10月

「好きな人がいるんだ」

 今日は迷わずそう言えた。

「だから、告白しようと思う」

 続く言葉もよどみなく。

「え?」

 俺の友人は、驚きのあまり間抜けな声を出した。





「それよりもさー。昨日の監督のあの話、わけわかんねえよな」

 明るく、楽しそうに、スムーズに、違う話題を出す。

「覚えてない」

 対照的に、固くなった友人の声が、いつも通り誰もいない教室に響いた。

 野球部は走り込みに行ったが、陸部の掛け声やテニスの打ち返す音が相変わらず騒がしい。吹奏楽部はまだ準備中のようだけど、既にオーケストラの真ん中に立たされたようなうるささだ。ああ、窓が開けっぱなしだったか。

「本当に、するつもりか?」

 吹き込む風の冷たさが辛くて、窓を閉めようと席を立った俺に、そんな言葉が投げられた。発信者はもちろん、文庫本を捲り続けている彼。いや、さっきから手が止まっている。相変わらず読書中のポーズは取り続けているけど、頭の中はそれどころではないのかも。

「ん、やらない理由も見つかんねえし」

 言いながら触った窓の鍵は、思っていたより冷たかった。



「……………………」

 再び席に座っても、しばらくの沈黙が続いた。外からの声も小さくなり、ページが進む音もない。賑やかな方が好きなタチだけど、こういう静かさも悪くない。隣にいる奴は、心中穏やかではないのかもしれないが。

「……お前が、」

 ようやく口を開いた友人の声は、さっきまでとは違う硬さを持っていた。

「そう決心したなら、俺は応援するよ」

 それはむしろ、彼の方が心を決めたような、そんな、強い意志を宣言する言葉だった。

 でもごめん、お前が思うような…………

「そっか、ありがと」

 胸の内で、渦巻くそれから目を背けながら、いかにも軽そうに返す。出来てないか。

 ふと、距離が気になった。あなたは今、どこにいますか?声に出して聞いてみたい。届くはずがないのに。

「切り替えていくぞー」

 急に、試合中、俺がよく使うフレーズが、俺の隣から聞こえた。話の流れでも、切り替えたいのだろうか。

「その言葉は、もっと声を張り上げないと意味ねーぜ」

「張り上げても、そんなに効果が上がったことがあったか?」

「うるせ」

 ここ最近の試合で、負けが込んでいるのをネタにしたらしい。それはそれで気にしているから、言うんじゃねえよ。

「つか、昨日の監督さー」

「悪い。それは本当に覚えてない」

「………………あっそ」

 どうもかみ合わないけど、そんなものか。元々、気が合うというよりも、面白いやつ、と思ったからつるみ始めたんだった。まさか、そんな付き合いが、ここまで続くとも思っていなかったけど。

