20話-秘匿【ムヅラバサミ・セツナの場合】-


 チェルージュとの共同プロジェクトの為には、常に櫻宗側のアイドルである【ロングデイズ・ジャーニー】が最高のパフォーマンスを発揮できる状態を保つことが重要だった。


 そのためには、彼女たちを裏から支えるプロデューサーとして、最高最善のバックアップ、フォローをしておくことが必要不可欠だったし、そのためには彼女たちと良好なコミュニケーションをとっておく必要があった。


 いずれチェルージュへの潜伏計画が終われば、【ロングデイズ・ジャーニー】からはもちろん、プロデューサー業自体からも早々に身を引くにもかかわらず、だ。


 故にカナエ・シモツキとしての私は、いずれさよならも言わずに別れることになる少女たちと親友のように良好な交流をする、という無意味な時間を過ごすことになってしまった。


 その無意味な時間は、チェルージュへと潜伏して【歌声】を調査するという、スパイ本来の目的を遂行するその直前の日々であっても続いた。



 チェルージュへと向かう、三日前のことだった。



 スクリーンで大暴れする二枚目俳優演じるスパイを、私はムヅラバサミ・セツナと共に見ていた。

 セツナは、表情にこそ出さないが、思いっきり上半身を前に乗り出して熱狂的な目で見ていた。

 対して私は、知らない子供の学芸会でも見ているような気分であきれ返りながら見ていた。



 スパイはあんな派手なアクションはしないし、そもそも格闘でなんとかしなければならなくなる前に秘密裏に任務を遂行するのがスパイの仕事だ。

 小説や映画で殺人犯を見抜く探偵も、現実世界での主たる仕事は浮気調査だというが、そんな探偵でも、民衆のイメージとリアルの乖離という意味ではスパイには負けるのではないだろうか。



 海外の景色を印象的に映したロケーション、突飛な設定と高額予算をつぎ込んだアクションさえあれば脚本は適当でもいい、という制作陣の思惑が透けて見えるような陳腐な脚本にも辟易してしまう、そんな映画だった。


「ヒヒヒ……オタク仲間と観に行けなかったのは残念だったけど……カナエさんと一緒に観に行けてよかった……」

 だが、どうやら隣に座る少女は違ったらしい。

 小声ながらウキウキした感情を隠せていない口調で、セツナは私にアイドルらしからぬ笑い声でそう笑いかけた。



 私服もオフ時の完全プライベート状態でアイドルとしてのスイッチも切っているので、周囲に多くいる人々は誰も人気アイドルデュオ【ロングデイズ・ジャーニー】の一人がこの場にいることに気づいていない。


