僕が「小説」を書き続ける理由。
飯田太朗
コーヒーブレイク
「ロバート。周。修繕の具合は?」
土曜の昼。ドーナツを買い込んだ僕は、とあるマンションの一室を訪ねる。
広い室内。壁という壁をぶち抜いて一間の大きな部屋にしてある。そこに置かれた……というより埋め尽くしている……巨大なコンピューター。民間人が使うことが許されている量子コンピューターの中でも最大規模を誇るマシン、「novel」だ。
そのマシンの影で配線を弄ったり、プログラミングをしている知人たちに声をかける。僕は買ってきたドーナツを床に置く。二人の知人が、ドーナツに手を伸ばす。
在日アメリカ人と、在日中国人。二人のエンジニアが僕の問いに答える。
「オールクリア。新品同然だね」これはロバート。
「処理速度も上がっていると思う。前より快適に使えるはずだよ」これは周。
それにしても、と、在日中国人の周がつぶやく。
「たかだかWeb小説書くためにこんなスペックのコンピューターを使うのなんて日本中探しても君くらいなんじゃないか?」
「VRの環境は快適にしておきたいんだ」
僕はにっこり微笑む。
「ありがとうな。君たちに相談してよかったよ」
「気にするな、ブラザー」
ロバートが拳を突き出してくる。僕も拳で応える。彼はドーナツを二口で食べた。相変わらずいい食べっぷりだ。
「今度、旭華園で食事しよう」周の言葉に僕は頷く。
「あそこの紅焼獅子頭は絶品だな」
「お前の奢りだぞ」
ロバートがびしっと指で僕を指す。僕は笑う。
「大して飲めないくせに」
ドーナツを片手に帰っていく二人の知人を見送ると、僕は修繕されたばかりのVR装置に入り、起動する。途端に目の前が真っ白になり、次の瞬間には。
電脳創作空間「カクヨム」。様々な大きさの四角形が空を覆いつくしている。原稿用紙をイメージしたデザインのようだ。誰かが家を建てる描写をしているのだろう。かたかたとキーボードを操作する音が聞こえる。空中で指を動かせばそこが自動でキーボードになる仕組みなので、本来音はしないはずなのだが、物を書く人間はあのタイピング音が好きだ。デフォルトの設定でタイプに反応して音が出るようになっている。
「やぁ、飯田氏」
声をかけられる。振り返ると日諸さんがいた。僕と同じタイミングで「カクヨム」にやってきた作家。いわば、同期みたいなものだ。
「三日ぶり? ちょっと見なかったね」
日諸さんの言葉に僕は答える。
「マシンをアップデートしていてな。ちょっと快適にしたんだ。ほら」
と、僕は指を鳴らす。途端にジャケット姿がシルクハットに燕尾服姿になる。目には片眼鏡。アルセーヌ・ルパンのイメージだ。
「マジックでもしそうだね」
笑う日諸さんに僕は再び指を鳴らして元のジャケット姿に戻りながらつぶやく。
「他にも全部で百八種類。煩悩の数だけアカウントの見た目を変えられる」
「飯田氏のいるミステリーの世界だと今の格好は似合いそうだね」
「産業革命時のイギリスみたいな雰囲気だからな、あそこは」
「ファンタジー民にも溶け込めそうだけどね」
僕は日諸さんと並んで歩く。
猫を抱えた女性アカウントが近くを通る。僕は声をかける。
「伊織姉さん。新作読んだぞ」
「どれ? 最近色々書いてるから」
「何だっけ? 女の子がドラゴン撲殺するやつ」
「ああ、あれね。『殴り聖女の彼女と、異世界転移の俺』」
猫を抱き直しながら伊織姉さんが笑う。
「今後の展開に期待しておいて」
「はいよ。ところでその猫何匹目だ?」
「好きすぎて装備にしちゃった。指鳴らせば変えられる。いつでも猫吸える」
猫の頭に鼻先を埋めてスーハーする伊織姉さん。まぁ、猫には中毒性があるよな。
しばらく歩くと、バイクにもたれかかってコーヒーを一服しているライダースーツ姿のアカウントを見つけた。僕はすぐさま声をかける。
「すず姉! 『愛してるの言葉さえ』よかった!」
くすくす、とすず姉が笑う。
