ヤルザと二人



「降りてない?どういうことだよ。記録取ってないだけじゃねぇのか?」


 2人だけの森の中、疑問だけが増えていく。ヤルザが知っている事と俺が知っている事。全てを知るにはそれだけでは圧倒的に足りないのは明白だった。


「記録は取らせてるわ。私がそうさせたもの。それでも何処にも降りた記録が無いの。バロールから飛び立って、一度もね。」

「あれくらいの船を動かすなら最低でも10人以上の乗組員は必要だ。でも船の中には食料も水も、人間すらもいなかった。ルメール以外はな。」

「無人の船内にあの子は閉じ込められていた。何が何だか訳が分からないわね…。」


 木の根を避けて歩きながら頭を抱えるヤルザ。中々器用な真似をする。

 そこまで役に立ちそうにはないが、俺もその時の状況を思い出してみた。


「誰もいない船…何も無い船内…」


 そんな状態で俺の頭の上を通り過ぎた船は、龍の咆哮がした後落ちて来た。


「………?あれ?」


 頭の中を何かが掠めた。何か、何か違和感がある。


「…何だ?何かおかしい。」


 落ちた船の中、誰も居ない上に何も無い。誰も居ない。


「…………あれ?」


 何かに辿り着きかけた思考は、急に開けた視界によって断ち切られた。


「リトス、着いたわよ。これは…中々派手にやられたわね。」

「まあな。俺の商品抱えて落ちやがったんだ。どうせならこれくらい派手にやられてくれねぇとなぁ?」

「物が無事なのが一番に決まってるでしょこのバカ。」

「はっ!ちげえねぇ。」


 軽口を叩いていると、先に行っていたヤルザの部下が戻って来るのが見えた。

 俺たちが話しているうちに先に行っていたその2人は、一足先に周辺の調査を終えていたらしい。

 報告を受けたヤルザは浮かない顔をしていた。


「で、どうだったって?」

「状況は変わらなかったわ。良い方にも悪い方にもね。」


 つまり、結局生存者はいなかったという事だ。信奉者達の船もゼドルも1人を残して全滅。もちろん俺を除いて、だが。


「まあ分かっていた事だけどね。後はこの目で確認して終わりよ。リトスも付き合いなさい。」

「言われずとも。ところで俺の商品は?」

「あら?まだそんな事言ってるの?」


 そう言って彼女は残骸を顎で示した。


「な…何の事やら?」

「リトス。」

「はい。」

「現実を見なさい。」

「嫌です。」

「扉の修繕費。まけてやったのを忘れたかしら。」

「はい……。」


 分かっていた。分かってはいたのだ。ゼドルの食料庫に入ったときにはもう壁のすぐ裏まで火の手は迫っていた。

 そして、倉庫は食糧庫のすぐ近くにあった。

 いやしかし、何かの拍子で火が消えていたかもしれない。消えていなくても燃え広がらなかったかもしれない。

 そう信じたかった。


「嘘だ…」


 こちらから見えていた船の裏側に回る。


「嘘だぁ…」


 まだ振り返らない。一縷の望みを消したくないから。


「何かの間違いであってくれ…」


 でも、振り返らねば終わらない。


「嘘だと言ってくれよヤルザぁ…」


「無理ね。諦めなさいな。」


 ゆっくり振り返った俺の目に映るのは。


 情け無く全焼し、燃え滓だけ残ったゼドル。その中身だった。

 勿論、食糧庫も倉庫も含め全てだ。


「リトス。」

「…なんだよヤルザ。」

「まぁ…今日の飯位なら奢ってあげるわよ。」

「あんたに貸しなんか作りたくないけど…今回のところはお言葉に甘えておくよ…。」

「いいから行くわよ。これで終わりじゃないんだから。」


 くずおれている俺を促してヤルザは踵を返した。

 残った仕事は二つ。犠牲者、そして信奉者の船の確認。この精神状態で乗り切れる気がしないが、ここで帰るわけにもいかない。


「あなた、先帰ってる?当初の目的は果たしたでしょ。」

