2、文字から想起されるイメージの共有

◎文章中における未知情報と、読者の既存知識を把握すること



 文字とは、ある情報を持つ者Aが、それを持たないB or 未来のA自身へと、その情報を伝えるために用いられます。


 情報伝達のためには、その文字や文字の連続体である文章が指し示す意味を、AとBとで共有していなくてはいけません。

 また、文字や文章が指し示す「モノ」を、AとBとが共通して思い浮かべられる必要があります。


 例えば、「林檎」の二文字を見たとき、読み手はこれを「リンゴ」と読み、

「赤くて丸い、両手に乗るサイズの果物」を想起するでしょう。


 書き手である私と、読み手である「今この文章を読んでくれているあなた」が、


林檎=リンゴ=赤くて丸い、両手に乗るサイズの果物=🍎


という方程式を共有している前提に基づいて、書き手である私は、文章のなかに「林檎」という単語を用いるのです。


 そのため、文章中に用いる単語は、一般的に広く認識されている文字を使う必要があります。

 「яблоко」と書いては、大方の人は読めませんし、

「苹果」と書いては、読めはしないこともないけれど、すぐにその意味を解することができません。


 また、指し示される「モノ」自体や、「モノ」を表す単語が、普遍的なものではない場合、必要に応じて説明が求められます。


 「釣鐘瓜」というウリ科の果実を例に出します。

 この果実がいかなるものか、書き手と読み手との間には、共通理解の方程式が確立されていません。

 以下の説明は、読み手へと「釣鐘瓜」の具体的なイメージを持ってもらうためのアクションです。



【例文、釣鐘瓜について】


 釣鐘瓜とは、ウクライナ語で「釣鐘のカボチャ」と呼ばれる瓢箪の一種です。

 約20cmから30cmに成長する果実は、黄味がかった艶やかな肌合で、下膨れな細長い形をしています。ちょうど教会の釣鐘のように見えることから、名付けられたと言われています。

 果肉は薄いため、もっぱら食べられるのは種部分です。ベージュ色の種は、炒ることで薄緑色へと変色します。ひまわりの種と似た大きさ、形ながら、殻はありません。食べるときにゴミが出ないことから、子どものオヤツとしても広く食べられています。





 ……だいたい、ご想像いただけたでしょうか。

 「カボチャ」「瓢箪」「釣鐘形」といった既存知識を複合して、「釣鐘瓜」という新たな既存知識が形成されたことと思います。

 未知情報が既知情報へと変わりましたね。


 さて、この「釣鐘瓜」。実は私の想像の中にしかない空想上の植物です。

 それでも、上記のとおり「釣鐘瓜」の説明がなされたことによって、私たちは「釣鐘瓜」に対する共通認識を有しました。


 では、再び例文。



──ヴィクトールは、お遣いの道々に食べるようにと母から渡された釣鐘瓜の種を、三十歩ごとにひとつずつ、麻の小袋から取り出しては、森の道を進んだ。




 先程まで知らなかったはずの「釣鐘瓜の種」という単語に、違和感を持つことなく、読み進められたと思います。


 読者にとって「未知情報」だった「釣鐘瓜」の存在が、説明による既存知識に基づいたイメージ形成を経て、「既知情報」へと変わったためです。



 書き手は文章を通して、読み手にとっての「未知情報」を「既知情報」へと変える必要があります。

 その変換=イメージ形成は、読み手の既存知識に頼って行われるものです。


 そのため、文章を書くさいには、


①伝えたいイメージを明確に想起すること

②読み手の既存知識に基づいたイメージ形成を心がけること


この二点に気を付ける必要があると考えています。

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