緊張の報告


「ただいまー!」


「ただいま帰りましたー」


 あれからしばらく二人で抱きしめ合った後、俺達はアーロン家へと帰って来た。


「あれ?お父さんは三馬鹿の相手をしてるから居ないのはわかるんだけど、お母さんも居ない?お父さん達に付き合ってるのかな?」


 三馬鹿って。


 確かにケネディはちょっと短絡的な所もあるけど、ヨセフとレーガンはまともだと思うんだが。


 アスナの三人に対する態度がやけに厳しい気がする。


 過去に三人と何かあったのかな?


「まぁ、居ないなら居ないで問題無いけど。さ、カズトさん、服脱いで」


 ………。


 ……は?


 この娘、今何て言った?


 俺の聞き間違いでなければ、服脱いでって言われた気がするんだが。


「あの、アスナさん。今、何とおっしゃいました……?」


「え?服脱いでって言ったけど」


 間違ってなかったー!


 何で⁉︎


 何で女の子の前で服脱がなきゃいけないの⁉︎


「……えっと、何で?」


「だってカズトさんの服、返り血で汚れてるじゃん。早く洗わないとシミになって落ちなくなるよ?カズトさんの服、高級そうだからちゃんと綺麗にしないと」


「返り血?」


 言われて服を確認すると、確かに血が着いている。


 ああ、リーダーを斬った時に付いたのか。


 そうか、俺、初めて人を斬ったのか。


 …………。


 何だろう、特に何の感情も湧かない。


 殺してないからなのか、それとも実戦を想定して稽古していたからなのか、人として何かが壊れているのか。


 まぁ、この世界で生きていくならその方がいいかもな。


 生き死にが日常の世界でいちいち罪悪感を感じてたら生きていけないだろ。


「カズトさん?どうかした?」


「ん?いや、何でもないよ」


「じゃあお父さんの服持ってくるからそれに着替えてね。あ、先にお風呂の準備しないと。ちょっと待っててね」


「あ、風呂の準備なら、やり方を教えてくれたら俺がやるよ」


「ううん、すぐに済むから大丈夫だよ。カズトさんはゆっくりしてて」


「え、でも何も手伝わないのはさすがに」


「いいのいいの。カズトさん、今日はアイアンボア退治やあの馬鹿達との闘いで疲れたでしょ?だから、私が全部やるから。旦那様を支えるのも妻の仕事だしね」


 そう言ってアスナは鼻歌を歌いながら家の奥へと消えて行った。


「旦那様、か」


 アスナと結婚して幸せにする覚悟をしたけど、一つ重大な問題がある。


 それは安定した収入が見込める仕事をどうにかして探さないと。


 新婚の旦那が無職とか笑えない。


 でも俺、リーマン経験もバイト経験もないからな。


 元の世界では道場の月謝で普通に生活出来てたし。


 さて、どうしたものか。


 …………。


 やっぱり剣士ギルドに入るのが妥当かな。


 剣を振る事が人生だったからな。


 それに、アイアンボア程度で大金になるんだから、俺の技量ならアスナ一人を養うくらいは出来るかもしれない。


 安定した収入を得られるかはまだわからないが、無職よりはマシだろう。


 よし、明日ギルドに行く前にアーロンに相談してみるか。


 しかし、今日は疲れたな。


 体力的にじゃなくて、精神的にだけど。


 いきなり十五歳の少女に告白されて恋人になって、そしてそれから数時間後に結婚を申し込まれて。


 よくよく考えると、俺って完全に受け身体質だよな、情け無いくらいに。


 本当なら男の俺が告白したり、プロポーズしたりしなきゃいけないのに。


 積極的なアスナにリードされっぱなしだ。


 せめて他の事ではリードしたい。


 婚約指輪に結婚指輪、あとは結婚するならアーロン家から出るべきだから新居も必要か。


 新婚生活は夫婦二人ですごしたいしな。


 しかし、全部実行するならどれだけの金が必要になるのか。


 まぁ、なるようになるだろう。


 頑張れ俺!


 絶対にアスナを幸せにするぞ!


