NHKさかのぼり日本史(8)室町・鎌倉"武士の世"の幕開け:鎌倉から室町へ

 「NHKさかのぼり日本史(8)室町・鎌倉"武士の世"の幕開け」を読了。

 作者は本郷和人さん。NHK出版から出ている。

 深く狭く(東国)の鎌倉幕府から浅く広く(全国)の室町幕府になり、それから織豊をて、深く広くの江戸幕府へ。

 というのが武家政権の流れだろうか。

 鎌倉幕府から室町幕府まで、自分なりにまとめた流れは以下。


〇承久の乱(1221)

 公家から武家(鎌倉幕府)へ権力が移行する過程において、統治者としての武家の能力・経験不足が農民の逃亡・年貢不能を引き起こした。

 それを見た公家くげがわが勢力の挽回を図り兵を挙げたが、東日本に勢力を持つ幕府によって鎮圧され、西日本の公家の所領が武士に与えられた。

 結果、鎌倉幕府の西日本への影響力が増した。


〇建武の新政(1334~1336)

 鎌倉幕府を倒したのは武力を持つ武家であり、彼らが否定したのは北条氏で、武家政権ではなかった。

 しかし、だい天皇てんのうは武家の実力・貢献を無視し、公家の利益を優先した政治を志向したため、その政権は短期間で崩壊した。 


〇南北朝時代(1336~1392)

 日本の統治者として認知されていた天皇家だったが、南北に分かれたことによって、その正当性があいまいとなり、権威が弱まった。

 結果、武家(足利義満)が天皇という存在を乗り越えることを許し、その状況は明治維新まで続いた。


〇室町殿

 鎌倉幕府において、源氏の嫡流が三代(頼朝と二人の息子)で滅んだ結果、足利氏が源氏第一の名門となった。

 ちなみに、鎌倉幕府の実権を握った北条氏は桓武平氏の流れ。

 反北条の旗頭となった足利氏は鎌倉幕府を倒し、室町幕府を興す。

 足利将軍は邸宅のあった場所から、室町殿と呼ばれた。


〇室町幕府の基盤

 京都に政権の基盤を置けば、政治・経済・文化の先進地域を抑え、天皇や公家を監視・利用することができた。

 しかし、複雑な利害関係がからむ京都は、その闘争に幕府が巻き込まれるリスクを含んでいた。

 それを避け、東国(鎌倉)に根を下ろしたのが鎌倉幕府(源頼朝)、リスクを取ったのが足利尊氏あしかがたかうじ(尊氏実弟の直義ただよしは鎌倉派であった。のちに両者は領地を二分して対決)。


〇室町幕府の勢力

 武家は、複数の争乱をる中で全国に所領を広げつつ、公家から統治方法を学んだ。

 その流れが全国政権としての室町幕府を成立させた。

 しかし、幕府の統制は京都から離れた関東・東北・九州などでは限定的であった(これは江戸幕府も同じであった)。

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