話す狂王


「狂王ロエンドール……」


 ガザと遭遇した日の夜。

 ハルエンスは一人、野営地から僅かに離れた場所の巡回を行っていた。


 巡回はハルエンス自身が志願した。

 今日起きたこと、そして知ったことを落ち着いて整理したかったからだ。


「ルードさんは、あんなに強いのに……」


 狂王ロエンドール。

 剣王ロエンドール。


 かつて二つの名で呼ばれた連王国の王の名は、当然ハルエンスも知っている。


 若くして魔物との戦いの先頭に立ち、たとえ巨大な龍であっても切り伏せると言われた救国の英雄――――剣王ロエンドール。


 その一方、裏では魔の力に取り付かれ、あろうことかハイランス聖教の失墜を目論んだ挙げ句、勇者パーティーによって討伐された大罪人――――狂王ロエンドール。


 ロエンドールの失墜後、本来持っていた様々な主権をハイランス聖教に譲り渡すことになったマイラルド連王国は、現在も大混乱に陥っているという。


 ハイランス聖教の発表した情報でしかロエンドールの悪行を知らされていない多くの国民にとって、ロエンドールは未だに救国の英雄であり、ガザのように復活を待ち望む声は日増しに高まるばかりだった。


「王様っていうのも、楽じゃないんだな……」


 何週目かわからぬ周回の最中、ハルエンスは無数の星が輝く夜空を見上げ、先ほど目にしたロエンドールの悲痛な姿を思い浮かべる。


 ――――! 


 錯乱した彼の言葉の端々から、ロエンドールがどのような幼少期を送っていたのかは、ハルエンスにもなんとなく想像することが出来た。

 ハルエンスはあの場でロエンドールの過去についてガザに尋ねたが、ガザは後悔と痛苦に満ちた表情を浮かべ、ただ立ち尽くすだけだった。


「きっと、誰かに嘘をつかれて凄く嫌だったんだろうな……俺もそういうのされると嫌だったもんな……」


 呟いたハルエンスは、再び前を向いて星明かりの下の巡回を続けた。


 ハルエンスは、ここでもまた彼なりの良さと悪さを同時に発揮していた。

 ロエンドールが王族として体験した裏切りと虚偽の数々は、生まれも育ちも天と地ほどに違う平民出のハルエンスが想像できるような範疇を遙かに超えている。

 

 それを。自分の身に置き換えて


 それは、全てを知る者からすればあまりにも傲慢で身勝手にも見える思い違いだった。

 しかし、ハルエンスが持つその生来の人の良さと若さ故の傲慢さは、時として良きにも悪しきにもなる。即ち――――。


「ルードさん……?」


 ――――果たして、ハルエンスの持つその心根こころねは、今この時どちらへと傾くのか。

 まるでそれを試されているかのように、ハルエンスは、自分と同じように星空の下に立ち尽くすロエンドールの姿をみとめた。


 ロエンドールは偶然この場に居合わせたわけではなかった。

 ハルエンスがやってきたのを確認すると、その碧眼に星の光を湛えてハルエンスの元へと歩み寄っていく。


「先ほどは、すまなかった――――」


「ええっ!?」


 ロエンドールが真っ先に発したその言葉に、ハルエンスは驚きのあまり気の抜けた声を発してしまう。

 一体なんのことかとハルエンスが尋ねるより先に、ロエンドールは僅かに俯いて口を開いた。


「俺のことでお前に害が及んだ。俺に咎がある……」


「そ、そんなっ! 気にしてないです! ほら、俺はこの通り怪我一つありませんしっ!」 


 言いながら腕をぶんぶんと振り回し、自身の健在をアピールするハルエンス。

 そんなハルエンスの様子に、ロエンドールは安堵の様子を見せた。


「でもびっくりしました。まさかルードさんがロエンドール王だったなんて。あ……陛下って呼ばないといけないんでしたっけ?」


「俺は罪人だ……王ではない」


「そうでした……じゃあ、俺も今まで通りルードさんって呼ばせて頂きますね!」


「ああ。それでいい」


 二人の会話はそこで一度途切れた。

 ロエンドールはただハルエンスの前に立つだけで口を開かなかったし、ハルエンスはロエンドールがなにか自分に用があったのだろうと思い、彼の言葉を待った。


 すると――――。


「――――また、俺と話をしてくれないだろうか」


「え……?」


 ロエンドールは、相当な逡巡の後に絞り出すようにハルエンスに告げた。


 燃えるような赤い髪に、立派な長身と精悍な顔立ち。かつては多くの臣下を最上段から見下ろしていたであろう鋭い眼差し――――。


 そんな、どこからどう見ても立派な騎士そのものの姿のロエンドールが、まるで乙女のように目を逸らし、ようやくそれだけを言葉にしたその様は、底意地の悪い者が見れば笑い話の種にしてもおかしくないような光景だった。だが――――。