 と、そんな事を考えていると、


「カズトさーん、お風呂の用意出来たよー。着替え置いておくから、ゆっくり疲れを癒してねー」


 というアスナの声が聞こえてきた。


 どうやら考え事をしていたら、結構な時間が経っていたみたいだ。


「りょうかーい、すぐ行くよ」


 色々考えるのは明日にしよう。


 今日はさっさと風呂に入って寝るするか。


 余計な事を考えるのをやめ、俺は風呂へと向かった。


 ♦︎♢♦︎♢♦︎♢


 チュン、チュン。


「んん……」


 窓の外から聴こえる鳥の囀りで、浅い眠りから意識が覚醒していく。


「もう朝か……あんまり寝た気がしない……はぁ、今日はギルドに行くから、早く顔を洗って朝の稽古を済ませないと」


 昨晩は気が昂ってあまり寝つけなかった。


 その原因は、俺が風呂に浸かっていると、突然アスナが一緒に入ると言って乱入して来た事だ。


 ほんと、タオル姿のアスナが現れた時は心臓が止まるかと思ったよ。


 で、それに慌てて風呂から逃げようとする俺と、俺を逃すまいとするアスナのディフェンス。


 そんな無意味な攻防をアスナが疲れ果てるまで繰り返し、やっとの事で部屋と逃げ帰ったのである。


 アスナが追って来る可能性を考え、急いで扉の鍵をかけると、案の定追って来たアスナがドアノブをガチャガチャと動かし、扉をドンドンと叩く。


 一瞬、ホラー映画の主人公にでもなった気分だったよ。


 アスナに何をしに来たのか問うと、『何もしないから一緒に寝ようよ!本当に、絶対に、ぜーったいに何もしないから!』だそうだ。


 うん、絶対に何かする気満々だろ。


 しかもそれ、男が言うような台詞だよ。


 間違っても、十五歳の少女が言っちゃ駄目なやつね。


 それからアスナをなんとか宥める、説得をするを繰り返していると、アーロンとアマーリエさんが帰って来た。


 玄関から二人の声がすると、扉の前からアスナの気配が消えた。


 どうやら怒られるのを恐れて部屋へ逃げ帰ったようだ。


 これでやっと眠れると思ってベッドに入る頃には、空が白み始めていたのだった。


 そんな事があったので寝不足気味なのだ。


 アスナさん、もう本当に勘弁して下さい。


「あら、カズトさん。おはようございます」


「おはようございます、アマーリエさん」


 顔を洗いに一階へ下りると、アマーリエが朝食の準備をしていた。


「今日も早起きですね、これから日課ですか?」


「はい。木剣、またお借りしますね」


「ええ、どうぞ自由に使って下さい。朝食が用意できましたら、声をおかけしますね」


「ありがとうございます」


 アマーリエに一礼して、洗面所に向かう。


「あ、カズトさん、おはよう!」


「おはよう、アスナ」


 洗面所に着くと、整容しているアスナがいた。


 昨日の暴走が嘘の様な、いつも通りのアスナだ。


「今から稽古?」


「そうだよ、今日は剣士ギルドに行くから軽めだけどね」


「じゃあ、今日も稽古をつけて下さいね、師匠」


「ああ、今日も厳しくいくからな」


「了解であります!よろしくお願いします、師匠!」


 アスナは朝から元気だな。


 俺と寝た時間そんなに変わらないはずなのに。


 これが十代の若さパワーか。


「じゃあ、庭に行こうか」


「うん!」


 アスナは嬉しそうな表情をして、俺の後をとことことついて来る。


「じゃあ、稽古を始めるよ。今日は素振り二百本からね」


「あの、師匠。私の聞き間違いじゃないなら、昨日より百本増えてるんですけど」


「ん?出来ない?百本に戻す?」


「い、いえ!二百本、頑張ります!」


「よろしい、では始めようか」


「はい!よろしくお願いします!」


 ………………。

 …………。

 ……。


「はぁはぁ……百九十七……はぁはぁ……百九十八…-…はぁはぁ……百九十九……はぁはぁ……二百……はぁ……終わりました……」


「お疲れ様。よく頑張ったね」


 本当によく頑張った。稽古二日目で二百本なんて中々出来る事じゃない。入ったばかりの門弟なら百本ですらギブする奴が多いんだけど、アスナは根性があるな。これは真面目に鍛えてたくなる。


