国家直属のスパイの者ですが、アイドルのプロデューサーになりすまして冷戦中の仮想敵国を偵察したいと思います-両国の未来のために合同アイドルライブを開きたいと今更言っても、もう遅い……?-

八木耳木兎(やぎ みみずく)

プロローグ-疑惑-

 アイドルの歌声が聞こえてくる。


 ポップミュージックのメロディに沿って、限られた人生で自分らしく生き、自分の生きたいように生きることの尊さを訴えた歌声が。


 眩いライブステージの照明が照らす先には、若者たちの憧れであり、癒しであり、生きがいである、歌って踊る少女たちがいるはずだ。


 そして彼女たちの視線の先には、アイドルたちのパフォーマンスに熱狂して歓声を送る何千、何万という観客たちが。


 そしてここではないどこかでは、衛星中継されたこのライブをテレビ越しに見つめる、何百万というファンたちが。




 恐らくいま世界でもっと輝かしい場所であるステージの、その裏で。




 私は銃口を向けていた。


 銃口を向けられながら、銃口を向けていた。


 殺し合いの末に偶然アイドルのライブ会場に転がり込んできたわけではない。


 そのとき私は、この会場を守るためにこうやって殺し合おうとしていた。


 その証拠に銃声が響けば客席はパニックとなりライブは即中止になるので、こちらの銃はサイレンサー付きだ。


 なお、どういうわけか今の目の前の敵の銃にもサイレンサーが付いている。




 命がかかっているこの状況下で、不思議と私は今の自分が置かれている状況を冷静に見ていた。


 則ち、なぜ、今の自分が、アイドルのライブの裏側で銃を向け合っているのか、ということをだ。


 私はそもそも、ほんの少し前までアイドルになど全く興味のない人間だった。


 作り笑顔を見せて歌って踊るだけの、語源通りの「偶像」。


 音楽に文芸性も批評性もない、大衆的資本主義の象徴。


 それが、私のアイドルに対する長年の印象のはずだった。


 その私が、ライブ会場の関係者しか立ち入ることができないこの舞台裏で、しりもちをついたままの姿勢で目の前の女性と銃を向け合っている。


 他でもない、このアイドルのライブステージを守るために。




「言いなさい、何の目的でスパイ活動をしてるの」


 私がどこか心ここにあらずなのが表情に出たのか、私の目の前で銃を向けている敵が私に問いかけてきた。


「やめろ、カナエ・シモツキは真っ当にこの合同ライブを運営し、守ろうとしている。彼女は紛れもない、アイドルのプロデューサーだ」


 敵を制止したのは、私の味方……いや協力者だった。彼女も敵の後頭部に、自分の武器の銃口を向けている。


「戯言を言わないで。敵同士の二国家間でこんな茶番を開くだなんて、裏に何か目的があるとしか思えない」




 この会話は、私と銃を向け合っている人間と、私の相手に同じく銃を向けている協力者の発言だ。


 二人が会話している間、私はまったく口を開くことができずにいた。




 命を賭けたこの状況の中で、櫻宗国の繁華街で耳にタコができるくらい聞いたアイドルソングが聞こえてくる。


 何百回と聴いた曲なのに、今の自分には全く別の曲調に聞こえた。


 非日常の状況下で流れてくる日常的な音楽。


 殺すか殺されるかの今の自分の状況には少しも現実感がなく、何か悪い夢を見ているのではないかとさえ思えた。






 だが間違いなく言えることが一つあった。


 彼女たちのライブを守りたい。彼女たちに歌わせたい。


 彼女たちに歓声を送る客席の群衆たちに、最高のときめきを与えたい。


 電波越しにアイドルたちを見ている、今を憂う人々、戦争の爪痕がまだ癒えていない人々に、希望を届けたい。






 それが、今の私にとっての、何よりの【やりたいこと】だった、ということだ。


 ―――アイドルの、プロデューサーとして。








櫻宗国とチェルージュ国。


双方ともに海に面しており、英緯47度線上を基に設定された二国。


世界中にある隣り合う二国の例に漏れず、この二国も歴史上常に対立してきた。




その対立関係が最も激化したのが、二十年前の戦争だった。


二十年前に勃発した世界大戦にて、この二国の間でも戦争が勃発した。


相対する二つの陣営に与していた櫻宗とチェルージュの間で、血で血を争う戦争が繰り広げられることになった。


同時期に航空技術の発展により、空から敵地を爆撃する作戦が頻繁に実行され、戦地だけでなく、非武装の民間人までもが戦略爆撃機によって犠牲になる地獄がそこかしこの都市で、顕現した。




 戦争の結果は名目上は櫻宗側(連合国側)の勝利に終わり、当時のチェルージュの独裁政権(枢軸国側)は崩壊した。


 しかし戦勝国側の櫻宗も戦争の被害著しく、復興までに相当な年月と費用を必要とした。


 それゆえ、チェルージュに対しての外交政策も遅れ、戦時中とは異なる独裁政権の成立を許す形となった。




 終戦から十五年経過した現在は休戦状態だが、いつ同じような戦争が勃発してもおかしくなかった。


 ラジオや、新メディアのテレビが連日報道するニュースは、毎日市民を煽るような緊張状態の兆しをまことしやかに報道していた。




しかし戦争を知らない世代が徐々に成長する中で、人々は徐々に地獄の戦時を忘れ去っていった。


いや、忘れようとしていたのかもしれない。


それほどに、二国間の戦争は地獄だったのだから。


その空気の中で、世論、政界共に、相互国家間の融和政策を説く主張も徐々に支持を得ることになった。




そんな折、とある衝撃的なニュースが、世間を震撼させた。




 チェルージュ国の新政権が、【天使たちの歌声】の実験に成功した、というニュースだった。


 懐かしのアイドルが歌う往年のヒットソングのような名前をしたは、一都市を灰燼に帰すことができる大量破壊兵器の通称だった。


 大洋を一つ隔てた別の大陸の覇権国家が先の世界大戦末期に作り出した殺戮兵器。


 平和の名の元の冷戦下で、独自にその兵器を保有しようとする国家が続出した。


 それ故に、櫻宗国との冷戦下にあったチェルージュ国で【歌声】が秘密裏に開発されており、既に実用段階であるというどこからともなく湧いたニュースは、真実味をもって櫻宗国人に受け入れられることになった。




 れっきとした殺りく兵器にどこの悪趣味な人間がこんな通称を付けたのかは、この際どうでもいい。


 各地方の自治体でシェルターの開発が提唱されたが、一方で【歌声】の開発は噂に過ぎず対策の必要はない、という論も世論、櫻宗国議会の双方で出た。


 そこで時の内閣は、提唱したある作戦案を承認することとなった。




 実際に送り込んで、調べさせればいい。




 かの国のテレビ放送や軍事衛星の遠方写真をネタに予測をいくら重ねても、机上の空論の息を出ることはない。


 ならば人間の足で隣国の実地を歩かせ、人間の目で確かめさせれば、何よりの確定情報を得られるはずだ、という提案だった。




 その計画を実行するのに最適な諜報組織が、櫻宗国には戦争以前から存在していた。


 通称【霧】。


 諜報活動を主たる任務とするこの組織は、国家機関のごく一部の人間しか知らず、政府の閣僚たちですら噂でしか聞いたことのないものが多い存在であった。




 これは【霧】に所属する女性の、とあるスパイ活動を描いた物語である。

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