 強い風が吹いたのか、窓がガタガタと鳴った。

「うひゃー。これは外、寒いだろうなあ。運動部の方々、ご愁傷さまー」

「明日は俺たちもだぞ」

「あーあ、練習自体はもっとしたいけど、それ以外の理由で部活が億劫だよな。昨日の監督も……」

「だからそれは、本っ当に覚えていない」

 ………………、結構、印象的な話だったと思うんだが。

 それにしても、ここ最近急に冷えた。今朝の登校も、風が辛かったな。下校だって、早い内にしないと、また寒くなりそうだ。

「でも、教室から出たくねー」

「急にどうしたんだよ」

 何がおかしかったのか、少し笑われた。

「ようやくこの教室も暖かくなったのに、外に行きたくねーなって」

「確かにな」




「そういえば、テストの結果はどんな感じだ?」

 嫌な質問が飛んできた。

「そこそこ……」

「本当か?」

既に確信を得ているように、踏み込んで聞いてくる。

「いや、良くはねーけど」

「ハハ、やっぱり」

 笑われた、今度ははっきりと。

「悪いって言っても、平均が取れないだけで、赤点はないよ」

「赤点まで取っていたらダメだろ。そんな基準になっている時点で、勉強が足りない」

 お高い志で。言い返すことはできないけど、やられっぱなしはムカつく。

「そういうお前はどうなんだよ?人に言えるような点数だったのか?」

「それなりだよ。悪くはないけど、良くもない」

 こいつのそれなりはレベルが高そうだな、とまるっきり違う世界に思いを馳せるように考える。本来はタイプが違う人間だから、時たま埋めようのない溝を感じる。

 寂しい。もっと隣に……

「どうかしたか?」

「別に」

 心配されたくない。九月は繰り返さない。明るく、元気にいこう。

「それよりさー」

「監督か?」

「いや、なんか別の話をしよう」

 こう、楽しくなるような。




「……だからさ、俺は言ってやったんだよ。待ってたっていいことないぞ、って」

「ああ、そうか」

 最近会ったことの話をしている。いつも通り、俺の方がよくしゃべり、友人はと言えば、本を片手に相槌。というか、ページを捲るのが早くなっている。かなり集中して読んでいるんじゃないか?

「なあ、聞いているか?」

「もちろん」

 どうも怪しい。

「本当に?」

 さっきと逆の立場だ。

「ああ、お前のテストの平均が、40そこらって話だろ?」

「げ、何で知ってるんだよ」

 当然、そんな話はしていなかったけど、そんなことより点数がバレていることの方が怖い。

「共通の友人なんか、いくらでもいるじゃないか」

 言われて、何人かの顔が浮かぶ。一桁程度ではなく、何十人も。その中で口が軽そうなやつ、と考えたけど、脳内に現れた顔ぶれはほとんど減らない。どいつもこいつも、簡単にばらしそうだ。内の数人にはテストの話をしたから、そいつらから聞いたのだろう。

「どうしても勉強ができないんだったら、俺の家でやるか?お前ぐらいだったら教えられるぞ」

 なんてお誘い。少し悩む。

「あー、いいや」

「そりゃそうだよな。わざわざ俺と一緒に勉強なんて、お前は嫌がるよな」

 笑っている。俺も合わせて笑う。

 ふと、心が冷えているのに気が付いた。顔は笑ったままなのに、どうも本心からの行動だとは言えない。張り付いた仮面。剝がれない、剝がさない。寂しさが、さらに強く俺を襲う。

 勉強は嫌だけど、行けばよかったかも。



 ジリジリと、焦がれるような感触がした。毎日同じ教室に登校し、同じ授業を受け、同じ時間を過ごしているのに、想い人との距離は遠い。いつまでも、近づくことがないような。実は、最近結構良い感じの関係にはなれているのだ。それが、俺の望むような形とは違うだけで。春は、暖かいだけだった想いの火のようなものが、最近は勢いを増している。どうも、俺の身を焼こうとしているようだ。全く、いかんともしがたい。どうするべきか答えが見えず、立ち止まってしまうことの楽さが、俺を誘惑する。

 でも、もう眺めているだけでいるのはやめようと決めた。その人の横顔と自分自身の想いを。この気持ちは絶対に伝える。それがいつになっても。それが迷惑になっても。それが、終わりになっても。




 俺の中で渦巻くものなんか関係なく、相変わらず会話は延々と続いた。

 ゆっくりと、長ったらしく、ずっと。ろくな話題なんて出るはずもなく、時間の無駄とさえいえるような。そんな、大切なひとときだった。

 いい加減口が疲れてきたし、喉も乾いた。こんなに話したのは、いつぶりだろう。ふと顔を上げたら、遠くの空が赤くなっていた。綺麗だった。日が暮れるのも、随分早くなったな。夏は、この時間もまだまだ練習しまくってたのに。

「そろそろ帰るか」

 足元に置いていた鞄に手を掛けて、隣に座る奴に声を掛ける。

「ん」

 俺が声を掛けたら、友人はようやく本を閉じた。今日一日で、かなり読んだようだ。つまり、今日の会話の最中も、本の方に集中していたようだ。

「うー、寒」

 廊下のどこかの窓が開いているのかもしれない。冷たい風が、教室を出た瞬間に体を撫でる。頬が痛い。

 十月の風が熱を奪う、のは期待できそうもないか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る