ナツの恋  

鷹山勇次

第1話  ~なにもかもわからなかった~

ここは日本の地方都市

県内では、県庁所在地に次ぐ大きな街だが、所詮は地方都市。

駅から車で10分も走れば田んぼが広がるのどかな場所だ。 


昭和○年4月。

市内の西端の織野おれの中学校に入学した俺、志木織夏しきおり なつは、10日目に恋に落ちた。

それは、入学してすぐにあった実力テストの結果が配られている時。

出席番号順に名前を呼ばれて教壇に向かい、

先生から成績が描かれた紙を受け取っていた。

紙には五教科のテストの点と、学年順位が書いてある。


席に戻った人から、周りから、ヒソヒソとささやきや、ため息があふれていた教室。

彼女の名前が呼ばれた。

古村美花ふるむら みか。クラストップだ。おめでとう。 」 

クラスにどよめきが起こる中、はにかんだ笑顔で教壇に向かう美花。

その笑顔が俺の心に焼き付いてしまった。

窓から差し込む日差しが、美花の笑顔をひき立てていた。


先生が全員に紙を配り終えると、 

「今回は、古村が学年でも2位だった。みんなもこれから頑張るように。」

と言って締めくくった。


正直に言って、俺はこの時、初めて美花の存在を知ったと言っていい。

席順は出席番号順で、俺は廊下側から二列目、前から三番目、

美花は一番窓際の後ろの方。教室内での距離は遠かった。


なにより、休み時間の教室は、まだ出身校別の固まりが大半で、

ちらほらと近くの席同士の会話が見られる程度だった。

とはいえ、これは人見知りをする俺から見たクラスの印象であって、

誰とでも話すことが出来るやつは、どんどん殻をやぶっていたようなので、

個人差が大きいだろう。

とにかく、入学してその時までの10日間。美花と俺の接点はなかった。


これを『出会い』と呼んでいいのかは分からないが、

少なくとも俺は美花と出会った。

しかし、その後もしばらく俺は、恋だの愛だのから、かなり遠く離れたところにいた。

というより、まだまだお子様だった。

ただ、時々、美花を見ている自分にも気付いていた。

だけど、その行動が何なのか?新しい勉強、新しい友達、そして部活。

新しい日々に埋もれていた俺は、

自分の行動の裏にある心理など気にしていなかった。


部活動にはバスケ部を選んだ。

特に理由や自分の意思はない。幼馴染の坂寄さかきと話していた時のノリであり、

何でもいいから選ばなきゃ。という強迫観念の様なものからだ。

強いて理由をあげるとすると、プレーしていた先輩がかっこよかったからだ。

部活に行くと、同じバスケ部に美花がいた。

もちろん、男女ペアで何かをやるような競技ではない。

近くで練習をしているという意外、俺と美花の接点はほぼなかった。



初めてこれが、「好き」という感情なのかと気付かされた事件があったのは、

一年生の2学期だった。

9月下旬

部活中、休憩しに体育館の横扉から一歩外へ出た。

日差しは強かったけど、ムッとした夏の空気は終わって、

どこか清々しい風が吹いていた。

ふと横を見た俺は、体育館の壁から、顔だけ出して何かを見ている浩司こうじ真一しんいちを見つけた。

二人はすぐ引っ込んだ。

そういえば、あいつら練習中に突然いなくなったな。

なにやってんだ?そう思って二人が引っ込んだ方に向かった。

体育館の裏手に、浩司、真一、亮太りょうたの三人が集まっていた。


浩司と亮太の二人は同じ小学校出身で元々仲がいい。

そこに部活を通して、俺、真一が加わった。

幼馴染の坂寄さかきとは、少し心が離れたような気がしていた俺にとって、

この三人は、なんとなく気が合う「仲良しグループ」的な存在だった。


「おまえら、なにやってんの?」と声をかけると、

亮太が、人差し指を立てて口にあてて(静かにしろ。)と、

口の動きで伝えてきた。

そして親指を立てて ツンツン と 

「あっちを見ろ。」みたいな仕草をする。

俺が、亮太の指さすほうを見ると、土手の下にテニスコートが見えた。

意味が分からない俺は、テニスコートを見ながら、三人に近付いていった。

浩司が、「ばかっ!あんまりじろじろ見るなよ!」 

と言って俺の腕を取って引き寄せた。


体育館の角。テニスコートから隠れるように三人が立っている。

「なんなの?おまえら。」俺が聞くと

亮太が、あれあれ。とテニスコートを指さす。

「バカ。言うなよ。」と浩司。

「夏だったら、別にいいんじゃね。」と真一。

「うーん。そうだなぁ。夏だったら、いいか。」と浩司。


「浩司が、あの子が好きなんだってよ。」

テニスコートを指さしながら、亮太が言った。

「あの子ってどれよ?」

亮太の背後に回り込んだ。

「あのジャージの子だよ。」と亮太が指さす。

「・・・ジャージの子ね。」

つぶやきながら亮太の背後から、テニスコートの方をちらりと覗いた。

テニスコートでは、20人くらいのジャージの女子が部活に励んでいた。

俺は亮太に向き直ると、

「おまえ・・・。あほだろ。」と声をかけた。

「え?」テニスコートを見たまま、亮太が答える。

「みんなジャージじゃねぇか。」文句を言うと、

「あ。すまん。すまん。」と手をチョップの形にして胸の前でふった。

またのぞき込むと、

