第84話 絶望
「別の事って何?」
アラミスは前よりも格段に強く床を踏みつけ、話しかけるヒロの方に目を向けることもなく、ひたすら歩き続けた。
「身寄りのない子どもたちを城に連れてきては、将来の為にと、彼らに教養を身につけさせたのです。あなたを庇い亡くなった彼女……ベガもその内の一人でした。彼女は特にミッカ様に可愛がられていたらしい。子どもたちに寄り添い、手を差し伸べる。そのお姿はもはや聖母のようでした。
そんな時、あなたが産まれたのです。
私はミッカ様の心から幸せそうなあの時の笑顔が、今でもこの胸に焼き付いています。
ついに念願叶い、あなたと二人で平穏な幸せを手に入れるはずだったのに……」
そして、アラミスはあらゆるものが斜めに歪んでいるあの部屋の前で立ち止まる。
入るのにとても勇気がいる様子で、ふーっと深い溜息をついて、一旦、目をぐっと閉じてから思いっきりドアを開けた。
「……しかし、ミッカ様の幸せは長続きしなかった。あなたが産まれて数ヶ月後、此処よりさらに東にある小国ミルフォスの襲撃を受けたからです」
彼は暖炉の前に行き、そのままあの穴が空いている壁の方へと向かう。
「我々は圧倒的に兵力が足りなかった…………。
陛下はお優しい方でしたが、決して戦上手ではありませんでした。あれよあれよという間に最後の砦も撃ち破られ、敵兵に見つかり討ち死にする直前に、ミッカ様とあなたを救い出すように遺言を残されたのです。私はその命に従い、そのまま陛下を置いて無我夢中で城へと引き返した。しかし舞い戻った時には、何もかもすでに手遅れの状態でした」
アラミスは壁に打ち付けられた木の板を、バキバキといきなり素手で剥がし始めた。
古い木の欠片が手に刺さり所々出血していたが、それでも何かに憑かれたように一心不乱で手を動かす。
そんな鬼気迫る様子に圧倒されてヒロたちは何の言葉もかけることができなかった。
「城は煙に巻かれ城兵たちが折り重なるように亡くなっていましたが、どの場所よりもこの部屋の状況が一番酷かった。壁も天井も、それから人も。あらゆるもの全てが粉々に破壊され、穴に方に歪んでいた。私はそんな惨状を目の当たりにし、驚き慌ててこの穴から外へと出たのです」
木の板がすべて外れ、剥き出しになった穴から抜けるとそこには大きな湖が広がっていた。
湖側から吹く風がさぁぁあと穴から部屋の中へ吹き込み、散乱している部屋中のものがふわふわと舞い始める。
そんな湖の方へ向かうと、見晴らしの良い場所に摘み立ての美しいピンク色の花が供えてあった。
「……あなたの御母上ミッカ様はこの場所で丁重に埋葬されていました。
ベガは暖炉に逃げ込み助かった唯一の生存者で、彼女は何者かが部屋を歩き回っていたと証言していました。その人物が埋葬した際にミッカ様の遺体から指輪を外し、そして赤子だったあなたを連れ去った。母を失ったあなたが不憫だったのか、それとも他の理由からか。
何れにせよ、あなたにあの指輪を託したということは、その養父こそがミッカ様を埋葬した人物だったということです」
そう考えるとすべての辻褄が合うことになる。
ダリルモアが指輪を持っていた理由も。母親を失った赤子ヒロを連れてササの元へ乳を求めに行った理由も。
そしてアラミスは試すような目つきでヒロを見た。
「王太子殿下。……ミッカ様の死因は刀傷によるものではありませんでした」
ヒロは急に息苦しくなり、段々と呼吸が荒くなった。
頭が真っ白になり、今自分がキチンと空気を吸えているのか、今どんな顔をしているのかわからなくなってくる。
心臓の鼓動がどくっ、どくっと瞬く間に激しくなり、次第に手にじっとり汗をかいてきた。
彼の試すような視線からも、言わんとすることは容易に想像することが出来る。
そして、その真実こそが絶望そのものだった。
この何もかもが歪み、破壊し尽くされた部屋にいた彼女は、遂に待望の男子を授かり、幸せを手に入れたにもかかわらず、その愛する息子が持つ忌まわしい力によって葬られてしまったのだ。いや彼女だけではない。あの部屋にいた全員だ。
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