4日目 賑やかな昼下がり

 朝の客足も途切れ、夜の下ごしらえをしているとどうにも材料が足りないことに気付いた。


(できたら、明後日までは近寄りたくないんだけどな……)


 頭をよぎるのは昨日の事。過剰な敵意と遠慮の無い見下した視線。

 胸がぎりぎりと痛む言葉が浮かび、微かに腫れの残る膝がちりっとする。


「……でも、頑張るって決めたし!」


 勢いをつける為に掌をぐっと握ると、朝に感じたあの感触も思い浮かんでくる。

 硬く温かい手。それを差し出してくれただけでなく、自分を包んでもくれた。みっともなく泣いていた時だって、笑うことなく呆れることなく、握ってくれた。


「大丈夫……」


 きゅっと握って胸元に寄せると、その温かさが怯む気持ちを解してくれる。

 よしと頷き部屋着から普段着に着替え戸締りをして、扉のベルがからんと鳴る音と共に店を出た。



「何事……?」


 いつも通りの道を歩き辿り着いた商店街は、昨日とはまるで違っていた。

 多くの店が立ち並ぶ道では、視界の中に常に数名の衛兵が居て、細い路地も巡回をしているようだ。そして、その誰もが見目麗しい。

 数日前と同じように貴族風の女性が多数居たが、楚々と歩く姿は昨日までの血走った姿とはまるで違っていた。

 不気味に思いながら目的の店に行くと、品切れは目立つものの一昨日のような騒動は見られなかった。


「ミーナちゃん! 昨日は大丈夫だったかい? 隣の奥さんに聞いてびっくりしたよ」


 小柄な店主が奥から小走りで出てくると、その表情はとても心配そうだった。


「はい、大丈夫です。というか……これ、一体何があったんですか?」


 道の端で姿勢を正す衛兵をちらりと見遣ると、店主はほっと顔を綻ばせる。


「あぁ、衛兵さんかい? 今朝配置換えがあったようでね、選出期間中はこの辺りの警備を強化してくれるそうだ。これでもう、変なことは起こらないだろう」


「いきなり、ですね。それにやたら見た目のいい人ばっかりで……」


 ちらりと見回すと一人の衛兵と目が合い、にこやかに敬礼をされる。


「なんでも女性ばかりが来る所に、むさ苦しい兵をたくさん置くわけには行かないって話だ。気が利いてるけど、もう少し早くやってほしかったもんだね」


 まさか貴族のご令嬢があんなはしたない真似をするとは思っていなかったのだろう。今からでもきちんと配備してくれるのはありがたい事だ。


(それにしてもアルフリッドさんに話した翌日にこうなるなんて……本当に話をしてくれたんだ)


 昨日の薄暗い中言ってくれたことが思い浮かぶと、その前後にあったことも思い出してしまってじわじわと顔が熱くなっていった。


「さ、ミーナちゃん。いつもの包んでおこうか。他に買い物があるなら置いておくけどどうするかい?」


 そんなミリーナの様子には気付かなかった店主は気分がよさそうに言ってくる。重たい野菜ばかりなので気にしてくれたのだろう。今日は他に買うものが無かったので感謝を述べて持って帰ることにした。

 明日の最終日に向けて食材の吟味に余念が無い人々とすれ違い、数多くの衛兵の目のおかげか何事も無く帰ることができた。

 店に帰り袋を開くと、野菜の中にちょこんと果物の袋が乗せられているのを見つけ、自然と頬が綻んでいた。



 食材を保存庫にしまい終わると、時間は既に昼を大きく過ぎていた。


「アルフリッドさんたちが来るのは多分夕方で……その前に準備済ませておかなきゃ」


 必要な食材を取り出し包丁で手際よく刻んでいく。肉と野菜を鍋に入れいつものように水瓶から水を汲もうと蓋を開けると、ふと手が止まった。

 薄暗い水面に映るのは、特に何の特徴も無い見慣れた顔。茶色の髪はぎゅっとまとめて結い上げた実用重視なもので可愛げも華美さも無い。

 この三日間、自分の頭を侵食していく貴族の二人組はどちらもとても目を引く姿で……同時に出会った二人でも、自分の中でどんどん存在を膨らませるのは黒髪の彼。

 今朝、間近で見たアルフリッドはまるで御伽噺に出てきそうな姿だった。そんな彼と並んだ自分は、人からどのように見えるのだろう?