「あ。ほらほら。今振り向いた子。」と言ってこっちに向いた。

「わからんわ~。」

「何年だ?」

俺は、亮太の肩をつかむと、引っ張りながら聞いた。

「とっとっと。。。同じ。 同じ。一年生。」 

後ろによろけながら答える亮太。


織野中学は学年によってジャージの色が違う。

俺たち一年生は緑。二年生は赤。三年生は青だ。

とりあえず、半分まで絞れた。

この時期、三年生はもう部活動に参加していない。


「はい。選手交代。 浩司!」

浩司が横に並ぶ。

「どれよ?」

「ちょっとまて・・・。」テニスコートを凝視する浩司。

「あ。いたいた。」

俺がのぞきこむと、浩司が説明し始めた。

「向こう側のコートの線のこっち側、1年が三人いるだろ。」

「おうおう。」

「向こうの二人固まってるほうの左側。」

「髪の毛を二つに分けて結んでるほうね。」

「そうそう。」

「ふーん。で、誰なの?」

正直、興味はないわけじゃないが、そこまで興味はなかった。


一年生の秋。

目立つヤツだったり、部活が一緒とか、何か関わり合いがないと

他のクラスの違う小学校出身の女子なんて名前や顔、知らないもんだ。

いま、浩司が言った女子も、顔は見たことある気がするが、誰だかわからない。


神野優子かみの ゆうこ 一組。」 横から真一が言った。 

「優子ちゃんね。小学校はどこ?」

安芸口あきぐち。」 亮太が答えた。

「あれ?安芸口なの?」

「浩司、お前、小学校から片思い?」


織野中学校には、4つの小学校から生徒が集まってくる。

浩司と亮太は、安芸口小学校出身だ。


「いや、ちがうんだ。」 浩司が口を開く。

「ホントかぁ?どうなん?亮太。」 俺が亮太に話を振ると、

「どうなん?浩司。」と、亮太が浩司に詰め寄った。

「いや、それは、小学校の時もイイナ。ってのはあった気もするんだけど・・・。」

「なんつーか、最近なんだよ。意識し始めたのは。」

「ほうほう。それで?どうするの?」

照れている浩司を面白がりながら聞いた。

「いや・・・。どうもしない。・・・・わからん。」


「言っちゃえ。言っちゃえぇ。」

「夏。お前そんな簡単に・・・。人ごとだと思いやがって。」

「ひょっとしたら、向こうも浩司のこと好きかもよ?」

浩司の顔がぱっと明るくなったが、反対のことを言う。

「いやいや。そんな。それは・・・。それはないだろう。そんな事は・・・。」

「おっ。嬉しそうな顔して。」

「言っちゃえよ。」と亮太。

「心の準備っちゅーもんがあるだろが。それになんて言うんだよ?」

後半はよく聞き取れないほどのつぶやき。

すると突然、亮太が、がしっと浩司の手を握った。

「ユユユ ユーコさん! すっすっす す 好きです!」

「けけけけ けっこぉん してくださいっ!」

亮太が大げさにひざまづいて、手を高く上げると、大爆笑が起きた。

「ぎゃはっはははっは・・・・・」

「亮太、いきなり結婚かよ?」

「浩司、おめでとう!」と真一が手を叩いた。

ひとしきり笑うと、俺は体育館の角まで行って、テニスコートを覗いた。


「ここからじゃ、顔までよく見えないな。」

「じゃー行くか。」 と真一。

「行くってどこに?」 亮太が真一に聞く

「優子ちゃん見学ツアー。」 

「さ。行こ。行こ。」

言いながら、真一が浩司の背中を押した。

「ちょ、ちょちょっ、ちょっと待てよ。おまえら。」

「いーから。いーから。」 

亮太が浩司の腕をとってひっぱった。

「まてまてまて。まーまー、まず落ち着け。」

浩司が両掌を下に向けて(抑えて、抑えて。)のポーズをとりながら言った。

「浩司だけだよ?興奮してるの。」

三人のやり取りを横で見ていた俺が突っ込んだ。

「どうすっかね。」 と亮太

「聞いたからには、協力してやりたいけどね。」

そう言った俺を含めて、

みんなただ面白がっているだけで、どう“協力”したらいいのかなんて知らなかった。

「いや。とりあえず、何もしないでくれ。」 浩司が答える。


少しの沈黙の後、空を見上げていた真一が、俺達に向かって手を挙げた。

「なぁ、ちょっと変な質問していいか。」 

「ん?」 「なに?」 三人が口々に答える。

「女子を好きになるって、その”好き”ってどういう気持ちなんだ?」

なるほど。こういうことに一番疎そうな、真一ならではの質問というか。

多分、みんなわかったような気になっているけど、

きっと誰にも上手く言葉にできない答えを求めている。


「・・・・・・。」

「そりゃおまえ、女を好きになるっちゅーのはよ。」 亮太が答え始めた。

「好きっって言うのは、・・・・・・その・・・・好きっていうことなんだよ!」

やっぱり、亮太はあまり頭がよくないらしい。

「浩司、どんな気持ち?」 真一が突っ込んでくる。

「んー・・・。いつも気になるっていうか。」

「つい探したり、顔を見るとホッとしたり・・・。いつも相手のこと考えちゃう?」

「目が合うとドキドキしたりね。」


「でもさ、そのドキドキしたりって言うのは、”好き”になってからじゃない?」

「俺はその・・・その元になっている”好き”って気持ちが知りたいんだけど。」

真一が自信なさげに問いかける。

なんだこいつ?好きは好きだろ?哲学者かよ?

