2-4 悪役令嬢よりも悪役らしい男。
普段通り出勤していたレイカは池尾先輩に会社裏の駐車場に呼び出されていた。
「お前……あのプレゼンを自分ひとりでやらせてくださいって久瀬係長に懇願したんだって?」
「……はい?」
「かぁ~、やっぱりデマかよ。相変わらず汚ったねぇマネするなぁ、アイツらは。いやな、社内のあちこちでそういう噂が流れてたからよぉ。念のためこうしてお前さんに直接確認してみたんだが……先手をやられちまったな、日南」
急に何を言われるのかと思えば、まさか事実無根のホラ話が広まっているという報告だった。
それも半ば業務命令のような無茶ぶりをされたのに、何故かレイカが出しゃばって立候補したかのような言い方をされている。
「あぁ、今から抗議しに行こうとしても多分ムダだぜ」
「……どうしてかしら?」
抗議すれば解決するとはさすがに思ってはいなかったが、せめてどういう意図があったのかを探りたかった。しかし今は久瀬係長に接触しない方がいいと池尾先輩に忠告されてしまった。
どうやらレイカが自分から我が儘をいって人の仕事を奪った挙句、善意で助けようと優しく手を差し伸ばしてきた係長を冷たくあしらったというデマも追加で流れているらしい。
それも、よりによってあのハラグロ先輩が率先して広めているのだとか。
「まったく馬鹿だよなぁ。そこで日南が失敗したら、上司に責任が及ばないとでも思っているのかねぇ?」
理由はどうであれ、仕事を回した上にレイカが単独でやることを許可したのは久瀬係長なのだ。部下のやったことなので関係ありません、で済むほど無責任な問題ではないのだ。
「で? お前さんはこれからどうするんだ?」
「――はぁ、どの世界も面倒な人間は居るものですね。どうするもなにも、引くことも出来ないのであれば、私一人でやる選択肢しかないじゃないですか。……でも一人では無理。と、いうことで――ねぇ、池尾先輩」
「なんだ」
「私を手伝ってくれませんか?」
レイカの含みの無いストレートな申し出が意外だったのか、眠たげな池尾の瞳が普段より大きく開いた。
だが池尾もそんな簡単に説得できるほど容易い性格はしていない。
この性格のひん曲がっている男は素直に頷かなかった。
「どうして俺がお前さんを助けなきゃならねぇ。 それに、なんで俺なんだ?」
試すかのようにニヤりと口角を上げながら疑問に疑問を返す池尾。
いい歳したオジサンが年下の女性で
「こうして私を呼び出してわざわざそんな噂の情報を教えてくださったことが理由かしら?」
「……ほう?」
「お互いオエライ方々からは嫌われてますものね。同情したのかは分かりませんが……どうせ、最初から手助けするつもりだったのでしょう?」
「へへっ、それもどうしてだ? そんな紳士な男だと思っていたのか?」
「ふふふ、まさか。貴方ほど有能で怠惰な人間、そうそうおりませんわ。池尾先輩のことですから、お目付け役だなんだと都合の良い理由をつけて仕事をサボるおつもりでしょう? 私を監視しておけば上司からも公認。さらに言えば、このプレゼンがどう転んでも自分にはノーダメージというオマケ付き」
「クッ……くははははっ! さすがじゃねぇか。やっぱ生まれ変わったオンナは頭が冴えてるねぇ」
どうやら図星だったらしい。
否定することも無く腹を押さえて笑っている。
この男には玲華がレイカになったことは教えてはいないが、以前より性格が余りに変わったのでそう言っているのだろう。
「くははは。いやあ、ちげぇねーんだけどよ。オンナに俺のことをこうも見透かされるってのは何だか怖いねぇ」
「……先輩、ここは禁煙ですよ」
レイカの注意を無視してシュボッと紙煙草に火を
紫煙と共にクククと笑い声を
悪い人間では無いようだが、良い人間でもないだろう。
だがそんな性格だからこそ、レイカはこの男を信じられそうな予感がしていた。
「仕方ねぇ、俺が嫌われ者仲間の為に一肌脱いでやるよ。取り敢えず情報の集め方から資料の作り方、医者の好みのオンナまで叩き込んでやるからな。厳しくいくから覚悟しろよ?」
「ありがとう! もちろん、望むところですわ!!」
こうしてレイカのプレゼンテーションのための猛練習が始まった。
あれほど嫌だと思った残業も自分の身になると思えば苦にもならない。
さっそくこの日からレイカは職場に残り、資料作りの為にパソコンのキーボードを叩く。
時間も遅く、すでにこのフロアには彼女しか残っていない――はずなのだが。
暗闇から彼女の努力を笑う人影があった。
この件の黒幕である久瀬係長と黒原先輩だ。
「ふひひっ。これは結果が楽しみだ」
「えぇ、せいぜい無駄な足掻きをしてもらいますわ」
実ることの無い努力をする部下、後輩が苦しむ姿は普段のストレス発散には最高なのだろう。
このコンビは今までもこうして気に入らない社員を苛め抜いてきた。
「――なぁ、黒原君。どうかな、これをネタに今から前祝いにでも」
「いいですわね! 美味しいお酒が呑めそうだわ」
まるで長年連れ添った夫婦のように、この二人は仲良さげな雰囲気を
『ちっ、このクソブスが。昔は簡単に股を開いたっていうのに、このところお高くとまりやがって』
『金払いが良かったからカラダを許したけど、アレは貧相でド下手なのよね……最近じゃ若い女にばっか色目使いやがって、このデブが』
久瀬も黒原も40歳を超えて未だに独り身である理由は……御覧の通り、お察しである。
二人が黒いオーラを放ちながらオフィスから去った後、レイカは満面の笑みを浮かべていた。
楽しくて仕方が無いのである。
もともと人前でプレゼンをすることも、そのために知識を吸収するのも得意で好きだったのだ。
なにしろ元王妃候補である。一国を背負う重圧に比べたら、数人の医者の前に立つ程度なんて屁でもない。
――しかし、彼女は熱中し過ぎた。
非常に重大なミスをしていたことに、まったく気付いていなかったのだ。
「姉さん……遅いなあ」
家で家事をしながら姉の帰りを待つ、可愛い弟への残業連絡をすっかり忘れていたのである。
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