「えぇ、なんというか……派手な映画だったわね」

 映画の感想がセツナとは真逆なので、適切な言葉選びには数秒のタイムラグを要した。



 半年前の公開決定の時点で楽しみにしていたという、スパイ小説の実写化映画。

 2枚所持していたそのチケットの片方を、セツナが私に差し出してきたのは、つい一週間前のことだった。



 オタク仲間が別のイベントで、テンション上がりすぎて事故で軽傷を負ったらしく、代わりに一緒に行ける人間を探していた、とのことだった。




 本来、彼女は一人で映画を観に行くタイプだ。

 人とのコミュニケーションに煩わされることなく、一人で映画の世界に没頭するのが大好きなタイプ。

 アイドルになった理由が、素の自分を晒すことからの逃避だったのだから、本来コミュニケーションが最低限なのもやむ無しだろう。



 そんな彼女だが、ここ最近は、趣味を共有する仲間たちとどこかへ遊びに行った話を楽しそうに語ってくれる。

 他人と好きなものを共有し合う、その楽しさを覚えてきたらしい。

 本来仕事上のパートナーであるはずの私にも、思った以上にフレンドリーに誘ってきて、正直少々面食らった。



 彼女にとって、アイドル活動とは大好きな歌に打ち込み、理想の自分となるための仮の姿でしかなかった。

 私のスパイ活動と同じだ。

 最優先の目的のために自分の素顔を隠し、感情の仮面をかぶりながら舞台に出る。



 しかし今では、どこか素の彼女自体が変わっているように見える。

 オーディションの時や、デビュー直後のライブ前に抱いていた他人に対する過剰な恐怖心を、すこしずつ制御できるようになってきている。



 うまく言えないが、理想の自分と素の自分の境が薄くなってきているように見える。



 最近の彼女のプロデュース活動で、はっきり覚えていることがある。

 ファッション雑誌の表紙に飾る写真を撮っていた時のことだ。


「あ、あの……もう一枚、だけ、撮らせていただけませんか……?」




 当初彼女は、こういう歌に関係のない仕事には不満を隠せずにいた。

 彼女はあくまで歌の為にアイドルの道を進んだ少女だし、静止画の写真は映像に比べ、理想像だけでなく素の自分をも晒してしまいやすい。

 彼女にとって苦痛となる仕事のはずだった。


 そんな彼女が、もう一枚追加での撮影をカメラマンに頼んだ。

 明らかに、アイドルとして、もっと魅せたい自分がある、という意志表示だった。




 それは彼女の理想の自分に近づきたい、というデビュー当時からの意志がさらに強まった、ということであり。

 同時に彼女が本来見せたがらなかった素の自分を、徐々に見せる勇気を持ち始めた、ということでもあった。




 どういう心境の変化なのか、と、本人に問い合わせたことがあった。



「うん、実は……数か月前、ファンレター、もらったんです……」

「それは、何かセツナにとって特別なファンレターだったの?」

 ファンレターなら、デビューライブの時点でマニアックなファンから何通も届いている。

 恐らくは、数か月前にセツナが受け取ったファンレターの中に、特別な意味を持ち合わせる一通があったのだと推測できた。


「元クラスメイトから、オフの日。カフェ前で直接もらいました……ラブレターみたいに」

 セツナはその言葉を、本当にラブレターを受け取った女子高生のようにドキドキした表情を浮かべながら言っていた。

 セツナは元の性格が内気ゆえに、人と触れ合う機会を自分から逃すきらいがあった。



 高校時代に興味を持っていたアカペラ歌唱部も、その人見知りな性格が災いして入れなかったという。

 そんな彼女が、今や人との交流を楽しみ、尚且つ理想の自分を魅せるアイドルへと成長している。

 それも、たった一通の手紙をきっかけに、だ。


 アイドルという活動を通じて、ほんの少しでも明るく振舞うことができるようになったセツナ。

 そんな彼女を前に、私はなぜか喜ぶことができないでいた。

 

 まずクラスメイト、という言葉に、どこか遠い国の習慣のような印象を覚えた。

 【霧】で幼い頃から諜報員としての教育を受けてきた私には、同年代の諜報員はいてもクラスメイトはいない。

 スパイのイロハを学ぶ教室で同年代と授業を共にすることはあったが、彼女たちと共有する時間は限定されていた。

 親密になりすぎて、任務に感情を挟まれることを【霧】は回避しようとしていたのだ。

 

 おどおどしていた彼女が、明るく人と通じ合えるようになったアイドルとしての一年間。

 他人を徹底的に信じず、自分を徹底的に隠すスパイとしての私の二十年間と比べると、あまりにもまぶしいものだった。


「……でもね」

 横を歩いているセツナの表情が曇った。

 明るくなったとはいえ、ふとした時に出会った頃の彼女に戻る時がままある。


「……時々、不安になるんです。映画マニアの友達や、ファンのクラスメイトに見合う自分に、ワタシはちゃんとなれてるのかな、って」

 言いながら、彼女は上目遣いで私を見る。

 私を頼っている。

 明らかに、そういわんばかりの言葉だった。

 

 根本的には、彼女は何も変わっていないのかもしれない。


「それは、自分で確認して見たらどう?」


 その時私はある場所を指さして、彼女に見せた。

 書店の平積みコーナーに置かれている、とある雑誌。

 彼女が撮り直しを要求した、あの時の写真を表紙として使った雑誌だった。

 女子高生グループが、表紙を見て大喜びしながら雑誌に手を取っていた。


「ふふっ、もうすっかり【よくできました】ね」


 教え子の成長を喜ぶ教師のように、私は笑顔をセツナに向けた。

 セツナも、私に笑いかけてくれた。


 もう少しで、失念してしまいそうだった。

 あと一か月もしないうちに、私が彼女の元を去り、彼女のアイドル活動を狂わせてしまうことを。

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