本の感想:小説15冊

青切

高橋源一郎さん

日本文学盛衰史:わたしたちはなにをかいたらよいのか

 高橋源一郎さんの「日本文学盛衰史」を読んだので、その感想を書く。


〇悩んで死ぬしかなかった


 二葉亭四迷は悩んで死ぬしかなかった。

 それが宿命だったというのは、ひどい言い方だろうか。

 私はそうは思わず、何となくだが勇気づけられる。

 人は悩んで成すすべなく死んでいっても構わない。



〇平安時代にカメラがあれば、あんなに和歌は作られなかった


 作中で、自然主義派の代表であるやまたいが、アダルトビデオを撮る際に、要約すると次のようなことをAV監督から言われた。


あるがままに描写したいのなら、小説なんか書かずに、描写したい物のまえにビデオを置けばいい。


 私たちが古典を読むのを途中であきらめる理由のひとつに、景色の描写がある。

 舞台となる土地の描写が延々とつづき、耐え切れずに本を置く。

 ただ、忘れてはいけないのは、古典の長々と続く景色の描写は、当時の読者の需要を反映したものだった。

 むかしは自分の住む土地を離れることが今ほど容易ではなく、また、カメラもテレビもなかったので、知らない土地の景色の描写を人々は求めていた。

 私たちにとってはたいくつな描写も、作品の書かれた当時の人々は興奮しながら読んだ。

 逆に言えば、今から書かれる小説の風景描写は、本当に必要なものだけを書かなければならない。

 写真や動画の代用としての風景描写は、もはや不要どころか害悪ですらある。


 いまの時代は、スマホで見たいときに画像や動画を見れて、聴きたいときに音楽を聴ける。

 動画をみる。音楽を聴く。その代用でしかない文章はもはやらない。


 時代にあわせて、小説や詩に求められるものは変化する。

 それ自体は昔から同じだ。

 しかし、今までとは変化の質がちがう。

 それを読者より半歩先に気がついた者が、職業として作家を選択できる。

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