俺はそう思ったが、最近知った『哲学』って言葉を使いたかっただけかもしれない。

「う~ん・・・・・・。」


みんな質問の意味も答えもわからなかった。

「じゃぁさ、真一は、女子を好きになったことないの?」浩司が聞いた。

「ないな。つーか、わからないなぁ。」

「その、”女子を好き”っつーのは、”カレーが好き”というのとは違うんだろ?」

「あほー。ちがうわ。」と浩司。

「え。違うの?俺、焼き肉屋に行ったらドキドキするよ?」 亮太が割って入る。

「亮太のは、ドキドキじゃなくて、どっちかって言ったら”わくわく”じゃね?」

浩司が答える。

「お前それに、海森うみもりが好きだって言ってたじゃん。」

「わーーーっ!」 亮太が慌てる。

「おい。浩司。言うなよぉ。」

「ほー。亮太は海森かぁ。」 

「誰?海森うみもりって?」 真一が聞いてきた。

「3組の陸上部の子。お前、同じクラスだろう?」

真一に、なんで知らないんだよ?というニュアンスで聞き返した。

「だけどさ、下村と付き合ってるって噂じゃん。」

亮太に向き直って言った。

「いや。それは知ってるけど。」

「知ってるけど、好きなんだよな~?」

浩司がにやにやしながら言った。

「そーだ!当たって砕けろ。亮太。砕けてお空のお星様になっちまえ!」

さっきいじられた分、人の話題だと突っ込む浩司。

「なんで振られたくらいで、お空のお星様になっちゃうんだよ。あほか。」


「おぃおぃ。それより真一。お前クラスにイイナ。って思うやついないの?」

亮太がうまく話を真一に戻した。

「うう・・・・~ん。」

「どうしても誰か選べって言われたら?」

「誰でも同じだなぁ・・・。」

「よし。じゃぁ、一番かわいいと思う子は?」

「・・・・うん。それなら、可和かわかな。」

「だれ?カワって?知ってる?」 

亮太と真一のやり取りを聞いていた浩司が、俺に聞いてきた。

可和由貴子かわ ゆきこだろ。」

「一学期、あの子かわいいな。って噂になってたじゃん。覚えてねぇの?」

「もー、浩司は、優子ちゃん意外、目に入ってませ~ん。ってか。」

亮太が浩司をからかう。 

「あははっははっはは・・・。」


「可和は、卓球部だよ。ショートカットでさ、丸っこい顔の・・・。」

俺が答えると、浩司は顔を傾けて言った。

「う~ん・・・見ないとわからないな。」


「じゃぁ、バスケ部だと?」 亮太が真一に問いかける。

俺の心臓が、一度 どくんっ!と大きく打つと、どっどっどっどっどっど・・・と

まるで胸の上を大きなバイクが走っているみたいに打ち始めた。

「・・・・・バスケ部だと?」 

「古村だな。」 真一が答える。

どくんっ!また心臓が音を立てた。

「やっぱりそうかー。」

「夏ゥ、ライバル出現だな。」 と、亮太が肩に手を廻してきた。

「なんで俺が出てくるんだよっ!」

「あれ?ちがうの?」

「違うわっ!」

「うそつけ~ 夏ゥ、お前、古村だろ。バレバレなんだよ。」

「浩司も言ったんだし、素直に言えよ。」

亮太は、頭はよくないが人間観察は得意らしい。


俺はというと、本当は真一と同じで、”好き”って気持ちがわからないのだった。

ただ、美花のことになると、

自分の中で色々不思議現象が起こっていることは自覚があった。

今も顔が熱い。

その時、すぐ後ろで砂利を踏む音が聞こえた。

みんな一斉に振り返った。


その瞬間、

上から雷が落ちた。

「こらっ!お前ら何をしとるかっ!」

顧問の本間先生が立っていた。

「俺がちょっと目を離したら、さぼりやがって。」