「太朗くん、ああいうダウナー系のやつ、好みなの?」
「すず姉の作品なら何でも好きさ」
僕はおどけて見せる。
「新作、待ってるよ。無理のないペースで執筆してくれ」
「うん。ありがと。リアルの方で子供が春休みに入ってるからさ。なかなか書けなくて」
「無理のない範囲で書いてくれって。待ってるから」
「いつもありがとうね」
すず姉と別れた僕と日諸さんはカフェスペースに向かう。テラス席に腰かけながら、道行く人たちを見つめる。
「飯田氏、俺さ」
コーヒーカップに口をつけながら日諸さんがつぶやく。
「今度ラブコメ書こうかと思って」
コーヒーを噴きそうになる。
「『むせる』のがいいんじゃないのか?」
僕の問いに日諸さんが微笑んだ。
「ラブコメ、読まれるらしいんだよ」
「まぁ、創作は自由だ」僕はコーヒーに口をつけながら遠くに目をやる。「好きにやれよ」
「おう。やってみる」
往来を眺める。色々な格好の人がいる。全身タイツのスーパーヒーロー。派手な装飾の魔女っ娘。優に五メートルはありそうなロボを操作しながら歩く博士。創作の世界は自由だ。
「平和だねぇ」
実際、「カクヨム」は平和だった。
今日も「カクヨム」には色んな作家が姿を現している。
ファンタジーを書いている者。SFを書いている者。ミステリーを書いている者。
様々な作家が様々な世界を紡ぐ。僕はこの世界が好きだった。
さて、そんな日常に些細な変化があったのは、コーヒーもほとんど飲みかけた時。
話しかけてきたアカウントがいた。
「飯田さん! 日諸さん!」
結月花さんだった。銀色の長髪。獣耳。小柄な女の子。彼女は掌の上にあるファイルを展開していた。
「ほら! 今度闘技場でイベントがあるんだって!」
「イベント?」日諸さんが首を傾げる。「闘技場ってあれだろ。作家が作品で殴り合う……」
すると結月さんが飛び跳ねる。
「そうそう! 筋肉質なアカウントやたくましいアカウントがいて、もう眼福っていうかたまらないっていうか……」
「性癖漏れてるぞ」僕はコーヒーカップを置く。
「で、そのイベントがどうしたって?」
「バトルロワイヤルをやるみたいなの」
花ちゃんが示してきたファイルを見る。
「闘技場内を好きに動き回って、戦闘をする。最後の二名になるまで残れば勝ち。勝者には賞金十万リワード」
「十万リワード?」僕は大声をあげる。
「リアルで十万円だぞ?」
すると花ちゃんはにこにこしながら続ける。
「うん。でも勝者は二人になるから半分こで五万リワードずつになるみたい」
「すげー話だな」日諸さんもカップを置く。
「でも何でそんな話を俺たちに?」
「え、一緒に観戦しに行かないかな、って。闘技場って、女性アカウントだけだとちょっと入りにくいから」
僕はファイルに目を通す。
〈バトルロワイヤル。募集人員五十名。優勝者には十万リワード。観戦席チケット:一般席、特等席、参戦作家席……〉
「『参戦作家席』って何だ?」
僕が訊ねると、花ちゃんが答えた。
「参戦作家の関係者が座れる特別席みたい。いわゆるVIP?」
「整理するぞ」日諸さんが口を開く。
「結月さんは、たくましい男性アカウントを見たい」
「うん」
「女性だけだと闘技場に入りにくいから、俺たちに同行してほしい」
「うん」
「それだけなら、まぁいいかなぁ。どう思う? 飯田氏」
花ちゃんが展開しているテキストファイルを眺めながら、僕はにやりと笑った。ちょっといいアイディアを、思いついてしまったのだ。日諸さんの作品は、『君の姿と、この掌の刃』。かなり戦闘向きの作品だ。加えて僕の作品は……。
「そうだなぁ、日諸さんよ」
僕は彼の顔を見つめた。
「僕と一緒にこれ、参戦しないか?」
「それってどういう……」と言いかけた日諸さんに構わず、僕は花ちゃんに告げた。
「花ちゃん、参戦作家席でイケメン眺めさせてやるよ」
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