第29話 服選びと試着
入ってきた場所から最も近いエスカレーターに乗って二階へと上がり、そこから少し歩いた先に目的地であるアパレルブランドの店舗があった。
「へえ〜、良い外観だね〜」
「あとここは案外値段も安いから財布にも優しいぞ」
「零聖くんも買っていくの?」
「いいのがあったらな」
そう言うと聖は店内全体を見て回るように一周する。どうやらどの服がどこにあるかを一通り確認しているらしい。一姫はその後を親鳥についていく雛鳥のようについていった。
「何か気になるのはあったか?」
「えっと、あそこのアウター」
「じゃあ、アウターから見て回るか」
二人はアウターが売られている区画に足を運んだ。デザイン、サイズ、値段等様々な要素を見ていき、自分の気に入る物を物色する。
「ねえ、これはどう思う?」
「悪くないが少し派手な気もするな」
しばらくはお互い服の感想を話し合っていたのだが、折を見計らって一姫は別の話題を話し始めた。
「悩み?」
「うん、いつ日本帰ってきても大丈夫なようにアメリカでも日本の流行とか色々調べていたつもりだったんだけど……やっぱり実際話してみると齟齬があってさ……」
零聖は自分から何かを話すことはあまりないものの話しかければ無視することなく必ず返してくれる。
服を選びながらではあるが零聖は一姫の悩みに対して一緒に考え、答えを出してくれた。
「うん、ありがとう。スッキリした!」
しかし、一姫が話題を変えたのは自分の悩みを聞いてもらうためではない。寧ろ
「じゃあ、零聖くんは悩みとかないの?」
これが本命。零聖の退学の理由を訊き出す、これがデートの主目的であることを一姫は忘れてはいなかった。しかし、零聖が大人しく喋ってくれるとは考えていない。
そこで回りくどいやり方ではあるが「退学」というワードは出さずにそれっぽいことを尋ねてみることでヒントを拾い集めることにしたのだ。
「悩みか。まあ、一番はやはり時間がないことだな。勉強に趣味、やらなければならないこと、やりたいことに費やす時間が圧倒的に足りない」
「なるほど……」
一姫は神妙に頷きながら考える。
(これが退学の理由?――いや、まだ判断材料が少なすぎる。もう少し探りを入れてみよう)
「じゃあ、零聖くんはその時間を作るためにどんなことをした、しようと思ってるの?」
「無駄な時間を削ること、だな。これを減らせば使える時間も増えると思ったのだが、やはりそう簡単にはいかない。それではゆとりがなくなってしまうからな」
それに対する零聖の答えは当たり障りのない普通のものだった。
「だけど……」
その直後、付け加えるように零した。
「そうなってくるともうやるべきこと、やりたいことを取捨選択するしかないんじゃないかって最近は思ってきている」
その言葉に一姫は目の色を変えた。
これは退学に直接関連する発言でないだろうか?あの少しで理由を聞き出せる、そう思い口を開こうとするが――
「朱雀、着たい服がある程度決まったなら試着したらどうだ?」
「ああ……うん。そうだね」
ここで出鼻を挫かれてしまう。強引に訊こうとすることも出来るが、そうすれば零聖はこちらの意図に気付き、警戒されてもしまうかもしれない。
一姫は一旦質問を呑み込むと零聖とともに試着室に向かった。
◇
「じゃーん!今度はどうかな?」
「うん、一番それが良いんじゃないか?」
「あ!今適当に答えたなー!」
「チッ……バレたか」
悪びれる様子もなく言った零聖に一姫は拗ねたように頬を膨らませる。
今一姫が着ているのはスーパーワイドパンツに白のスタンドカラーシャツで零聖がこの組み合わせが良いと言ったのは嘘ではなかった。
だが、何か物足りない。何かもう一つアクセントがあれば完璧だと思うのだが……
零聖は両方の人差し指と親指でカメラを形作るとその間から一姫の姿を覗きながら考える。
しかし、しばらくすると何か思い立ったかのように何処かへ立ち去ってしまう。
「零聖くーん?」
置き去りにされた一姫だが、零聖はすぐにとある物を手にして帰ってきた。
「ほい、これを付けろ」
零聖が持ってきた物を一姫の前に突き出した。
「これって……コルセット?」
