32話-既知-
カナエ・シモツキ(仮称)が盗聴工作を行っていた、その全くの同時刻。
政治家同士が集まった部屋の下の階で、同じく盗聴行為をしている者がいた。
◆ ◆ ◆
天井に向けてマイクをかざしながら、上の階で行われていると事前に聞いていた秘密会談について盗聴を行う。
一旦イヤホンを外して椅子の上から降り、その場に座りなおしたボクは。
「……ハメられた……」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて、その場にしゃがみ込むことしかできなかった。
今ボクは、商談のため、という名目で変装し、偽名を使い、ホテル【武侠閣】の高層階の一室に宿泊している。
二時間前に入室した室内では、 物品の配置を細部まで取り換えて聴覚を敏感にし、尚且つ押し黙って意識を集中させられる【巒頭】を作り上げた。
全ては、すぐ下にあるスイートルームで行われている、櫻宗国とチェルージュ、お互いの政府情報部の秘密会談を盗聴するためだった。
そして、文脈から気づいた。
自分が、仮想敵国たる櫻宗人に騙されていたことに。
文脈から言って、【歌声】の施設に侵入した櫻宗人。
そんなの、一人しかいない。
ボクがソラン島で出会ったアイドルプロデューサー・カナエ・シモツキは、櫻宗国の送り込んだ諜報員だったのだ。
「……なぜ、見抜けなかったんだ」
盗聴している間、驚きより先に、見抜けなかったことの情けなさが先に来た。
今現在冷戦状態にある仮想敵国のスパイを、そうとは知らず国内に招き入れ。
あまつさえ、国家元首たる総書記の眼前に立たせてしまった。
だがボクが不覚の念に囚われている間にも、会談は続いていた。
盗聴先にいるチェルージュ保衛部長官・ラフィットは、スパイに秘密基地に潜入されたにも関わらず、逆上しているようなそぶりをみせていなかった。
胸の中にある何かを振り払うように一瞬のうちに気持ちを整理し、ボクは再び盗聴に意識を集中させた。
◆ ◆ ◆
2週間前。
立法機関であるマスーデ議事堂・正門の整然と並ぶ円柱の下で、ボクはその話を持ち掛けられた。
ソファのすぐ隣で、プライベートのような距離感で、地方視察の帰りらしきカトリーヌが彼女に話しかけてきた。
「ウチの上司が、ソラン島のホテルで密談を行うみたいなのよね」
その様子を盗聴して届けてほしい。
そう彼女は言ってきた。
なお、密談の相手は彼女も知らない……とカトリーヌは言っていたが、口ぶりから言って恐らく知ってて敢えてボクには隠している。
「……死ねって言ってるのか。密談の盗聴なんて、バレたら極刑ものだ」
「逆よ逆。上司の企みを明かして、こっちが手柄を貰えるチャンスかも」
「……なんでキミの上司が不正をしている前提なんだ」
「ウチの上司さ、どーも何を考えてるのか読めないのよね。ただ適当な話し合いをするためだけに、わざわざ海外で会談をするとは思えない」
なお、彼女もソラン島での会談に同行予定だが、ホテルのロビーでの警護を任されており、会談に同席はできないらしい。
彼女曰く、自分が不信感を抱いているのを察知されて、そのポジションにさせられた、とのことだった。
「でもなぜ、ボクなんだ?」
対外経済委員会の交渉員を肩書とするボクの職務からはズレている。
「それこそ、キミの部下にやらせればいいだろう」
この言葉はちょっとした当てつけだった。
チェルージュにも保衛部下に諜報機関があるが、諜報機関とは名ばかりで反革命分子とされた人間を拷問する、単なるサディスティックな人間の集団だ。
「むしろアナタじゃなきゃできない仕事よ。私みたいな将校とか、一兵士が工作活動しようったって不自然でしょう? それにさ。主要任務こそ経済委員会の交渉員だけど、貴方は私たちと違ってとても自由に動ける人間じゃない。何といっても、私たちとは根本から―――」
「やればいいんだろ?」
言った後、少し後悔した。