 ゆらゆらと揺れる水面に浮かぶ自分は、何だか泣いているように見えた。


「……早く、作らなくちゃ」


 心なしかいつもより勢いよく桶を入れると、そこには何も映る余地はなくなっていた。



 料理の下ごしらえを終えケーキを焼き始めてから外を見ると、強い日差しと厚い雲が混在した嫌な空だった。


「ミーナ、やっほー!」


 からんからんと音を立てて開いた扉には、服のよれたサリーの姿があった。


「やっほーじゃなくて、また見に行ったの?」


「もっちろん! こういうのは楽しんだ者勝ちなんだよ!」


 自信満々に言い放つサリーについ笑ってしまう。いつものようにカウンターに座ると、厨房から漂う甘い香りに鼻をひくひくさせた。


「なんかいい匂い……さてはケーキだな?」


「まだ焼けて無いからね。アルフリッドさんが夕方くらいに来るって言ってたから作っておこうと思って」


 さらりと言った言葉にサリーははたと何かに気付きニヤリと笑みを浮かべる。


「あれ? あれあれ? いつ約束したのよ、んん? おねーさんに言ってみなさい!」


「え……? べ、別になんだっていいじゃない! それにわたしたち同い年なんだからお姉さんとかないでしょ!」


「いやいや、あたしのが一ヶ月早く生まれたからおねーさんでいいの。さぁさぁ、何があったのー?」


 焦るミリーナと追い詰めるサリー。言葉の攻防を続けていると再び扉がからんと音を立てた。


「やっほーミリーナ嬢、それにサリー」


 扉に寄りかかっていたのはカインで、赤い儀礼服を着崩しどこかくたびれた様子だった。


「ほら、無理するな。悪いが水をくれないか?」


 扉を押さえ後から支えるアルフリッドも疲れ顔だ。


「カインさん! また無茶したんですか? すぐ持ってくるから座っててください」


 ぱたぱたと厨房に行くミリーナの後で、カインはカウンターの席に座りくったりと体重を預けた。


「もういいよ肉、あと魚も。さっぱりしたの食べたい、野菜とか果物とかそーゆうの」


 ぶつぶつと呟く姿はどんよりとしていて、隣に座るサリーは顔を顰めた。


「あんた、なんでそんなにぐったりしてるの?」


「……食事会、みたいなもん」


「馬鹿ね、加減しないの? 店に来るおじ様達はちゃんと自分の胃袋を弁えてるって言ってたよ」


 祖父の代から始めた服屋は、サリーの父が継いでからも昔からの客が足繁く通っているらしい。中には下級貴族も居るらしく、時折顔を出す祖父母との世間話でそういった会話を耳にしているようだ。


「普段は加減、するんだけどなー。まぁ、色々とありまして」


「色々、ね。お貴族様は大変ですこと」


 深く聞くことをやめると、よく冷えた水がカウンターに置かれる。


「落ち着いたら何かさっぱりしたもの食べますか?」


「んー、そうする。今日は脂はもう嫌だ……」


「今夜の食事会は欠席するか。男爵の屋敷は遠いしな」


「アルフがそれでいいならそうしたいかな」


 そう言いカウンターに顎を乗せたまま水を飲むと、どこかほっとした表情になった。厨房から漂う甘い香りに嫌な顔はしていないことにミリーナも胸を撫で下ろす。


「そういえば今夜は雨らしいよ、土砂降り。うちは早く店じまいするって言ってたし、ミーナもそうしたら?」


「こんなに晴れてるのに? まぁ、夜のお客さんが帰ったら早めに締めることにする。ありがとね、サリー」


 手馴れた様子でお茶を配りつつ外を眺めると、遠くのほうにあった厚みのある雲が少しずつ近付いていた。奥のテーブルで新聞を広げたり世間話をしたりする客達も、合間合間に空模様を気にしている。

 お茶を配り終えると、厨房に置いた砂時計が落ち切りそうなのに気付きいそいそとオーブンの前に向かった。そんなミリーナの様子をニヤニヤと眺めるサリーに、カインは呆れ顔を向ける。


「なによ?」


「いや、ミリーナ嬢楽しそうだなって。これは期待に答えなきゃな、アルフ」


「……だから、なんで俺に振るんだ」


 むすっとした顔で顔を背けるアルフリッドに二人は思わず笑ってしまった。



 使い込まれた古いオーブンの扉を開けると、熱気と共に甘い香りが溢れ出てきた。型の中身はふっくらと膨らみ、表面は薄茶色の焦げ目を付けている。

 一晩置くと生地が落ち着いてしっとりするが、焼きたてはふんわり感と卵の味が濃く出て別の美味しさを味わえる。

 細い串で火の通りを確認してからそっと型から外し、荒熱が取れるまでの間にクリームを緩く泡立て、皿の準備をした。

 適当な大きさに切り分け盛り付けるがやはり自分の作るものは華やかさに欠ける。ジャムでも添えようかと保存庫に向かうと、おまけしてもらった果物のことを思い出した。


「一緒に乗せれば少しは華やかになるかな?」


 サリーと二人で食べていた時には気にもしなかったのに、真剣に悩んでいる理由については考えないことにした。

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