第2話

 翌年、猿は二匹でやってきました。

 長治があっちを向けばこっちの猿が、こっちを向けばあっちの猿が、簡単に木にとびついてしまうのです。まるで人間をバカにして「殴るか、殴らないか」とおどけてみせたり、どれも出来損ないの渋柿だというのに少しでも甘いところを食べたがって、ひとくちだけかじっては放り投げ、かじっては放り投げ、その実が長治の頭にぶつかったときには「キャ、キャ」と笑い声をあげたほどでした。

「ホウホウ! ホウホウ!」

 長治は必死になって声をあげました。けれどもいくら地面を叩いてみせたって、猿にはもうすっかり、長治にはそれ以上なにも出来ないことがわかってしまっているのです。

「ホウ! 柿食ってるぞ、猿だぞ、ホウ!」

 村人たちはそのたびに自分の仕事を中断して大急ぎで駆けつけるのでしたが、用水路の淵を刈る鎌も、稲束を縛る丈夫な縄もなにも、猿にはまるで役に立ちませんでした。


 あるとき、長治の通う学校の校長先生が自転車で通りかかりましたので、長治はあわてて呼び止めました。

「ホウホウ、校長先生、大変だぞ。柿が猿を食ってしまうぞ。みんな食ってしまうぞ」

 すると校長先生は太ったお腹で自転車をようやく降りて、きゅうくつそうに「ホッホ、ホッホ」と笑って言いました。

「長治くん、柿が猿を食うんでないよ。猿が柿を食うんだよ」

 そして厚ぼったい上着の内ポケットから、いつも自分でこっそりなめるために持ち歩いている角砂糖をひとつ取り出して、長治の口にポンと入れました。

「校長先生、なんだって猿は柿を食うの」

「そりゃ、腹が減ってるからだろうね」

 校長先生は自分の口にも角砂糖をひとつ放り込み、ふたりはしばらく舌の上でそれを溶かしながら、ぼんやりと猿を眺めました。

「ふむ、二匹いるね。長治くん、こりゃ、増えるかもわからんよ。まぁ、のんびりやろうじゃないか」


 その晩の村の話し合いで、柿の木に罠を仕掛けたらどうかと誰かが言い出しました。それは山でイノシシを捕るために使うもので、大きな穴を掘って底にとがった竹槍を何本も刺しておいたものや、金物の鋭い刃を隠しておいて、それを踏んだ獣の脚をガチーッとはさんでしまう恐ろしいものです。長治は背筋が凍るような思いがして、うしろのほうで聞いておりました。

「だめだ、だめだ」

 長治のおじいさんの声のようでした。

「猿はそんなものには引っ掛からね。長治のほうが掛かっちまう」

 みんなは思わず笑ってしまい、罠のことはそれきりになりました。

 そうしてどうすることも出来ないままに、この年もたいがいの実が食い荒らされて、猿の手の届かないところに残ったいくつかの実も、カラスがきれいに突っついてしまいました。

「長治、来年はその棒で殴ってしまえ。かまわない、やってしまえ」


 翌年、猿は三匹に増えました。一匹は子猿でした。

「ホウホウ、猿、来たぞ。ホウホウ、猿、増えたぞ。殴るぞ、ホウ!」

 長治は思いきって一度は棒を振り上げましたが、どうにも生き物をいじめるなんてことはやっぱり恐ろしくて出来ないのでした。

 しかたなく黙って眺めていると、猿というのは本当に器用なもので、ヘタのところをくるくるっとひねるようにして見事に柿の実をもぐのです。それからわき腹の辺りでちょっとこすってほこりでも払うふりをしたり、口にいれる前には両手で一度ヒョイと頭の上まで持ち上げて、まるで仏様を拝むような仕草さえしてみせたりもするのでした。ひょっとすると、子猿に柿の食べ方を教えてやっているようでもありました。子猿は一生懸命にお母さんの真似をして、小さな手で柿をつかもうとするのですがすぐに落っことして、今度は口に入れようとしても前歯がつるつるとすべるばっかりで、結局、甘えるようにお母さんのお腹に引っ付いてしまうのです。

 長治はたまらなくなって、とっさに子猿が落っことした実を拾い上げると、大きな口を開けてガブリ、ガブリ、とかじって見せました。

「こうやって食べるんだじゃい。柿はうまいもんだぞ、ホウ」

 ところがその渋いことといったら、口中が変に突っ張って、胃がぐるぐるして、ついに長治は泡を吹いて倒れてしまいました。

「長治、なんだっておめぇが柿食った。渋いに決まってるべ。おまえはほんとに、本物のばか子だな」

 その年も柿の実はひとつも収穫できず、村人たちはあきれて、怒ったり笑ったり、最後には大きなため息をして、長治から目をそらしてしまうのでした。

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