28.魔法と鈴の音

 風を切る音が響くと、私の身体は宙を滑り、地面に叩きつけられていた。


「うぐ……っ!」


 ぬかるんだ地面に押しつけられ、上から何かが覆い被さっている。

 これって、魔獣?

 ううん、だって思ってたより痛くない。

 恐る恐る目蓋を開くと、視界は汚れた灰色で埋め尽くされていた。


「……っ、この、馬鹿っ!!」


 目の前からの怒鳴り声に、涙が滲みそうになる。

 慌てて身体を起こすと、シグルドはすぐに立ち上がって魔獣のほうを向いていた。


「魔獣に物投げるなんて、死にてーのか!!」


「シグルドが死んじゃうくらいなら、私も死んでいいっ!」


 月を隠す後ろ姿に叫ぶ。

 右腕には血が染みこんだあとが残り、長剣を握る腕は力が入っていない。

 小さく響く魔法の呪文は、魔獣の攻撃を一度だけはね返した。

 もう、限界なのかもしれない。

 私よりずっと荒い呼吸は、長い呪文を唱えられないんじゃないか。

 なのに、魔獣は休むことなく腕を振り下ろした。

 やめて。シグルドを殺さないで。

 そう願った時、ヒュンヒュンヒュンと何かが飛んだ。

 そして目の前に迫った魔獣の前に、緑色の大きな背中が立ちはだかる。

 ガキン、と激しくぶつかる音がして、魔獣はすぐに離れていった。


「マーカス……!」


 警備隊が魔獣に矢を放ち、剣を叩きつける。

 いくつもの方向から来る攻撃に、魔獣はうろうろと腕を振り回す。

 だけどそれはただ気を引けているだけで、傷を与えられているようには見えなかった。


「君はどうやってあの魔獣を倒すんだ」


 前を向いたまま、マーカスはシグルドへと問いかける。

 その間も警備隊は必死に戦い、魔獣の視線をそらしてくれた。


「……俺は本来、魔術師なんだよ」


「ならばオレたちが注意を惹き付けよう」


 マーカスの言葉に、シグルドは鼻で笑う。


「猟師に助けられる理由なんて……」


 その言葉を遮るように、マーカスはこちらを振り返った。


「人に助けられなければいけない弱さを自覚するべきだよ。君も、クレアもだ」


 年長者からの窘めのような言葉に、思わず目を伏せてしまった。

 シグルドも眉を寄せていたけど、息を吐いてマーカスを睨みつける。


「……分かった。頼む」


 長くは持たないと言い捨て、マーカスも魔獣のほうへと向かった。

 警備隊の戦う姿は初めて見る。

 一人じゃない戦い方に、シグルドは小さく舌打ちをした。


「シグルド、今のうちに回復を」


 最後にやってきたノエルさんは、ずれた眼鏡をどうにか戻す。

 そして旅用の鞄から小瓶を取りだし、シグルドに差し出した。


「ノエル……お前、なんでここに」


「僕はフロンティエル領の牧師ですからね。狼の末裔の補助が仕事です」


 シグルドは受け取った小瓶の中身を一気に飲み干す。

 少し息が整ったように見えるから、何か特別なお薬だったんだろう。

 乱暴に口を拭ったシグルドは、地面に座ったままの私に手を伸ばした。


「……手を貸せ、赤ずきん」


 何も考えることなく手を握り、引き上げられる。

 握った手は湿っていて、多分、傷だらけなんだろう。

 痛まないようそっと力を入れると、逆にこっちが痛いくらい握りしめられた。


「私……シグルドを、助けられる?」


「お前じゃなきゃ駄目だ」


 そう言って、シグルドは一瞬だけ私を見てくれた。

 真っ黒な髪は夜の闇みたいで、琥珀色の瞳は満月の色と同じ。

 長剣を地面に突き刺したシグルドは、魔獣に向き直り、傷だらけの腕を前に伸ばした。


「鈴、鳴らせ」


「え? でも、効果はないんじゃ……」


 手首に巻いたままの銀の鈴。

 最初にもらった時、敵対した魔獣には効果がないって言ってた。

 だからどうしてかと思ったら、シグルドはむっとしたように眉を寄せていた。


「魔獣じゃなくて、俺のために鳴らせ。お前がいつも歩くのと、同じ速さで」


 シグルドのため。

 そう言われたら、疑問に思うことなんてなくなった。

 私がいつも歩く速さ。

 一人きりで小道を歩き、好きな人のお家に向かう。

 嬉しくてスキップしたくなるけど、長い道のりだからきちんと歩く。

 チリン、リン。チリン、リン。

 腕を振れば、涼しげな音が月明かりの下に響いた。


「っ、――――――」


 大きく息を吸ったシグルドが、不思議な音を口にする。

 今度は途切れることなく、滑らかな音楽のように響き渡る。


「――――――」


 ざわざわと風が巻き起こり、赤い頭巾が外れそうになる。

 だけど私は手を握ったまま、楽器のように鈴を鳴らす。


「――――――」


 長い音が終わったのと同時、風の塊が駆け抜けた。

 巨大な竜巻のような風は、天まで伸びているみたい。

 マーカスたちは魔獣から飛び退いていて、風の標的は魔獣だけ。

 あっという間に魔獣を飲み込んだ風は、一瞬あとに赤く染まった。

 肉の裂ける音、血しぶきが舞う音、悲鳴のような音。

 永遠に続くと錯覚してしまいそうになった頃、風は小さく消えていった。

 後に残るのは小さな肉片と、大量の血液と、むせかえる魔獣の臭いだった。


「これが……狼の末裔の力なのか」


 マーカスたちの呆然とした呟きが聞こえてくる。

 私だってこんなの見たことがない。

 だけど、どんな魔法を使ったからって、恐れる気なんて起きない。

 だってこれは、狼の末裔が、私たちを守るために使ってくれたものなんだから。


「……っ、あれ以外は粗方倒してある。残りは猟師連中でも……」


 言葉の途中で、灰色の身体が地面に崩れ落ちた。

 繋いだままの手が引っ張られ、私も地面に膝をつく。


「シグルドっ!!」


 よく見たら、身体中が傷だらけだ。

 血と汚れでまみれ、今まで立っていたのが不思議な状況だった。


「大丈夫、魔法の使い過ぎで気を失っただけですよ」


 すぐに駆け寄ってきたノエルさんは、倒れたシグルドを肩に担ぐ。

 その間にマーカスたちも近付いてきて、周りに魔獣は居ないと教えてくれた。


「彼の家に行きましょう。

 残りの魔獣は、領地に残った警備隊の皆さんが対処してくれるでしょう」


 荒れに荒れた場所を通り過ぎ、私たちはシグルドの家へと向かった。

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