第2話 運命の子

 ダリルモアはカルオロンから流れる川に沿って東へと向かった。

 カルオロン付近では平地で比較的穏やかな川の流れも、東へと進むにつれ両岸は崖状の地層を表し、川の流れもいささか急になってくる。


 カルオロンより東は主に豪族や部族が支配する地域。

 彼らは自分たちの領域が侵されるのを極力嫌う。ここはあえて街道をゆくのではなく、道の悪い川沿いを進むこととした。

 途中で馬を休ませたりしながら、あてもなく進み続けると、自分はもう一人になってしまったとあらためて実感する。

 皆と過ごした時間はかけがえのないものであり、あの時に戻ることは永遠にないのだ。そんなダリルモアに川のせせらぎだけが優しく語り掛けるようであった。


 ふと見上げると、遠くの方にあちらこちら煙が立ちのぼっている。

 慌てて川から街道の方へと道を反れ、煙の方向へと進むと、目に飛び込んできたのは、襲撃を受け焼け落ちた城と、城兵たちの無残な姿であった。

 すでに一線から退いた彼の記憶が確かならば、この辺りは東の小国の一つパシャレモであろう。肥沃な土壌と、川からの恵みを受ける豊かな国だったはず。


「戦か……」

 ダリルモアは馬から降り、煙立ち込める中を歩いた。

 焼け焦げた木々の匂いに混じって、人の肉の焼けた匂いが立ち込める。

 かつて、戦で何度も嗅いだことのある匂いだ。

 漆黒の闇の中、何もかもが黒く焼け焦げた中に、ダリルモアの着ている茶色の着物だけがぼんやりと浮かび上がっている。


 ようやく、城の前へとたどり着いたが、ここまで生存者は見当たらない。

 赤茶色の石で作られた城はこぢんまりとしていて、ヒュウシャーの居住していたカルオロンの城とは比べものにならなかった。

 国力の差は軍事力にも直接比例するのであろうか。そんなことを考えながら城内部へと歩いて行く。


 城内でも侍女や、侍従、城兵が折り重なるように亡くなっている。

 多くは煙に巻かれたのだろう、息もできず、どちらに逃げたらよいかもわからないまま死んでいったと思われる遺体は見るに忍びない。


 更に進むと、身分の高いものが使用する個人的な棟へと出た。

 ダリルモアはこの棟に来て、以前とは違う建物の様子に気づいた。煙が立ち込めていないのだ。その代わり建物内部の損傷が激しい。遺体も同様だ。


 寝室らしき部屋で、ボロボロになってしまった人形を見つけた。人形は犬のような狼のような形をしており、部屋を見渡すと赤子が使用する寝具も置かれている。きっと生まれた赤子を囲んで楽しいひと時を過ごしていたのかと思うと胸が痛み、その人形を拾い上げると、すぐに崩れて風に飛ばされてしまった。


