第12話 逃亡

 「はあああああぁぁ〜〜終わったああああ……」


 午前中最後の授業が終わり、嵐は歓喜に打ち震えるように盛大に体を伸ばす。

 大体の授業は居眠りする嵐だが、今日は零聖の協力(妨害)もあって一睡もせず午前中を乗り切ったのだ。


 「……の割には休憩時間になった途端元気になるよなお前」


 「普通に寝るより子守唄聞きながらの方がよく眠れるだろ?それと一緒だよ。抑揚のない声で淡々と説明されりゃ眠くなるもんだって」

 

 「なるほどな」


 確かにただボソボソと説明するだけの授業をする先生の時は眠くなりやすい。逆に声が大きかったり、抑揚のある話し方の先生の時は眠くならず授業を受けていられると零聖も思う。


 「で、どうするんだよ?」


 「?……メシ食べるけど」


 「だーーっ!違う違う!」


 零聖の返答がお気に召さなかったのか嵐は癇癪を起こすように横に激しく首を振る。


 「蘭とのことだよ!」


 「声がデカい」


 零聖は「黙れ」を省略する代わりに目に見えぬ速さで嵐の頭を叩いた。

 周囲に何が破裂したようなけたたましい音が鳴り響き、教室にいた生徒はそれが聞こえた方向に顔を向ける。するとそこには白目を剥きながら頭をガクンガクンと上下に揺らす嵐がいた。


 「乱獅子くん!?」


 そんな異常事態を間近に目撃してしまった一姫は嵐に駆け寄り軽く揺さぶってみるが気絶しているようで反応がない。


 「大丈夫。気絶しているだけだ。少し放っておいたら目を覚ます」


 なんてことのないように宣う零聖だがどこの世界に頭を叩いただけで相手を気絶させる高校生がいるだろうか。

 とても恐ろしい場面を目撃してしまった気がした一姫だが、考えても仕方ないのでここは取り敢えず幼馴染の言葉を信頼することにする。


 「ところで乱獅子くんも言おうとしてたけど蘭さんの件はどうするの?一、二時間目の休み時間も話しかけようとしてなかったけど」


 開き直った思考放棄の末に投げかけられた質問に零聖はピクリと体を反応させると動きをフリーズさせてしまう。そしてしばらくの間、沈黙が続いたがやがて諦めたように溜め息を吐いた。


 「何か……もう面倒臭くなっていいかなって……」


 「ええ〜……」


 幼馴染の投げやりな発言に不満げな声を洩らす一姫。そんな幼馴染はばつの悪そうな顔を作ると……


 「だってどう話しかけていいか分からないし……こちとら根っからの陰キャなんですよ」


 よく分からない言い訳を供述し始めた。

 黙らせるために同級生を気絶させる男子高校を陰キャというかは議論の必要があるがそんなことは関係ない。


 「昨日会ったばかりのわたしには学校案内までしてたじゃないの!」


 「あれは先生の頼みだったし……それにああ見えてオレ緊張してたんだぞ」


 またもや衝撃の告白を口にする零聖。あの案内中、この幼馴染は緊張しっぱなしだったという。


 そのこと聞いて何故か胸がドキリとしてしまった一姫だが、すぐに邪念を振り払うと強硬手段に打って出る。


 「じゃあこれも先生からの頼みだと思って!当たって砕けろー!」


 一姫が零聖の腕を掴んだかと思うとずるずると引き摺り出したのだ。


 「思えねえよ!あと、失敗する前提みたいな言い方も止めろ!」


 無理矢理恋のもとへ連れて行こうとする一姫と断固拒否とばかりに抵抗する零聖。

 その光景を見ていたクラスメイト一同は母親と駄々をこねるその子どもの絵面を脳裏を思い浮かべていた。


 (誰か助けてくれ……ッ!)


 零聖が藁にも縋る思いで願ったその時だった。


 まるで天への祈りが届いたようにポケットの携帯が振動したのだ。


 「ちょっとタンマ」


 一姫も零聖の携帯の振動に気付き拘束していた腕を解放する。

 晴れて両腕が自由になった零聖は鼻頭混じりのご機嫌なテンションでメールアプリに届いた内容を見るとニヤリと口を三日月型に歪めた。そして、携帯をポケットにしまうと右の手で顔を覆い、一姫の方へ振り返った。


 「悪いな朱雀。オレは今、呼び出しを喰らってすぐに行かなければならなくなった。お前に付き合う時間は……なくなってしまった……っ!」


 悔やんでも悔やみ切れないという忸怩たる思いを体現したかのような声色で零聖は体を震わせながら謝罪の言葉を口にした。

 普通は突然約束を破られたり、自分を蔑ろにされれば人は憤るなり悲しむなりするものだが一姫が見せた反応はそれらを通り越した呆れの感情で口角を引き攣らせるという滑稽なものだった。


 「……零聖くん、絶対思ってないよね?」


 一姫の指摘に零聖の動きが凍りつく。


 一見すると精一杯の誠意を見せた謝罪だが、一姫はそういう風には思えなかった。


 そう思った理由は二つ。


 一つ目は体が震えている点。先ほどまでのやりとりを忘れた上で頭を空っぽにして見れば嗚咽で体を震わしているとも見て取れるがあれは絶対に歓喜の笑いから来るものであると一姫は確信していた。


 二つ目は零聖の謝罪の言葉の言い方。文面だけを見れば完璧な謝罪なのだが、実際に零聖の口から聞いてみると言葉の端々からなんとも言えない白々しさが滲み出ているのだ。どうしてこのからそれだけ白々しい雰囲気が作り出せるのか感心を覚えるほどに。


 尚、これらの点については一連の流れを見ていたクラスメイト達もほぼ同じ感想を抱いていた。


 だがしかし、零聖の演劇は続く。


 「……オレのことを許せとは言わない。ただ、一つだけ言わせてくれ……さらばだ!」


 次の瞬間、零聖は纏っていた湿っぽい雰囲気を霧散させ脱兎の如く一目散に教室から逃げ出した。


 「あっ……逃げるなーー!」


 一瞬、反応が遅れるも自分の足の速さならまだ間に合うとすぐに後を追い一姫は教室を出るが、既に零聖の姿は見当たらない。

 しかし、近くに階段があったためこれを利用し撒いたのだということはすぐ分かった。

 一階か三階、どちらに行ったのかは迷ったが山勘で一階に降りると零聖が先の曲がり角を曲がっていくのを僅かに捉える。

 勿論、一姫はその後を追うも曲がり角を進んだ先は別れ道となっており零聖がどっちへ行ったのか見当もつかなかった。

 仕方なく右の道を選んだがその先を幾ら探しても零聖を見つけることは出来ず、遂に一姫は追跡を諦めた。


 「零聖くん……覚えてなさいよーーーーーー!」


 一姫の悔しさの篭った叫びは一階中へ響き渡った。

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