1-5 いざ、日本食を食べに出発!

 空腹に限界を迎えたレイカは、ようやく腹ごしらえをすることにした。

 独り暮らしをしているアパートの外へ行くのは、先刻この日本に来たばかりのレイカは初めてだ。



 お風呂に入る前とは違い、現在の彼女は最低限の身嗜みだしなみを整えてある。

 なんとレイカは、それまでずっとスーツ姿のままだったのだ。



 つまり日南ひなみ 玲華れいかはスーツで帰宅し、そのまま床に倒れて死にかけていたらしい。

 それほどまでに心身が疲労していたわけだが――今は違う。


 レイカはシャワーを浴びることで血行を良くしながらも、魔力を使って己の身体を回復させていたのだ。

 まだ身体の外に魔法を放つといったことは出来ないが、身体強化や治癒能力を高める程度のことは可能になった。


 晴れて健康を取り戻したレイカ。お陰でお腹もグゥグゥと鳴っている。

 さすがに彼女の魔法では空腹を満たすことまでは不可能だった。


 クローゼットの隅に掛けられていた玲華の古ぼけたワンピースを身に着け、見たことも無い素材のタイツに戸惑い、かかとの擦り減ったパンプスを履いたレイカは、意気揚々とテンションマックスの状態で玄関を飛び出した。




 ◇


「あっつい!! なっんて暑さなのよ、この国は……!」



 現在の季節は夏。

 6月の日本は梅雨の真っ只中で、非常に蒸し暑い。


 元々住んでいたファスティア王国は年間を通して涼しかったこともあり、とても過ごしやすい陽気だった。

 知識としてそういう気候の国もあるのだと理解することが出来ても、初めて体験する気温に驚きを隠せないレイカ。


 これはまるで幼い頃に読んだ物語に登場した、灼熱の砂漠のよう。

 ただし今彼女の目の前に広がっているのは砂やサボテンではなく、アスファルトの地面に鉄筋で作られた建物。



 たしかに王城や公爵邸に比べれば華やかさは無いが、これはこれで興味深い。

 おそらく装飾よりも機能美を追求した結果なのだろうと勝手に推測しつつ、乱立するビルを興味深くチェックしていく。

 傍目はためから見たら完全に不審者だが、そんなことは夢中になっている彼女が気にするわけがない。



 そんなことをしているうちに、レイカはこの四方山よもやま市で一番栄えている駅前通りまでやってきていた。


 いつも会社に向かう際に利用しているこの四方山よもやま駅は土曜日の昼間ということもあって、様々な年代の人たちで混み合っている。


 制服を着崩したギャルっぽい女子高生のグループやこれから観光に向かう様子の外国人、スーツがバッチリとキマっているイケメンといった多種多様な人たちが右へ左へとレイカの目の前を流れていく。



「はえぇ~、すっごい人の数。これだけ多くの人間を統率するなんて、この国の代表の統治は優れているようだわ。私も見習いたいわね……」



 ――ドンッ!



「いたっ」

「っち……邪魔くせぇんだよ、ブス!」


「な、なんですって!? ちょっと、それってどういう事よ……って待ちなさいっ!?」



 立ったまま少し考え込んでいたら、向かいからやってきた若い男にすれ違いざまで肩をぶつけられたレイカ。

 まだ新しい身体に慣れていないせいか、そのままよろけてしまった。



「――大丈夫ですか?」

「え? あっ、えぇ……問題ないわ」



 ついさっき人混みの中に見掛けたスーツ姿の男性が、倒れそうになっていた彼女を片手で優しく支えてくれた。

 それはそのスマートなスーツ越しでは想像できないような逞しい腕。


 ある程度の武道のたしなみがあるレイカは、この男性が普段から鍛錬を積んでいると一瞬で察した。そんなことを逡巡しているレイカを見て、男性は心配そうな表情から冷めた表情へと変える。



「それは良かった。危ないから次はお気を付けを」

「な、なによ? 私が悪いっていうの……って待ちなさいよ貴方あなたっ!」



 最後まで文句を言い終わる前に、スーツの男性はレイカの無事を確認すると足早に立ち去って行ってしまった。

 この男性の紳士的な対応に免じて、先ほどの無礼を許してやろうとしたのに。レイカは彼のそっけない態度に怒りが再燃してしまった。



「なんなのよ、もう。この国の殿方はレディに対する扱いが酷すぎるわ!」



 そもそも最初の男も、初めて出会った女性に対してブスとは無礼千万だ。


 今着ている服だって、この世界で初めて選んだ精いっぱいのオシャレだったのに。

 元の世界では無かった縫製や生地を使用した、斬新なファッションなのである。


 ――たしかに玲華の記憶では、コレを購入したのが何年も前の中古のバーゲン品ではあったのだが。



 それに顔だって、家を出る前に鏡で確認した時はそこそこ整った顔をしていたはずだ。



「……いえ。たしかに髪の長さもバラバラで、ノーメイクの芋臭い顔なのかも」


 駅ビルのショーウインドーに映る自分を見て、冷静に思い直すレイカ。



 多忙を言い訳にして美容院も行かず、自分の工作用ハサミで整えていたのだ。

 別段切る技術もないのだから、そりゃあダサくもなる。


 それによく考えればこの往来でボーっとしていた自分が悪かったかもしれない。

 そもそも自分はあの男性にお礼も言っていなかった。



「礼儀がなっていなかったのは私の方だったわ……」



 初めてのお出掛けなのに、なんだか悲しくなってきた。


 だが、ここでめげないのが彼女の長所。タダでは折れない。曲がらない。へこたれる時間があるのなら、即改善する行動を始められる強さを持っている。



「……うん。折角の機会ですし、ご飯を食べたら美容院に行っておきましょう!」



 一度は一生を懸けた努力を他人に奪われた彼女だ。知らない他人の悪口など、彼女を傷つけられやしないのだ。

 美容の努力など、今までの王子からの扱いや王妃教育の辛さに比べたら屁でもない。



 すっかり元気を取り戻したレイカは、ルンルン気分で駅ビルの中にあるレストランフロアへと歩いていった。






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