「もちろんですよ! 俺なんかで良ければ、いくらでも! むしろ、俺の方こそルードさんのお話を聞かせて欲しかったんです!」


「そ、そうか……助かる……」


 ハルエンスはそういう類いの人種ではなかった。

 ロエンドールがなんとか口にしたその頼みを聞いて、今にも飛び跳ねそうなほどに喜びを露わにするハルエンス。


 ロエンドールはそんなハルエンスの様子を、不思議そうに、しかしどこかほっとしたような様子でじっと見つめ続けていた――――。 



 ●    ●    ●



 それからの遠征中、ハルエンスとロエンドールは多くの言葉を交わした。


 元より情緒が不安定だったロエンドールの扱いに苦心していた騎士団長も、ハルエンスと組むことでロエンドールが落ち着くことを認め、共に任に当たらせるように指示を出した。


 団長もまた歴戦の聖騎士と呼ばれる有能な人物だったが、大罪人を勅命に同行させた法皇の意志までは計ることが出来ず、困り果てていたところだったのだ。


「りゅ、龍ですか? ルードさん、龍とも戦ったことがあるんですか!?」


「ああ……。恐ろしい強敵だった。俺が戦った魔物の中では、最も強かったかもしれん」


「魔物の中で……じゃあ、ルードさんが今まで戦った全ての相手の中で一番強かったのは、誰なんでしょう?」


「それは――――」


 強大な魔物を探し出して討伐するという遙かなる勅命の行軍。

 しかしそんな日々も日常となった頃、ハルエンスが発したその何気ない問いに、ロエンドールは口をつぐみ、痛みを覚えたように片手で胸を押さえる。


『民も魔も、神も勇者も――――全ては余を楽しませるために刃を取り、ただ余の命を奪おうと挑みかかってくればそれで良いのだッ!』


 それは、かつてロエンドール自身が発した嘘偽りない言葉。


『狂王ロエンドール! 確かに貴殿は強者だ。貴殿の力は俺を上回るかもしれん。だが、たとえ貴殿が俺よりも強かろうと、俺達の力には遠く及ばない!』


 それは、かつてロエンドール自身めがけて放たれた、最強の勇者の言葉。


『我ら――――決して許されること無し!』

 

 それは、かつてロエンドールの前に立ち、その小さな体で必死に戦い抜いた少年の言葉――――。


「俺は……強くなどない。俺が心の支えとし、何よりも求めていた憎悪についてすら、俺は何もわかっていなかった……」


「憎悪を、求めていた……?」


 ロエンドールが漏らした憎悪という言葉に、ハルエンスは思わず首を傾げて聞き返す。


「かつての俺は――――人から憎まれることだけが生きがいだった。人から憎まれることで、自分の生を実感することができた。憎しみは嘘をつかぬ……俺が誰かを傷つければ、その者は嘘偽りのない憎しみを俺にぶつけてくれた……! だから俺は憎悪さえあれば、憎まれさえすれば他に何も要らぬとすら思っていた。しかし、俺は――――」


 ロエンドールはそこまで言うと、今にも泣き出しそうな表情で自らの顔を両手で覆い、呻くように言葉を続けた。


「そんなことを思っていながら、のだ……っ! あの少年の力で、この心に憎しみを沸き立たされた時に気付いた……! 俺は……人を憎むと言うことを全く理解していなかった……! 何もわかっていなかった!」


 ロエンドールは顔を覆う両手の奥で目を見開き、自分自身を嘲るように叫んだ。


 そう――――かつての決戦で、アルルンの全挑発オールヘイトがロエンドールに完全な効果を及ぼさなかった理由――――それは、から。


 父と母に捨てられ、嘘と虚飾に塗れた世界で育ったロエンドール。

 

 しかし彼は、父を恨むことも、母を恨むことも、自分に嘘をついた多くの臣下に対しても憎しみを抱いていなかったのだ。


 憎しみの代わりに彼がその心の内につのらせたもの――それは、だった。


 もしかしたら、この世界に生きるのが自分一人かもしれないという恐怖。

 自分自身すら、本当は幻なのかもしれないという恐怖。


 何を尋ねてもまともに相手をされなかったロエンドールにとって、周囲の世界とは実にあいまいで、危うい恐怖の対象でしかなかった。


 そして、彼の心を満たす無限の恐怖を和らげ、忘れさせてくれたものこそ、憎悪ヘイトだったのだ――――。


「俺もそうだった! 俺を救ってくれた、大切な憎しみに対して――――! うすっぺらだった! 俺も、俺の大切な物に同じことをしていたのだ! 俺は、それが許せず――――!」


「ルードさんっ! やっぱりルードさんは凄いですっ!」


 今まで内に溜め続けていた思いを溢れさせるように叫ぶロエンドール。

 しかし、そんなロエンドールの言葉に割り込むようにして、ハルエンスは突如として大きな声で喝采と羨望をロエンドールの耳に届けた。


 驚いたロエンドールがハルエンスに目を向けると、そこにはその言葉を全く同じ、どこまでも澄んだ尊敬の色を瞳に湛えたハルエンスがまっすぐに見つめていた――――。




  

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