「はぁ……凄く疲れたよ……師匠は凄いね……私が二百回やってる間に千回やって、全然息切らせてないし……本当に凄いよ……」


「慣れだよ慣れ。それより、二日目で二百本出来たアスナも凄いよ。新人の門弟なら、途中で力尽きる回数だからね。本当によく頑張ったね」


 そう言って頭を撫でてあげる。


「えへへ、師匠に褒められた。ねぇねぇ、素振りも終わったし、何か技を教えて欲しいなぁ」


 アスナが甘える様な表情で見つめてくる。しかも上目遣いで。


 可愛いなぁ……こんな表情をされたら、お願いを聞くしかないじゃないか。


 しかし技か……何を教えようか。なるべく簡単なのがいいんだけど……簡単、簡単な……あ、あるじゃん、不知火流の基礎の基礎。


「じゃあ、一番簡単な【風柳】を教えてあげるよ。アスナと試合した時に使った技だよ」


「ああ!あの私を優しく受け止めてくれた技!あの技、本当に凄かった!教えて教えて!」


「まあ、あの技は基礎の基礎だから、直ぐに覚えられるよ。まずはこうやって……」


 ………………。

 …………。

 ……。


「ここで腕をとって……えい!」


 俺の攻撃(もちろん手加減している)をギリギリで躱し、俺の腕をとって力の流れに逆らわずに投げてきた。


「よっと。うん上手く出来ている。おめでとう、この短時間でよく習得出来たね。やっぱり才能あるよ」


 俺は受け身を取って、アスナの頭を撫でながら褒めてあげる。


 褒められると人は伸びるって言うからな。


 俺は爺に褒められた事なんて一度も無かったけど。


「やったー!ねぇねぇ、次、次の技教えてよ!」


「いや、今日はここまでだ。いきなり詰め込みすぎてもよくないからな」


 過ぎたるは及ばざるが如しって言うからな。


「えー!まだ教えて欲しいよー!」


 アスナは駄々っ子の様に頬を膨らませる。


 あー、もう!本当に可愛いなー!


 こんな顔されたら駄目とは言えないよ。


 しかしなぁ、今から教えられる技なんて思いつかなし、どうしたもんか。


「アスナ、あまりカズトさんを困らせないの」


 声がする方へ振り返ると、エプロン姿のアマーリエが立っていた。


「朝食の準備が出来ましたので呼びに来ました。埃を払って、手を洗って来て下さいね」


「わざわざありがとうございます。直ぐに行きますね」


「ぶー、もっと教えて欲しかったのに」


「アスナ?」


「ひっ⁉︎」


 アマーリエさんがアスナを見つめると、アスナが小さく悲鳴を上げた。


「ごめんなさい!急いで行きます!」


 そして、逃げる様に戻って行ってしまった。


 あの反応、どんな恐ろしいものを見たんだろう。


「まったくあの娘は。カズトさん、あの娘に付き合ってくれてありがとうございます」


「いえいえ、弟子にするって言ったのは俺ですから」


「ふふふ、本当にお似合いの二人ですね。では、私は先に戻ってますね」


 アマーリエは微笑みを湛え、俺に一礼をして家へと戻って行った。


「ふわぁ……何だ、もうみんな起きてたのか」


「アーロン、おはよう」


「おはよう、お父さん」


「あなた、おはようございます」


「ああ、おはよう。いかんな、昨日の酒が残ってるみたいで、頭がズキズキ痛む。調子に乗って飲み過ぎたな、はっはっは、はぁ……。アマーリエ、すまんが水を一杯くれ」


「はいはい、どうぞ」


「ありがとな。んぐんぐ、ぷはーっ!あー、少し楽になった。顔洗って来るから、少し待っててくれ」


 そう言ってアーロンは洗面所に向かい、すぐに戻って来た。


「待たせたな。じゃあ、飯にするか」


「「「「いただきます」」」」


「んー、美味い!やっぱりアマーリエの料理は最高だな。二日酔いでもバクバク食える」


「もう、あなたったら」


「そういえば、カズト。剣士ギルドに行く件だが、飯食ったら直ぐに行くぞ。荷車引きにケネディ達と、手続き関係でヨハンとタイラーがついて来るからな」


「あー、その前にアーロンとアマーリエさんに大切な話があるんだ」


 俺はアーロンの言葉を遮り、深呼吸ををした。


「ッ⁉︎」


 俺の言葉を聞いたアスナに緊張が走る。


「私達にお話ですか?」


「何だ?改まって」


 アーロンとアマーリエは不思議そうな顔をして俺を見る。


「実は昨日アスナと話し合って、俺達、結婚する事になった。付き合ってすぐになってしまったが、二人で話し合った結果だ。だから、結婚を認めて欲しい。アーロン、アマーリエさん、どうか認めて下さい。よろしくお願いします」


「私からもお願い!私、カズトさんと一緒になりたいの!」


「「…………」」


 アーロンとアマーリエが何かを思案するように沈黙する。


 そして数瞬の後、


「ははは、それはめでたい!恋人なんて不安定な関係よりよほどいい。それに俺はカズトにアスナを任せたんだ。反対などせん、祝福するぞ。カズト、改めてアスナをよろしく頼む」


「ふふふ、これはおめでたいわ。今夜は豪華な料理を用意しなくちゃね」


 と、手放しで喜び、心から祝福してくれた。


「アーロン、アマーリエさん、ありがとうございます。絶対にアスナを幸せにしてみせます」


「お父さん、お母さん、私、絶対にカズトさんと幸せになるから!お父さんとお母さんみたいなずっと仲良しな夫婦になるよ!」


「ええ、カズトさんと幸せになりなさい。あなた達二人なら大丈夫よ。困った事があったらいつでも相談にのるからね」


 涙を浮かべたアスナを、同じく涙を浮かべたアマーリエが抱きしめる。


 そんな二人を見て見ていると、隣りから嗚咽が聞こえてきた。


 パッと隣りを見ると、アーロンが男泣きをしていた。


 やっぱり娘を嫁にやるのは複雑な感情なのかもしれないな。


 俺は三人が落ち着くまで、これから家族になる人達を見守る事にした。

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