と言いながら、一人一人の頭を小突いた。

「っぐ。」 「ぃて。」 「・・・。」 「って。」


「よーし。罰としてこれから一週間、掃除はお前ら4人だけでやれ。」

「それから、今日はもうボールには触らせんぞ。」

「とりあえず、グラウンド20周。走ってこい。」

「えーっ!」 

亮太が不満げな声をあげた。

上原うえはら、お前だけ30周にするか?」

「いえいえ。20周でいいです。行ってきます。」

あわてて手と首を振る亮太。

「分かったら、さっさと行けっ!」

本間先生がグラウンドを指さす。

「オスッ!」 「はい。」 「はーぃ。」 「・・・。」


体育館の角から出て校舎の方に向かった。

本間先生の声が聞こえたのか、開け放した横扉のところで女子が数人、

何事かとこちらを見ていた。

バスケ部の女子だ。


深井先生のそばの美花と目が合った。

俺は恥ずかしいような、いたずらが見つかった幼い子供のような

変な気持ちに襲われてうつむいた。

体育館と反対側にいた浩司の肩を叩いて、

「よし。行こう!」 と軽く走り出した。


体育館横から渡り廊下を駆け抜け、

校舎の廊下に上がる階段を3段。一気に飛び上がった。

そこでいったん急ブレーキ。

「うぉ!」ぶつかりかけた亮太がよろけた。

俺は、口に人差し指を当てて振り返って言った。

「廊下は走ってはいけません。」 

「おー!OK。OK。」 と三人とも静かについてきた。

職員室前を横切り、下駄箱で運動靴に履き替えた。

グラウンドから体育館のほうを見ると、もう横扉に人はいなかった。


各々が軽く準備運動をした。

「さーて、走りますかね。」 亮太が声をかけて走り始めると

みんなついて走り始めた。


グラウンドを走るといっても、ほかの部活があるのでトラックではない。

グラウンドの最外周の部分だ。


まず、野球部のバックネット裏のさらに外側を通過する。

真一の肩をたたく

「真一、あれ。あれ。」

野球部の連中に混ざって話をしている女子を指さした。

小声で 「海森。亮太の好きな人。」

「あー、あれね。うんうん。見たことあるよ。知ってる。知ってる。」

真一がうなずいてみせた。

その時、浩司が先頭を走る亮太に向かって怒鳴った。

「亮太ァ!なに張り切ってんだよっ!」

「いいとこ見せようとして・・・たく。」

「そんなんじゃねぇよ。」亮太が反論する。


しばらくそのまま走ると、今度はサッカー部のゴール裏。

反対側の少し離れた所にテニスコートがある。

今度は浩司が、亮太にからかわれる番だ。

亮太が浩司の肩をつつく。

手で庇を作ってテニスコートを眺めるしぐさ。

「・・・ばっか。おめぇ、ちゃんと走れよ。」

浩司がふてくされたような、照れたような態度でうつむく。

時々おどけながら走り続ける。


10周を過ぎると、ふざける元気もなくなってきた。

俺は、走りながら考えていた。

「好き。」という気持ち。

美花にかかわることで起こる不思議な現象

「美花を好き。」と意識し始めたこと。

「女子を好きになる。」 

なんか小学校の時の、「誰が好き?」「あの子が好き。」というのとは違う。

わからないけど、違う。

どうしたらいいのか。

どうすべきなのか。

どうするのが普通なのか。

どうなりたいのか。

何がしたいのか。

なにもかも全然わからなかった。

ただ、これが「好き。」という感情なのか。と認め始めていた。









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