少し感情的過ぎた。
確かにボクは、通常の人間と比べて特異な経歴と、出自を持ち合わせた存在だ。
それをチェルージュの政界の人間に揶揄されたことだって、一度や二度程度ではない。
「余計な心配はしなくていいわ。あなたの故郷には、すでに了解を得てるから」
だが正にその出自ゆえに、ボクは対外経済委員会の交渉員でありながら、軍部や政府機関の中をある程度自由に動き回ることができていた。
保衛部の任務を、【巒頭】によって補助したこともある。
ボクという特殊な存在が、チェルージュにとってどの程度の有用性を秘めているかを調査するために、ボクの故郷はある種実験的に様々な任務に派遣ているのだ。
チェルージュ出身のアイドルであるアルルカのプロデュースを任されているのも、かつてチェルージュ人民軍音楽隊に派遣された際、同隊所属であった彼女に、より海外市場を意識した歌手活動を行うように促したことがきっかけとなっていた。
「工作活動なら、ボクも多少の心得がある」
ボクは政官たちの揶揄を、対外経済委員会や保衛部などあらゆる部署において結果を出すことで黙らせてきた。
そうやって政官たちを見返す癖がついていたボクは、この時半ば皮肉気に自分の出自を言ってきたカトリーヌに対して、感情的になって彼女の提案を承諾してしまっていた。
自分の、存在証明のために動く。
この世に生を受けて以来の、僕の行動理念だった。
元来の行動理念と、その場で皮肉を言われたが故の感情が、半ば反射的に、カトリーヌの提案への承諾をさせてしまっていた。
やや浅はかともいえた行動はボクにとって、正解だったのか、不正解だったのか。
◆ ◆ ◆
軍事政権の高官たちと、自国の政治家が、二国家間に関する取り決めをしているのが聞こえてきた。
恐らく櫻宗人と思われる人間たちが、大喜びをする声が聞こえてくる。
ホテル【武侠閣】の、秘密会談が行われた真上の部屋で、ボクは柄でもない盗聴を行うに至っていた。
そして、誰一人いない部屋で、ボクは二つのことを知った。
一つは、一連のプロジェクトが櫻宗国側のスパイ工作のカモフラージュであったこと。
もう一つは、そしてそのスパイ工作すらも、我が国の保衛部と、櫻宗の諜報機関の間で行われた裏工作のための囮に過ぎなかったことだった。
ヘッドホンを外して、ボクはソファにもたれかかった。
「…………………………………………はぁ」
脱力。
今の心境を一言で表すとしたらそれだった。
―――経済委員会交渉員のボクが色々方策を弄しなくても、こんなに簡単に金がに入って来るのか。
何もかもが青天の霹靂な情報だった会談の盗聴後、ボクの頭をふとそんな例えが通よぎった。
この場にアルルカがいたら、柄にもない空笑いをしているボクを見て少々驚いたかもしれない。
カナエ・シモツキが向こうのスパイだったこと自体へのショックも大きかったが、資本主義国を悪しき帝国として敵対視しているチェルージュの、特に保守的な機関である保衛部が、最たる仮想敵国である櫻宗国の情報部の持ち掛けた工作に応じるとは。
―――僕たちの一年以上続いた活動も、マッチポンプじみた政治交渉のための茶番でしかなかったということか。
ボクは、無意識のうちに一連のスパイのやりとりの記憶に思いをはせていた。
カナエ・シモツキとの交渉。
二国のアイドルのパフォーマンスを見せあった疑似ライブ。
カナエ・シモツキの総主席への謁見と、チェルージュ視察。
ボクはあの一連のやりとりの中で、カナエ・シモツキを名乗る女性とアイドルのコラボプロジェクトについて語っているとき、ボクは祖国や、二国間の未来の展望が少しでも変わることを期待していた。
知らず知らずのうちに、期待してしまっていた。
ボクや、アルルカや、この国自体に。
だが、その期待は今無惨にも砕け散った。
ものの一時間で終わった、今下の階で行われた秘密会談の盗聴によって。