「そうだ。服の上から着けるタイプのやつ。一回これ付けてみろ」
「分かった」
一姫は黒のコルセットを受け取ると試着室のカーテンを閉める。
零聖はその間、試着室前で待機していたのだが、少しすると一姫がコルセットを持った状態でカーテンを開け、情けない顔を向けてきた。
「ごめん零聖く〜ん、コルセットの付け方が分かりません……」
「しょうがないな……」
零聖は靴を脱ぐと一姫からコルセットを受け取り、試着へ上がる。
「失礼」
そう言うと零聖はコルセットの装着にかかるだが……
「あの……零聖くん……」
「何だ?あとソワソワするのやめてくれ。付け辛いだろうが」
「そうなんだけど〜……」
零聖はコルセットを付けるために一姫の腰に手を回し、その顔の横から下を覗き込んでおり、覆い被さるような体勢になっている。
当然、距離が近くなるので体がちょくちょく当たるし、吐息も感じられる。何より、いい匂いがするのだ零聖は。
香水でも付けているのだろうか。男臭さはなく、代わりに優しいシトラスの香りが漂ってくる。
ドキドキを堪えるように目を瞑り、零聖がコルセットを付け終わるのを待つ。
「よし、終わったぞ」
そう言うと零聖は一姫から離れる。
熱った体を冷ますように一度息を吐くと一姫は鏡の方へ向いた。
「わぁ、いい感じ!」
「だろう?」
一姫はコルセットを気に入ったようで鏡の前でクルクルと回りながら自分の服装を舐め回すように見ている。
「おい、そんな回ってると危な……」
零聖が注意したその時だった。回った拍子で試着室の段差で足を引っ掛け、一姫が盛大にバランスを崩した。
「きゃっ!」
「――っ!」
零聖は咄嗟に一姫を抱き止めるも思いの外、勢いがついており一緒に転倒してしまう。
「おい、大丈夫か」
零聖は上半身を上げ、自分の胸に埋まる形で倒れ込んでいる一姫に声をかける。
「う〜ん……あっ、ごめんなさい!怪我は……」
零聖にのしかかった状態であることに気付いた一姫が退こうとするも顔を上げ、固まってしまう。
鼻と鼻が触れそうなほどの距離で零聖の顔があった。
先ほどよりもずっと近い距離。倒れた衝撃で飛んでいったのかサングラスはなく緑色の瞳が露わになっている。
その瞳に魅入られたように動きを静止させる一姫。しばらくの間まじまじと零聖の顔を見つめていると、
「――?」
ふと、そこにあるべきものが欠けているような不思議な違和感を覚える。
だが、零聖の顔におかしなところは何もない寧ろ無いものがないくらいに過不足なく揃っている。
ならこの違和感の正体は何なのだろう。そう思い、零聖の顔をより近くで見ようとするが……
「おい……早くどいてくれないか」
その零聖の科白に今の状況を思い出す。そしえ、蘇った理性にじわじわと羞恥心が侵食していき、一姫は顔を真っ赤に染めると零聖から飛び退いた。
「ご、ごめんなさいーーーーーー!」
一姫はそのままの流れで土下座した。
「顔を上げろ。オレは大丈夫だから」
立ち上がった零聖が声をかけるも一姫は顔を上げようとしない。
申し訳ないのもそうだが、真っ赤になった顔を見られたくないのだ。文字通り穴があったら入りたい。
一姫と同じく顔に羞恥の色を浮かべた零聖がそれ見てどうしたものかと頭を悩ませる。その時――
『ガリッ』
背後から何かを削るような音が聞こえてきた。
「――誰だっ!」
覗きかと思い背後の入口へ咄嗟に振り向くもそこには誰もいない。試着室にいるのは自分と一姫だけだ。
「気の……せいか?」
もしかしたら試着室の近くにいるかもしれない。
確認しようかと思った零聖だったが、未だ土下座をしたままの一姫に一度、目を遣ると溜息を吐き入口に背を向けた。
◇
戻っていく零聖を確認した人影は良かったと息をついた。
思わず腹が立ってしまい、音を立てたせいで尾行がバレるところだった。
「だってあの女……レイに……」
一姫を庇い、抱き留めた零聖と零聖の腕に抱かれ、その体を預けていた一姫。
あの光景を思い出した人影は苛立ちと嫉妬心を抑えこめず、周囲に怒りの波動撒き散らした。
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