第36話 エリーゼのちから4
別の日、エリーゼはフィービーと一緒に花壇仕事に勤しんでいた。
まずはエリーゼの興味の赴くところから、緑の手の特性について知っていこうということになった。そういうわけで、新しく花壇を作ることになった。
育てるのは、エリーゼがこれまで育てたことのない薬草ばかりだ。
図鑑を片手に、ガレイド教授の種コレクションの中から十種類ほど選んだ。
「やっぱり、エリーゼ様が手入れをしている花壇の発育状況はいいですね」
生育状況を比較するため、別の弟子が同じ条件下でエリーゼと同じ植物を育てることになった。
確かに、エリーゼが種をまき、水をやっている花壇では、すでに芽が出ていた。
「いつも割と早く発芽をしていたので、これが普通だと思っていました。実家の庭師にも、才能がありますな、なんて言われていたので、そういうものなのかと」
エリーゼはスカートの埃を払った。
少し喉が渇いたため、二人で研究棟に入り、冷たい飲み物を用意する。ハーブを漬け込んだ水はよく冷えていて喉に清涼感をもたらしてくれる。
次に植える魔法植物について盛り上がっていると、人が駆け込んできた。
「大変です!」
よほど急いできたのか、男の肩が上下に激しく揺れていて、最初の一声以後呼吸を整えることに専念をしている。
フィービーが急いで水をついでやった。それを勢いよく飲み干した男が顔を上げた。
「東の実習園で生徒たちが紫胞子の木に襲われています!」
「えええっ⁉」
フィービーが大きな声を出したあとに、「またどうして……」と続けた。
「どうやら、度胸試しをしたらしく」
「なんて面倒な……」
質問に答えた男に対して、フィービーが頬を引きつらせる。
「状況は?」
「紫胞子の木が一斉に噴火しています」
「ああ……」
フィービーは慌てて奥の部屋に入った。今日はあいにくとガレイド教授は不在だ。彼女はすぐに戻ってきて、男と一緒に出て行こうとする。大きなカバンを肩から斜めにかけている。
「わたしも何かお手伝いできることがありますか?」
「エリーゼ様は……」
一瞬迷うような顔を見せたフィービーだったが、すぐに引き締めた。
「わたしといっしょに来てください。もしかしたら静めることが出来るかも」
「はいっ」
フィービーは箒を手に持っていた。
表に出たエリーゼはフィービーの箒に二人乗りをすることになった。
箒で空を飛ぶのはもちろん初めてだ。「しっかりつかんでいるように」という彼女の言葉に返事をして、両手をフィービーのお腹の前で交差させる。
ふわりと、浮遊感が身を襲い、すぐに地上が遠くなっていく。
「ひゃぁぁ」
初めての感覚に悲鳴が出てしまい、慌てて口を閉ざした。
飛行時間は長くなかった。同じ敷地内なのだ。すぐに到着をした。
とんっと、地面に足が着くと、ホッとした。
「このあたりは、生徒のための魔法植物学の実習用に、色々な魔法植物が植えられているんです。たまに、いるんですよね。度胸試しで授業以外で勝手に入って、悪さをして植物を暴走させるんですよ」
魔法植物から身を守る方法やその特性を学ぶための東の実習園。
木々が植わっているその先は煙のようなもので視界が濁っていた。うっすらと紫色の煙のようなものが濃く漂っている。
「セルデンさん」
現場には複数の大人たちがいた。その近くには倒れ込む生徒たちの姿があった。
フィービーの姓を呼んだ男性はエリーゼを見て怪訝そうな顔をする。
「紫胞子の木をたくさん植えているんですよ。この木は、大人しいんですけど、この時期実を付けます。刺激を与えると一斉に身が破裂をして紫色の煙をまき散らすんです。吸い込むと痺れます。一日くらい全身がびりびりします」
フィービーが簡潔に特性を教えてくれた。
「風魔法で煙を散らしているんですが、風向きによっては別の場所で被害がでるかもしれませんから、なかなかうまいこと魔法で散らせなくて」
「煙の量が多くてきりがない」
「まずいですよ。煙に驚いて、ツルたちが暴れてます」
「うわー」
相次ぐ現状報告にフィービーが天を仰ぐ。
「度胸試しをした生徒たちはこれで全員ですか?」
地面でうめき声を上げている生徒たちを見下ろしてフィービーが問う。
「あと一人、現在救出中です」
強い魔力をもつとはいえ、生徒たちはまだ魔法使いの卵たち。魔法技術は発展途中で、だからこそ度胸試しをしたのだ。
「はいこれ、解毒薬です」
フィービーが鞄の中から瓶を取り出した。
「これ、静まるのを待つしかないのか」
「結界は張ってあるか?」
教師たちが言葉を交わし合っていると、木々の奥から人影が現れた。
ゆっくりとその姿が鮮明になる。結界を張りながら、生徒をおぶっている教師だった。若い男の教師は駆け足でこちらに向かってくる。
しかし、その時だった。
木々の合間から蔦が現れた。木々を揺らす蔦は、人間に狙いを定めていた。
蔦の動きに刺激をされたのか、紫色のぷっくりとした実が再び煙をまき散らす。
「エリーゼ様、結界の中へ!」
フィービーが手招いてくれた。
別の教師が仲間を救出に向かう。
エリーゼも咄嗟に体を動かしていた。自分にもしも力があるのなら、今すぐに植物たちを静めたいと思った。
教師たちは植物を攻撃することを厭わない。現に焦げ臭いにおいが漂っている。
(お願い、静まって!)