何かを変えようとするためのボクらの活動は、実際は何かを変えないための活動の一部分にすぎなかったのだ。
だが、無理もないのかもしれない。
偽りのものを造ることなど、チェルージュの政治家にとっては慣れっこなのだろう。
ボクが、そうであったように。
結果的に、助かったともいえる。
カナエ・シモツキを名乗る女性の工作活動が茶番ではなく本当にチェルージュを出し抜く行為だった場合、ボクはスパイを見抜けなかった責任を取らされて逮捕・拘束されていただろうから。
それに、ボク自身の出自を考えても、操り人形はおあつらえ向きの役どころと言えた。
だが。
ボクが感じたのは、虚しさだった。
取引相手のカナエが、スパイだったことへの虚しさ。
スパイが潜伏する道具として、自分とアルルカを利用されたことへの虚しさ。
我々の取引全てが、上層部同士の画策による茶番にすぎなかったことへの虚しさ。
そして、何より。
「……あの二人の少女の輝きすらも、我々を騙すための偽りに過ぎなかったというわけか」
ソファの上でもたれかかる自分を、ボクは操り手の手を離れてその場に転がる人形のようだ、と思った。
正に、人形だったのだ。
アイドルたちも、僕たちも。
◆ ◆ ◆
我に返った僕は、死体の処理をするような暗い気分で、録音工作の後始末を行った。
「……少し長く録音しすぎたな」
ほぼ形式的な行いでしかないが、会談を盗聴する際は目的となる会話の一時間後まで録音を残しておくことになっている。会談終了後、個人的な会話などに機密情報が混じっている場合があるからだ。
この時点では、ボクは気付かなかった。
長く録りすぎたテープの中で、秘密の会談が、たった二人の人間の間で交わされていることに。
その会話が、ボクの運命を大きく左右することに。
◆ ◆ ◆
一週間後。
ソラン島に帰ったボクは、盗聴の資料―――盗聴内容と、それに関する私見を綴った報告書―――をまとめ、島内にあるチェルージュの領事館の廊下で待機していた。
程なくして、情報室の扉が開き、カトリーヌが現れた。
「お手柄よ、ミシェル」
見るからにニヤケ顔なカトリーヌは、一本の録音テープを取り出した。
「このテープが答え。うちのタヌキ、櫻宗国の政治家相手に個人的収賄を貰ってる。海外につくった幽霊会社の口座ってことで、カモフラージュしてるみたいだけどね」
「……ま、ボクも彼に関しては、前々から怪しいとは思っていたけどね」
嬉しそうな顔をするカトリーヌを前に、しかしボクの心は晴れなかった。
この収賄の責任をラフィット長官が取らされ、職位を追われることになろうとも、恐らくは同じ派閥の別の人間が同じポジションに居座る。
派閥が同じなら政治方針も、恐らくは変わらない。
「じゃあ、この件はこれで終わりにして……っと」
す……っと、何らかの合図のように、カトリーヌは手をあげた。
何の合図だ、と、ボクが首を傾げたその時。
銃器で武装した兵士たちが、情報室の扉を開け、ボクを取り囲んだ。
領事館でボクを待ち構えるとき、保衛部は武装したりはしない。
明らかに、その場の空気が今までと違っていた。
「ミシェル。いえ、被検体38号。貴方を拘束させてもらうわ」
「……説明を求める」
「いやまあ、拘束っつーか……」
この状況と、カトリーヌの妙に要領を得ない返答に、どういう状況下を測りかねていた、その時。
その瞬間、ボクの世界は止まった。
室内の鏡越しに、自分の体を銃弾が貫き、血しぶきを四散させる光景が見えたのだ。
「ごめんなさい、贄になってもらうわ。人造人間さん」
膝から崩れ落ちるボクの真上で。
タバコの火のように拳銃の硝煙をくゆらせるカトリーヌの、死刑宣告のような声が聞こえた。
「単純にあなた、スパイを見抜けなかったわけだしね」
ついでとばかりに、カトリーヌは付け加えた。
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