こちらには気づいていない。
「木村さん、どういうことだ。アレが無いじゃないか。」
「何を馬鹿な。ちゃんと、ロッカーの鍵を奴等に渡してるんだ。そこに、あるはずだろ。」
「だから、それが無いんだよ。あったのは、沖縄名産ちんすこう、どうなってるんだよ。無かったじゃぁ、すませられないぜ。あいつ等に問合せてくれ。本当にいれたのかどうか。」
「冗談だろ。聞けるわけがない。本当に無くなったなんて事になってみろ、俺達はこの世にはいない。死活問題になる。」
「あのな、そうは言っても、ブツがないと、こっちも信用問題なんだぜ。もう宝石は売っちまった。あいつ等に、手違いで渡せないなんて、今度はこっちが消されちまう。どうするんだよ。」
「本当に無いんだな。」
「ああ、どうなってるんだか。」
「どこかで、手違いがあったとしか考えられない。ロッカーの番号は何番だったんだ。」
「七番、良い数字だと思ったのを憶えてる。」
「中川、俺が奴等に渡したのは、八番だ。おい、ロッカー室に行くぞ。」
八番?
その時、いきなりドアが思いっ切り開く。
不意打ちのような、その動きに、自分が付いていけない。
思いっ切りドアの出っ張っている取っ手が、額にガンと当たり、その反動で後ろに思いっ切り転び、尻もちをついた挙句、そのまま後ろに滑るように吹っ飛ばされたのだ。
もう、漫画みたいに、火花が散るっていうのを体験したわよ。
頭の中で、ヤバイ見つかる、そういう思いと、あまりの痛さに悲鳴も出ず、ひたすら、駄目かもしれない、そんな思いが交錯して、走馬灯のように、今までの人生が頭の中に浮かんできた。
友達作りしたかったなぁ、先輩達とも、もう少し仲良くしたかった。透哉、ごめん、本見つからなかったよ。ママ、パパありがとう。真尋君とも、もっと仲良くなりたかった。
その時、ざざっ、思いっ切り後ろに引っ張られた。
ええっー、心の中の雄叫びは、もうパニック。
気付けば、目の前に青いワゴン。
何よ!
声をあげそうになれば、後ろから口を押えられ、ぎゅっと何かに体を掴まれてた。
「あれ、何かドアに突っかかってるのかと思ったけど、何もないや。」
宝石商の中川さんの声がした。
息が苦しいけど、最大限静かに、止まっているワゴンからはみ出さないように、大きな体を小さくする。
お願い、こっち、見ないで。
「早くロッカー室へ行こう。俺は足がまだ治ってないんだ、勝手に置いていくんじゃない。」
「煩いな、何かにあたった気がしたんだよ。」
もう一人の木村と名乗る人物が、松葉づえを付いているのか、カツカツ音を鳴らしながら、中川さんの肩に捕まり、黄色のドアのロッカー室に消えて行く。
体全身から、急に力が抜けた。
もう駄目、ドキドキが止まらない。
「トーコ、重いよ。」
ぬぬっ。
重いというワードに、とてもひっかかりを憶えながらも、口にあった手が緩んでいたので、急いで振り向く。
さとる君が息苦しそうに、私の下敷きになっていた。
「ごめんなさい。」
すぐさま、体を反転し、仰向けになっていたさとる君の手をひく。
どうしよう、顔色が悪い。
「ごめん、重かったよね。ごめんなさい。」
手を引いて起こそうとするも、ぐったりして、頭が後ろに傾く。
どうしよう。
「トーコ、大丈夫だった?見つからなくて良かったよ。」
見てたんだね。
助けてくれてありがとう。
「俺も、あいつ見張ってたんだ。そしたら、トーコが出てきて、ドアの横にへばりつくから。あいつ、危ない奴だったんだ。だから、気を付けて・・・。」
途中から、意識が遠のいていくのか、声が弱弱しく、目が閉じていく。
だいたい、さとる君は入院患者なのだ。
どこかが悪いから、入院してるのに、掃除用具のカゴを持ってきて、私の背負ってるリュックを力一杯引いてくれたんだよね。
隠してくれる為に。
なのに、私の心配してくれて。
額にヒンヤリした感触があった。
さとる君が、手を伸ばして、触っているのだ。
「痛かった?ごめんな、顔に、もっと早く助けらればよかった。」
とても優しい目が、私を下から覗きこんでいる。
もう、これ以上、彼に無理をさせてはダメだ。
今度は、私がさとる君を助けないと、
「待ってて、人を呼んでくる。いい、すぐに来るから。」
さとる君を壁にもたせかけ、リュックを背負いなおすと、階段に向って猛ダッシュした。
後になって考えれば、リハビリ室に介護士さんもいただろうけど、その時は、小児科の先生を呼んで来なければ、猛烈な思い込みと助けたい一心で、今までこんなに早く走った事が無いほど、二段跳びで階段を駆け抜けて行く。