エリーゼは強く願った。
攻撃をしないで。お願い。でないとあなたたちも傷ついてしまう。
「大人しくなって‼」
エリーゼは無我夢中で近くの木に触れた。
「うそ……」
誰の声だろう。ひとりの声が聞こえた。
そのあと、「早く! 今のうちにこっちへ来い」と別の人間が叫んだ。
生徒をおぶった男が駆け込んできた。
ぜえぜえと荒い呼吸をする教師に別の教師が肩を貸す。
紫胞子の木々はいつの間にか静まっていた。今は静かになり、先ほどまでの荒れた様子が嘘のようだった。沈黙する木々を呆然と見つめる人々はハッと我に返った。
何しろ現場は依然として大わらわである。治癒魔法専門の人間が到着をして生徒たちの様子を診ていく。その傍らでは教師が説教を始めていた。
静まったおかげで新しく煙に巻かれる心配がなくなり、手の空いている人間たちで風魔法を使う。
「エリーゼ様のおかげです。たくさんの紫胞子の木たちを一斉に静めるだなんて。すごいですね。しばらくは大人しくなるでしょう」
「でも、わたし一本の木に触れただけなのに……」
「おそらく、触れられた木から周囲に伝染したのでしょう。まさか広範囲に影響を及ぼす力だとは思ってもみませんでした」
「わたしも、無我夢中で。このままだと、あなたたちも傷つけられてしまう。攻撃を止めてって」
「なるほど……。エリーゼ様の能力は、想いに左右されるようですね。助かりました」
話をしていると、風が吹いた。それに乗って、煙が漂う。
「あ、これ吸っちゃ駄目なやつ!」
フィービーが咄嗟に結界を張るために呪文を唱えるが、一足遅かった。
煙を吸ってしまったエリーゼの体がびりびりと痺れだす。
そこまで酷い痺れではないけれど、あっという間に全身に広がってしまった。
「エリーゼ様、すぐに解毒剤を飲んでください」
「え、ええ」
フィービーも吸い込んでしまったらしい。痙攣する手つきで鞄の方へ近寄り、がさごそと荷物を漁り出した。
「大丈夫ですか」
「次に診てもらいましょう」
教師たちに心配をされていると、「エリーゼ」と名前を呼ばれて、抱きしめられた。
「これはいったいどういうことなんだ」
すぐに抱きかかえられ、見上げるとそこには真剣な面差しをしたアレックスがいた。
「アレックスさ……いえ、あの。どうして?」
「研究室に行ったらもぬけの殻だったから心配をして探した」
アレックスはエリーゼの胸元にとん、と触れた。そこには彼から貰った魔法石がぶら下がっている。なるほど、彼は自分の魔力を手掛かりにエリーゼの居場所を突き止めたのだ。
周囲は突然に現れたアレックスの姿に騒然となった。
エリーゼの正体が知れ渡り、皆一様に青い顔をした。
「解毒剤飲むので大丈夫です」
エリーゼの言葉に、アレックスがフィービーから解毒剤の入った瓶を奪い取り、そのまま一気に呷った。直後、口付けをされた。
口移しで薬を飲まされ、訳も分からぬまま嚥下する。
「誰だ。私の愛おしい妻をこのような目にあわせたのは」
地の底を這うような恐ろしい声に、大人たちが震えあがる。その中でもフィービーは「ああああ。私の人生今日までかもぉぉ」と青い顔をしていた。
「アレックス様。わたしが無理を言って連れてきてもらったんです。なにか、役に立つことがあるかもと思って」
「しかし」
アレックスのご機嫌は直らない。エリーゼは困ってしまい、これ以上彼の怒りが魔法学院の教師やフィービーにいかないように、一生懸命考えた。
「あ、あの、アレックス。今は……は、早く二人きりになりたい……です?」
思い出したのはブリギッタの言葉だった。目をキラキラさせてお願いごとをすれば、いうことを聞く云々。
(これってこういうときに使うのでいいのかしら……?)
でも、今は話を逸らすことの方が先決だ。
幸いにも、解毒剤が効いてきて体の痺れは取れつつある。
さすがは植物学の研究室。万が一のことに備えて解毒剤もきちんと用意しているのだ。
アレックスは、エリーゼにじっと見つめられて固まった。
「……わかった」
これでフィービーたちの平和は保たれた、はず。
エリーゼはそのままアレックスに抱きかかえられたままシェリダイン家の屋敷まで連れて帰られ、心配性の夫に朝まで世話をされることとなった。
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