 そして、その先の居間へ進んだ途端言葉を失った。

「なんだ……? この部屋は……」


 その部屋はかつて居間であったと思われるが、壁や天井すべてが凄まじい威力で破壊されつくし原形を留めておらず、一部では壁に穴も開いている。

 かつて数々の修羅場をくぐり抜けてきたダリルモアでさえも、こんな戦場は見たことがない。

 穴の開いた壁は外へと繋がり、ダリルモアは破壊された壁を見上げながら屋外へと出たが、石の外壁は所どころ破砕されていた。

 城の裏側には湖が広がっていて、湖は煙に包まれている城を哀しく映し出している。


 その水面をしばらく眺めているとふと何か聞こえたような気がした。

「山猫か……?」

 パシャレモは山脈の北側に位置する。地理的に見て山猫が生息していてもなんらおかしくはない。

 しばらく耳を澄ますと、やはり山猫が何かを要求するときのような鳴き声が聞こえる。

「いや……本当に山猫か?」

 山猫は時として、人間の赤子によく似た鳴き声を出すことがある。


「あの人形!」


 急いで鳴き声がする方へと走ると、さきほどは木の陰に隠れていて確認できなかったが、湖岸に人の姿が見える。

 近寄ってみると、女が赤子を抱いて倒れていた。

 女は見たところ二十歳位で、腰まである黒髪を後ろで束ね、頭に質素な飾りをつけていた。

 恐らく赤子の母親であり、身なりからしてこの国の妃であろう。

 抱いている赤子はか細い声で泣いている。


「大事ないか? 気をたしかにもつのだぞ!」


 問いかけに対して何の反応もしない女は、顔や体、至る所から出血していた。

 しかし赤子は無傷で、女が湖からの水がかからないように、しっかり抱きかかえている。


 湖岸に打ち寄せる波が女と赤子にかかりそうになったため、ダリルモアは思わず赤子を抱き上げた。すると、赤子を奪われたと思う本能から女は薄目を開けた。

「ヒロ……」

「ヒロという名なのか? 大丈夫だぞ。赤子は無事だ」

 ダリルモアが女を励ますと、意識が朦朧とし最初は別の方向を見ていたが、次第に状況を理解したようでダリルモアの方にゆっくりと目を向けた。


「その子は、ヒロ……教え導くという意味です。私たちはミルフォスから襲撃をうけ、逃げまどう中……この子が……。だから私は湖で一緒に死のうと思ったのです……。でも、できなかった……」

 女はダリルモアの腕の中で抱かれている赤子に手を伸ばし、頬をさわりながら涙を流した。


「名のある騎士様とお見受けします。どうかこの子……ヒロを助けてください……。できれば強く逞しく、優しい子に……」

「しかと心得た。安心なさい」

 頭を優しく撫でると、そのまま女は安堵したのか息を引きとった。

 ダリルモアは普段、めったに涙は流さない男であったが、今度ばかりは無念の死を遂げた女のために涙した。


 どんな気持ちで子を残して死んでいったかと思うと痛切に心に響いてくる。

 そして、赤子は今まさに実の母が息絶えたというのに、さきほどの泣き声から一転、喃語を話しながら顔中に笑顔が広がっている。

 その矛盾になんとも言えない物悲しさが感じられるのだ。


 受け取った赤子は、ふわふわした黒髪に青い瞳の澄んだ目をもつ男の子であった。

 生まれてから数か月は経っているのであろう、首もしっかりとすわり、時折男子らしい力強さでダリルモアの服を引っ張って遊んだり、後ろにのけ反ったりしている。

 つい先程まで、襲撃の惨状を目の当たりにしたダリルモアにとって、彼の純粋無垢な青い瞳は精神を落ち着かせてくれた。


「ひとり者同士一緒にいくか?」

 ダリルモアは赤子の顔を覗き込みながらそう言った時、彼の服を引っ張り、懐へと手を伸ばしはじめた。

 懐の中にはヒュウシャーの指輪を忍ばせてあったのだが、その指輪に触れた瞬間、急に赤子の眼が赤く光ってダリルモアをジッと見つめていた。


 赤子の眼は挑むようにこちらを見ている。

 それはまるでダリルモアの心の内を問いかけるかのように。


(ねえ、世の中を変える事なんて本当にできると思う? あなたには一体何ができるの?)


 赤子はふわふわの黒髪をなびかせダリルモアの心に直接語りかけてくる。


「もしかして……お前が私を呼んだのか?」

 ヒュウシャーの城で空に赤星のようなものを見て、その星に導かれここまでやってきた。

 ここまで来た事、すべてこの子に巡り合う運命だったのか?


 ダリルモアの脳裏にヒュウシャーから言われた言葉が蘇る。

(コドモタチ)


 ダリルモアは赤子に視線を向けたまま

「そうか! お前が運命の子!!」

 と叫んだが、赤子の眼はもうすでに赤く光ってはおらず、また先程のように澄んだ目をして服をいじっていた。


 叶うなら一からやり直してみよう! あのかけがえのない時を取り戻すために。


「ヒロ、今日から私がお前の父さんだ!」

 心を決めたダリルモアは赤子を抱き上げ、力強い声で言った。

 ヒロはつい今しがたの様子とは打って変わって、抱き上げられた途端、溢れんばかりの笑顔に喃語を話している。まるでダリルモアに父さんと語りかけているような口調だった。


 その後、ダリルモアはヒロの実母の遺体を、湖が見える見晴らしのよい場所に埋葬した。

 今後、彼がこの城に帰ってくることになったとしてもすぐに母の墓だとわかるように。

「いつかお前がここに帰ってきたら、御母上に伝えるのだぞ。一度父さんは生きる希望すら失くしたが、御母上から引き継いだお前と出会って再び歩むことを決めたのだと」


 もうダリルモアに迷いはなかった。

 数奇な運命によって導かれ出会った(コドモタチ)。

 もしヒロが本物なら自分にできることはたった一つだ。


 煙が立ち上る中、東の空が明るくなり徐々に燃えてしまった木々や城を照らしていく。

 それは黒一色だった世界を消し去っていくかのようだった。

 こうして孤高の剣士ダリルモアはヒロと出会い新たな道を進むこととなったのである。






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