五階から六階へ、階段を登り切ったところで、お医者さんに出会った。
眼鏡をかけた細身の先生で、見た感じ、頭が切れそうな、シャープなイメージだ。
名札に品川とかかれている。
冊子で感謝されていた先生だ。
息を切らせながら、急いで近づくと、
「すいません、さとる君、木崎智君が、下の階で倒れてるんです。助けて下さい。」
品川先生はぎょっとしながらも、急いで、私が上ってきた階段を降り、駆け抜けて行く。
「どこ?」
後ろを一生懸命付いて行った私に、
「リハビリ室のドアの前です。」
上ったり下りたりで、息が苦しいけど、そんな事言ってられない。
「誰もいないけど。」
その言葉に、驚きながらも、辺りを見回す。
青い掃除用具入れのワゴン、が、無い。
さとる君も、いない。
「何で!」
リハビリ室を覗き、ロッカー室を覗き、男子トイレも、この際言ってられない、入ると、おじさんが驚いた顔で、こっちを見た。
えーい、こっちもお父さんで慣れてるわよ。
それに、見ないし。
どうしよう、どこにもいない。
あんな体で、動けるはずないのに。
最後に見た、さとる君を思い出す。
顔色が青白く、呼吸も荒かった。
体を支えた感触も、重く力が入っていない。
一人でどこかに行ったとは、思えない。
トイレを出ると、品川先生が、
「君、ウソにもほどがある。さとる君は、肺に疾患があって、手術を控えてるんだ。こんな、洒落にもならない事は、やめてほしい。もし、君に、精神的不安があるようなら、受診しなさい。ここの、精神科医は優秀だから。」
そう言い残すと、スタスタと歩いて帰って行く。
取り残された私は、ボー然。
ウソ、大人にそう言われるのは、本当に悲しく、悔しい。
自分だけでは無く、親や兄弟も否定されてる感じ。
でも、今は泣いてる暇がない。
さとる君を見つけないと、だって、ウソでも幻でもないもの。
さっきまで、自分の腕の中で苦しんでいた彼は、本物だ。
リハビリ室に入ると、中にはまだ、手足の屈伸をしている人、休憩してイスに座っている人がいる。
その人達に、何か見なかったか、廊下に子供が倒れていなかったか、聞いてみた。
リハビリ室から、廊下側はガラス窓で見えるようになっている。
但し、全面ガラス貼りではなく、下から一メートルくらいは、白い壁で、その上からガラス窓になっている。
さとる君は、壁にもたせかけていたので、こっちからは見えないだろうけど、もし、立って移動したなら、頭は余裕で見えるはずだ。
リハビリ室にいる全員に聞いてみたが、見なかった、気付かなかった、ただ、ロッカー室から出てきた二人を見ていた人がいて、何だか、あたふたしていた感じがあった、なにせ、松葉杖をついていた人がいきなり、こけそうになったのか、もう一人のスーツの男性が支え、松葉杖の人は彼に怒鳴っていたように見えたとの事だ。
とにかく、もしかしたら、病室に戻っているかもしれない。
そう思い、小児科に戻り、木崎智のネームプレートを探す。
6 1 2 、そこに彼の名前が出ていた。
個室なので、ノックをし、そっと開けてみる。
すると、中から、女性がちょうど顔を出し、びっくりした顔をされた。
「あの、どちら様でしょうか。」
母親らしき人が戸惑ったように言う。
それはそうだ、いきなり中学生、それも女子が、小学生の病室に現れるのだ。
「すいません、児童館でさとる君と仲良くなった、白石と言います。私の母はここの看護師で、児童館の本を寄贈させてもらった時に、さとる君と仲良くなったんです。お見舞いにと思って来たんですが、さとる君、いますか?」
ウソも方便とは、よく言ったもんだと思う。
でも、今は確認したい。
「そうなんですか、白石さんて、美人の看護師さんね。こんな大きなお子さんがいたのね。さとるのお見舞いに来てくれて、ありがとう。でも、さとる、まだ戻ってないのよ。自分が病気なの、分かってるのかしら。もう五時になりそうね。帰ってきたら、伝えとくわ。」
その言葉に頷き、一礼すると、その場から出た。
病室から、一歩二歩、遠ざかると涙が出てくる。
いけないと思いつつも、走り出す。
トイレのマークを見つけると、女子トイレに飛び込み、個室のドアを開け、すぐさまロックをかけた。
我慢していたものが、一気に溢れ、涙が、後から後から流れ出した。
もし、何かあったら、私のせいだ。自分の無力差が腹立たしく、ここで泣いている事しか出来ない自分が情けない。
