初夏色ブルーノート【SF編】

暗黒星雲

第1話 夏みかんの花と城下町のカフェ

 付き合い始めて三年が経過した。プロポーズされるかもしれないと、胸を躍らせる日々が続いていた。会えない時間が長ければ、余計に期待は膨らむ。しかしあいつは、私の期待とは真逆の告白をした。別れたいと。他の女性を好きになってしまったと。


 私は何も言えなかった。

 あいつはくるりと背を向け、搭乗ゲートへと向かった。


 涙が溢れて何も見えない。恐ろしいまでの喪失感に、自分が何をしているのかさえ分からなかった。


 ふと、甘い香りが漂っているのに気づく。強い香りだ。

 土塀の向こう側に、夏みかんの花が咲いていた。黄色く実った大きな実を囲むように白い花が咲いている。

 この城下町には夏みかんが多く植えられている。初夏を感じる5月には、あちこちでこの甘い香りと白い花を見ることができる。私は小一時間、我を忘れて歩いていたようだ。ステーションからこの城下町までは数キロメートルの距離があった。


 そして、ほのかに漂う別の香り。

 これはコーヒーの香りだ。江戸時代の、長屋門の奥から漂ってくる。門の中を覗くと、奥まった場所にカフェがあった。そうだった。こんな場所にカフェがあったんだ。知ってはいたが利用した事は無かった。初夏のような陽気にあてられたのか、喉が渇いていた。迷うことなく私はそのカフェに入った。


 店内にはジャズ調の音楽が流れていた。音楽に詳しくない私は、流れている曲名さえ分からない。

 カウンターの席に座り、ブレンドコーヒーを注文した。コーヒーの味なんてわからないから、一番上に書いてあったのを選んだだけだ。


 グラスの水を飲み干す。気持ちが少し落ち着いた。


 初老のマスターがサイフォンを使ってコーヒーを入れる。アルコールランプを使ってフラスコを焙ると湧いた湯がロートに登り、コーヒーの粉と混ざり合う。しばらくしてアルコールランプを外したら濾過されたコーヒーがフラスコへと下がって来て……この、サイフォンでコーヒーを入れる過程を見たのは初めてかもしれない。いつの間にか私の胸は小躍りしていた。


 出されたコーヒーの香りを胸いっぱいに嗅ぎながら、ブラックで……とはいかない私は砂糖とミルクを入れてから一口味わう。凄く美味しい。初めてサイフォンを見て興奮しているからか、それとも本当にコーヒーが美味しいのか。よくわからないのだけど、とにかく美味しかった。


 コーヒーを味わっていると、店内に流れている曲が変わった。ピアノ演奏のジャズ曲だけど、これは知っている曲だ。

 あの、アニオタのあいつが大好きな曲、「貴方が私の光になる」だった。


 とあるアニメ映画のエンディング曲。本来は、女性ボーカルの透明感のある高音域が美しい曲だった。


 途端にあいつとの思い出が胸に溢れてくる。


 私たちは宇宙軍の教練過程で知り合った。

 人型機動兵器のパイロット。人間の霊体と人型機動兵器の操作系を直結させて操縦する新型のそれは、トリプルDと呼ばれていた。


 霊体、即ち人の意識を直接兵器に接続するこの方式はトラブルが多かった。ある者は意識が戻らず植物人間と化し、ある者は精神が崩壊して廃人となった。しかし、私たちはその難関を乗り越えて正式なパイロットとなった。実戦も何度か経験した。そんなある日、あいつは転属・機種転換を申請していた。それは小惑星破壊作戦のための特攻兵器〝ランス〟だった。


 ランスとは、地球に迫りくる小惑星を破壊するために考案された特攻兵器だ。全長120メートル、重量15000トンの細長い槍のような質量兵器を秒速500キロメートルまで加速させる。その強大な運動エネルギーで小惑星を砕くのだ。

 しかし、このランスはトリプルD以上にトラブルが多い機体だった。宇宙軍でもキチガイ兵器だと陰口をたたかれていた。


「ねえ。智昭ともあき

「何だ。明子あきこ

「やめて欲しいの」

「ランスに乗るのをか」

「そう」

「無理な相談だ」

「あなたがやらなくても……」

「全員逃げちまったら、地球は滅ぶんだ」

「でも……」

「誰かがやらなくちゃいけない。地球に衝突すると予想されている小惑星は百個以上あるんだ」


 私は何も言い返せなかった。今思えば、あいつとの関係がおかしくなったのはこの時からだった。


 いつもは必ず休暇のスケジュールを合わせていた。

 どこかのホテルで、必ず丸三日一緒に過ごした。月に行った事もあるし、軌道エレベーターで地上に降りた事もある。でも、衛星軌道上のホテルで、無重力状態で肌を合わせた時の感覚は非常に幻想的だった。


 しかし、あいつがランス搭乗員に志願してからは休暇のスケジュールが合わなくなった。当時は所属部隊が変わったから仕方がないと思っていたのだが、実は意図的だったようだ。


 義体化試験に合格して数々の訓練をこなしたあいつは、私に初出撃の挨拶をした。


「今から行くよ。俺たちはもう会わない方がいい」


 それがあいつから聞いた最後の言葉だった。


『貴方が私の光になる

 煌めく光の中に、二人の未来が見える

 それは永遠に続く、愛の調べ』


 私は思わずその曲を口ずさんでいた。


「これはいい曲ですね。私も大好きですよ」


 マスターの言葉で、私は現実世界へと引き戻された。アニメ映画の曲なのに、初老のマスターが知っていた事に驚いてしまう。


「ありがとうございます。大変おいしかったです」


 マスターは笑顔で頷いていた。

 

 私はコーヒーと夏みかんの香りが広がる城下町を後にした。

 明日から部隊に戻らなくてはいけない。人型機動兵器トリプルDパイロットとして再び宇宙へと赴くのだ。 

 

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