確かに存在したあの夏をレイナちゃんは体験していない

綾波 宗水

第1話 容赦のない陽光と見目麗しき少女

 空を見上げる。

 入道雲が向こうの方にサンタクロースの髭のように存在感を出しているが、あえて季節外れの例えを挙げても、さして涼しくはならなかった。


 大学二年の夏。僕は去年の無味乾燥な夏休みを反省し、今年は寮から地元へと帰ることに決めた。


 ガラガラと足元の石がズレ、あやうく体中に擦り傷をこしらえるところだった。しかし冷や汗は打ち水ほどにも効果を出さない。

 それでも、滑るようにして降りた波辺には、何の障壁もない訳で、大海原からダイレクトに僕の身体を通り越す風が、ようやく汗を少しだけ乾かしてくれた。塩分をひっそりと素肌に塗ってゆくその風はまるでかまいたちのようでもあるが、一番の違いは、この場所にはまったく憂鬱さが見受けられないこと。

 ざばんという波の音と共に、僕の自転車が倒れた。


 そして海からは、真っ白のワンピースを着た少女がご生誕あそばされた。

 かくて人類は神の大御心によりて地球に繁栄した訳である。


「えっち」


 その少女はパンツが透けるのを手で隠し、批判の意をむき出しにした。


 恥じらいは神の使いの如き美少女の特権なりや。もしなりとせば僕とて、この世に処女信仰なるものが霊験あらたかに幾世にもわたって信奉されてきた理由が分からぬ唐変木ではない。

 畏れ多いことだが、はっきり言ってとてもかわいい。

「へんたい」

 バカにしたような言葉にも蔑みはない。まさに純真そのもの。

 そんなセンシティブな新興宗教を立ち上げかねない心情には、やはり彼女の姿の影響か。

 とはいえ、一瞬目を離した隙に、真っ青な海から、真っ白な少女が登場したのだから、インパクトは言わずもがな、濡れてツヤツヤと照らされる髪にも目を引かれてならない。

「だから、見すぎ」

 小さな手のひらでも、ひ弱な僕は、再び天を仰ぐはめになった。少女にビンタされたからである。日焼けと塩と美少女ビンタ。



「死んだかと思った」

 不意打ちビンタだからって、そのまま気絶って、流石に僕弱すぎないか?熱中症対策にもっと大蔵省から予算を出してもらわねば。

 彼女の服の乾き具合から見ても、それなりに気を失っていたに違いない。

「……ごめんなさい」

 彼女も心配してくれていたようだ。そっか、ここらの浜辺は砂よりも石が多いから、打ちどころによっては………やっぱり、病院に行った方がいいかな。

「ひこうき雲」

「え?」

「ほら」

「それが?」

 残念ながら、僕より幼いからといって、気を紛らわせるのに、もはや雲の種類や形では効果が無いようだ。もういくつ寝ると大人なんだな。



「あんた、完璧不審者じゃん」

「やっぱり?」

「ホントのんきね。暑さで脳みそとろけたんじゃない?」

 いくら幼馴染とはいえ、大学生にもなって、こうも辛辣とは。初佳もとかの将来のお婿さんはさぞかし、心を痛めつけられるだろう。

 初佳は別の大学へ進学したが、偶然ながら彼女の方もこうして里帰りしていた。

「だいたい、聞いてりゃ少女少女って。リアルで女の子のことを少女って呼ぶヤツが唯一無二の幼馴染だなんて、何だか哀しいよ」

「僕は罪なヤツらしいね」

「はよ捕まれ」

 ぽかぽかと肩を殴られた衝撃で、はらりと何かが服から落ちていった。



 それは、夏の太陽にきらめく、あの少女の銀髪であった。

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