嗚咽しながら、泣きじゃくる自分が、あまりにも惨めで、でも思いっ切り泣いたお蔭で、少し気分もすっきりした。
考えなきゃ。
まず、八番のロッカーに入っていた物が何なのか調べないと。
背負っていたリュックから、白い紙袋を出し、ビニール袋に丁寧に包んである物を出す。
包んであったのは、白く長細い箱で、箱の蓋を開けてみると、薬かな。
黄色、緑、ピンクに白色、カラフルな錠剤の薬が、箱の中に小分けして入れてあった。
どう見ても、お土産では、ないよね。
この鍵は、ママから貰った。でも、木村と呼ばれていた人は、八番の鍵を誰かに渡したと言っていた。
ママは、この鍵、どっから持ってきたのよ。
考えても答えは出ない。
ママに聞くのが一番だわ。
トイレの個室から出ると、小児科のナース室へ行く。例え、友近さんが出てきても、今は負けられない。ママを呼ぶわ。
意気込んでナース室に向う途中、ママがいた。
でも誰かと話している。談話室からそろりと様子を見ると、宝石商の中川さんと話していた。
どうしてここに、彼がいるのよ。
ドキドキしながら、見つからないように、ママと中川さんの様子を見ていたら、話が終わったのか、こちらに向って歩いてきた。
隠れる場所は、無い。
とっさに、そこに置いてあった、公衆電話の受話器を取り、お財布を取り出しながら、電話をかけている事にしよう、そう思った。
焦ったのか、財布を取り出そうとしたら、がさっ、さっきの白い袋が財布と一緒にリュックから落ちた。
その音に気付いた中川さんとばっちり目が合う。
白い袋を拾い、リュックに財布と一緒に押し込む、顔が引きつりながらも、
「こんにちは。」
会釈をしながら、この場をやり過ごそうと、ナース室がある方に、さりげなく歩を進めようとしたら、
「君、ちょっと待って。」
ぎくりとするも、聞こえなかったふりをする。
立ち去ろうとすれ違う直後、肩にずっしり重みがきた。
心臓が爆発しそうだ。
「ねえ、君、この前会った子でしょう。ほら、彼氏とエレベーターに乗ってた。自分、商売やってるから、人の顔は憶えてるんだよ。特に君達は、絵になったからね、憶えてる。」
にこやかに話しかけてきた。
そう言えば、私が間違えて、八番の中身を持ってるの、相手は知らないんだった。そう思うと少し、ほっとしながら、
「この前は、お世話になりました。時間が会ったら、彼とお店に遊びに行きます。今日は、お見舞いですか?」
「まあね、ただ、ちょっとゴタゴタしてて、あいつ、病人のくせに怒りっぽいんだよ。人使いも荒いし。まあ、今度、遊びにおいで、学生らしいものも置いてあるから。」
「今日は、もう無理ですよね。」
話していると、段々落ち着いてくるのが、不思議だ。
「そうだね、今日は忙しいんだ。これから、荷物を運ばないといけないし。」
その質問が、何か引っかかるのか、目が泳いでいる。
「荷物って、その方が退院でもするんですか?」
「ああ、まあ、そんなとこ、じゃ。」
手を上げて、足早に去って行く。
その時、
「瞳子、あんた鍵、間違ってたでしょう。もしかしたら、さっきぶつかった時に間違えなかったですかって、聞きに来られた人がいたのよ。そう言えば、あの時、私も鍵をクルクルしながら、歩いてる時にぶつかったもんだから、取り違えてたかもしれないって言ったん、って、瞳子。」
ヤバい、ママの横を全速力で走り抜ける。
ママのバカァ。
振り向いてないけど、聞こえてたと思う。
私には、あの中身がなんなのか、分からない。
でも、あんなに探すの、変だよね。
「君!」
後ろから、中川さんの声が追いかける。
あー、もう、逃げたら余計、私が持ってるって思われるのに、でも、走り出した足は止められない。
ママ、恨むから!
エレベーターは、無理、だって追い付かれる。
ナース室の前を通り、児童館を横切ると、下に降りる階段がある。私、今日、ここ何度上り下りしたかしら。
全速力で階段を降り、そのまま下りようかとも思ったけど、男性の足だもの、下につくまでに追い付かれる。
リハビリ室の横を走り抜け、目の前には、隔離病棟へとつながる扉がある。
うー、変な病気になったらどうしよう。
でも、さすがに患者さんが、ウロウロはしていないよね。
そう思いながらも、後ろから階段を下りて来る音がする。
女は度胸、足を止めず、そのまま隔離病棟の扉を開けたのだ。
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