「いや、行くよ。まだ調べたいことが残ってる。」

「あら?何かあったかしら。」



 折れた体を気合で奮い立たせ、俺はヤルザについていった。


「一応言っておくけどね。」

「なんだ?死体なら見慣れてるが。」


 ヤルザはため息を吐いてちらりとこちらを振り向いた。見た目が見た目なだけに凄く気持ちが悪い。

 口には出さないが。


「何か失礼なことを考えていた気がするけど気にしないでおいてあげる。あんたが言ってるのは斬られたり潰されたりしたモノだけでしょ。それとはわけが違うのよ。」

「わけが違うってどういう事だ?」

「すぐに分かるわ。…ほらもう来た。」


 そう言うとヤルザは顔を顰めて服の袖で顔をおおってしまう。

 どういう事かと俺は訝しんでいたが、一瞬の後にその理由を理解した。


「うおぇっ…何だこの臭い?ひでぇな。」

「…すぐに会えるわよ。この臭いを発してるモノにね。」


 どういう事か分からない俺を放置してまた森の中へ分け入っていくヤルザ。ゼドルの残骸を離れ、街と反対側の方向へ進んでいく。


「どういう事だよヤルザ。こっちは街と反対方向だ、ゼドルに乗ってた奴らが逃げた方向とは逆なんじゃねぇの?」


 俺の言葉にヤルザは振り向き、ただ近くにあった木を指し示した。


「あ?何だよ。」

「誰もがあなたみたいに常に冷静でいられるわけじゃないのよ。」


 ヤルザはこれで理解しろ、とばかりに踵を返して先に行ってしまった。


「はぁ?一体何なんだ――――は?何だこれ。」


 彼女が指し示した木。そこに不可解な物があった。

 そこらに落ちていた石を使ったのだろうか、木の肌に刻まれた矢印は今俺たちが進んでいた方を指している。

 龍がこんな事をするわけがないのは考えなくとも分かる。風の悪戯というのもあり得ない。

 地上にいる人間以外の生き物がやったのかもしれないが、それは俺の知らない事だ。そんな事を考慮しても意味は無い。

 となると、考えられるのは。


「あいつら…逃げる方向間違えちまったのか。」


 多くの人々の期待を集めて完成した新型船ゼドル。それがあっという間に落ちてしまったのだ。乗っていた奴等の絶望感は察するに余りある。


 錯乱して暴れ出す人もいただろう。

 意気消沈して何も出来なくなった人もいただろう。

 そんな中で響いてくる龍の声。

 心の底が震え出すような恐怖を呼び起こすあの咆哮は、正常な判断力を失わせて人間を逃げ惑わせるには本当に都合が良い。


「不幸な偶然が重なった結果、ってのか……。」

「そういう事。」


 いつの間にかすぐ後ろにヤルザがいた。心臓に悪い。


「あなたはどうにかしてウチまでの方角を知ったみたいだけど、あの子達はそうじゃなかったのよ。」

「…後ろに立つなら立つって言ってくれ。俺まで犠牲者の仲間入りするところだったぜ。」

「今からでも遅くはないわよ?」

「冗談きついぜ?」

「これも全部冗談で済めばどんなに良いかしらね…。こっちよ。」


 すぐに振り返ってしまったヤルザの表情を窺うことは出来なかったが、俺はどうにも違和感を感じていた。

 ファスの街の長という仕事上、ヤルザは人死になど慣れているはずだ。

 それなのに今彼女は随分沈んでいるように見えた。


「ヤルザ。何かあったのか?」

「何かというか…ね。まだ信じたくないことがあるの。それだけ。」

「珍しいな。お前がそんなこと言うなんて。」

「私だって人間よ。信じたくない事くらいあるし…人の死に慣れることもないわ。」


 それきりヤルザは黙り込んでしまった。もう話しかけるなとばかりに前を歩いていくその背中を俺はただ追いかける。

 その背中はいつもより小さく見えた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る