第4話

 翌年は、柿の木はほとんど実をつけませんでした。熊にあちこち枝を折られてしまって、半分、死んだようになってしまったのです。

 猿もカラスも鹿たちも、不思議なことにそのわずかな実を取って食べようとはしませんでした。物欲しがって日に何度もやって来るのですが、柿の木のみじめな様子を見て、やっぱりあきらめて帰っていくのでした。


 長治が柿の木の番をするようになってから、すでに八年が過ぎていました。村ではようやく子犬が産まれ、そして柿の木もすっかり元気を取り戻し、秋になるとまたたくさんの実をつけました。

 長治は相変わらず竹の棒をにぎりしめて、柿の木の下に立っておりました。そのそばで子犬たちはお互い噛みついたり、田んぼに落っこちたり、どこまでも気がすむまで駆けていったりしてふざけておりましたが、それでも畑のふちでヘビだかミミズだかを見つけたときには賢明に身構えましたし、長治が柿の木を指さして「ホウホウ」と教えてやると、いかにもわかったような顔をして「フンフン」と鼻を鳴らすのでした。


 さて、どういうわけか今年は猿は一匹もやってきませんでした。どこかで子猿らが楽しそうにはしゃぐ声はよく聞こえるのですが、村へはまったくおりて来ないのです。夜になっても、長治は赤い火を一度も見ませんでしたし、柿の実はひとつとして、カラスに突つかれることさえありませんでした。


 秋が深まり、いよいよ柿の実が黄色く染まる頃、その理由が村人たちにはすっかりわかりました。山のあちこちに新しい柿の木が育ち、たくさんの実をつけているのがキラキラと反射して見えたのです。

「こりゃ、たまげたな」

 みんなは夢でも見ているみたいにしばらくぼんやりしておりましたが、となりで長治がばかの大口を開けているのを見て、ついに笑いだしてしまいました。

「猿のやつら、長治にせっせと種を運ばされたな」

「おう。鹿もカラスも、ひどく働かされたもんだ」

「長治の勝ちだな。作戦勝ちだったな」

「見ろ、長治」

 みんなは長治をかこんで、山のあちこちを指さしました。

「あの柿も、あの柿も、あの柿も、みんなおまえが植えたんだ」

 長治はもう何がなんだかさっぱりわかりません。いよいよキツネにだまされてしまったのかも知れない、そう思って目をパチパチやっておりますと、向こうのあぜ道を、なんだか妙にのんきな様子で一台の自転車がやってくるのが見えました。

「角砂糖、食べるかい」

 校長先生はもう今では村長さんです。

「しかし見事に増えたねぇ、長治くん。こりゃ、表彰されるかもわからんよ」

 村長さんは、ごほうびとばかりに角砂糖を差し出すと、自分もひとつほおばりました。

「長治くん、渋柿というのは渋いんじゃないんだね。甘くなるまでちょっと時間が掛かるというだけのことなんだろう」

 ふたりはいつものように舌の上で甘い角砂糖を溶かしながら、山いっぱいに柿の実が光るのを眺めました。

 きっと猿も鹿も、今年はお腹いっぱい柿の実を食べて、温かい冬を過ごすことが出来るでしょう。

 ふと、遠くの木の枝に熊棚が見えたような気がして、長治は目をこらしました。そして、もうどうしようもないことですけれど、あの時やっぱり熊のお尻を突っついて、山へ逃がしてやれたらよかったなと、それだけは悲しく思うのでした。

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渋柿 イネ @ine-bymyself

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