太い方の岩田さん

@peripatosu

太い方の岩田さん

 バイト先に、僕と同じ苗字の人がいた。

 苗字で呼べば紛らわしく、名前で呼ぶには馴れ馴れしい。

 岩田さんは、いつしか「太い方の岩田さん」になった。

 岩田さんは、太かった。


 太い方の岩田さんは、「太い方の岩田さん」と言われるといつもギョっとしていた。

 自分の横幅にコンプレックスがあるのではない、今まで全く気にしていなかったし、太っているとも思わなかった。しかし「太い方の岩田さん」と呼ばれる瞬間だけは、自分が太っているということになってしまうのだ。岩田さんはそう言った。


 僕は太り始めていた。

 春学期はオンライン授業、夏休みは出かける用事がないとなれば、カロリーの収支が釣り合わないのは当然のことだった。


 太い方の岩田さんは、いつしか「できない方の岩田さん」と呼ばれるようになった。

 岩田さんはよくミスをした。ギャグのようなミスから、割とシャレにならないものまで。

 暇な時間が多い職場なので、従業員はよく雑談をする。岩田さんのミスは笑い話としてよくネタにされるが、岩田さんの話題を出す時は混同しないよう、決まって「できない方の岩田さん」の話であると強調された。

「できない方じゃない岩田さん」は、仕事ができる方だった。


 夏休みが明けるころには、2人の岩田さんはどちらも同じくらいの横幅になっていた。

「太い方の岩田さん」の呼び方は、もはや岩田さんを呼び分ける意味をなさなくなった。

 残る方法はただ一つだった。


 秋学期の終盤にさしかかると、学生の本分の方が忙しくなった。

 春学期に楽したツケを取り返そうと履修科目を詰め込んだせいだ。

 僕は、一時期バイトを休んだ。




 バイト先に、僕と同じ苗字の人がいた。

 苗字で呼べば紛らわしく、名前で呼ぶには馴れ馴れしい。

 僕は、いつしか「太い方の岩田さん」になった。


 自分の横幅にコンプレックスがあるのではない、今まで全く気にしていなかったし、太っているとも思わなかった。しかし「太い方の岩田さん」と呼ばれる瞬間だけは、自分が太っているということになってしまうのだ。やはり「太い方の岩田さん」の呼び名は強烈だった。自分の横幅を意識してしまう。

 その日から僕は、「太い岩田さん」になった。


 いつしか「太くない方の岩田さん」が太ってしまった。

 僕は自分の横幅を意識するようになってから始めたダイエットが功を奏し、前よりは幾分かマシな横幅になっていた。

 岩田さんは、どちらも同じくらいの太さになった。


 となると僕らを呼び分ける方法は、「できない方の岩田さん」だった。

「太い方の岩田さん」の呼び名が僕を「太い岩田さん」にするのなら、「できない方の岩田さん」の名は僕を「無能な岩田さん」にする。


 しかし、「できない方じゃない岩田さん」はやがてバイトに来なくなった。

 岩田さんが1人しかいないならば、もはや「できない方の岩田さん」と呼ばれる必要はない。

 僕は、僕が「岩田さん」になれたことが嬉しかった。

 僕はもう「できない方の岩田さん」じゃない。そんな意識のおかげか、少しずつミスが減っていった。


 だが三日天下は長く続かない。

「できる方の岩田さん」のテスト期間が終わり、バイトに来れるようになった。


 僕は、また「できない方の岩田さん」になってしまうのか。

 いや、それを回避する方法があった。



 僕は、とにかく食べた。

 また太るために。

 太くなれば、「できない方の岩田さん」から「太い方の岩田さん」になれる。

 ここで「できる方の岩田さん」より仕事ができるようになるという選択をできる人間だったら、僕は「できない方の岩田さん」になることなんてなかっただろう。

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