第8話 突然、部活がお休みに
痛みを覚える夜中三時。
今まで活動停止していたガラケーが鳴った。
二、三度鳴って止まったからメールかもしれない。
メールの打ち方も分からないのにと思いながら画面を見てみると、
『おは~♪ 今日リエット作ってこ~い♪』
松葉さんからだった。連絡してくるなよと言っていたが、あちらから、それもこんな真夜中にとは思わなかった。リエットは煮込み料理だから二時間近くかかるので、四時には起きないと間に合わない。だけど、松葉さんからのご指示とあらば作りましょう。
返信とやらを押してみると、何やら作成画面に移行した。『分かりました。作ります』と打ちたい。だが、どうやって。
試しに0のボタンを押してみると、候補の中に『分かりました』を見つけた。なるほど、そうするとタ行は4か。押したのだが、『つ』をどうやって出すのか。
何度か押すとタ行で移動することが分かり、ようやく候補が出た。その中から『作ります』を選んだつもりが『作ってやる』と表示されてしまった。消すボタンはどこに、とポチポチ押していた時、
――送信中
ええぇっ!? なんで!?
慌てて『切』ボタンに手を伸ばすも画面には送信完了の文字。上から目線のような文を送ったことになる。
背筋は凍り、冷や汗が伝う。
すぐにピロロンと鳴って、
『調子のんなよ(怒)』
やっぱり怒っている。
弁解のメールを打とうものなら、また失敗しそうだったので、学校で直接謝ろうと悲しみに暮れながらキッチンに向かった。
朝、教室に入ると、松葉さんが相当睨んできた。柊さんは手を振ってくれるのに。
「何かあった?」
「メールの送り方が分からず、失敗しまして」
そう言ってガラケーの送信履歴を見せると、
「ぷふふ、グッジョブだよ」
「いや、笑い事じゃなくて。謝らないと」
「良いって。あとで言っとくから」
「助かります」
最近、柊さんが少しだけ表情豊かになった。笑顔に出来たのならまあ良いか。
昼休みまでに説得してくれたようで、今は機嫌が良い。
「つーか、何時にメールしてんのよ」
「トイレに起きたついでに送っとこーと思って。んで、持って来たの?」
「はい、ちゃんと」
鞄をトントンとさせてみた。
「傍から見たらカツアゲだけどね」
「じゃあ、あたしだけで食べよっかな?」
「それは勘弁。ちょーだいよ」
「多めに作ったので、柊さんも是非」
「ありがと」
「あら~、真昼間からイチャラブなご夫婦で」
「ちょ、やめてよ」
咎めようとする柊さんの頬を指で突っつきながら松葉さんが続ける。
「奥さ~ん、今晩は寝不足になりますね~」
「愛莉、下品だから」
そんな時だった。
光と共に大きな稲妻音が響いた。教室の中に悲鳴が所々で発生している。
「結構近かったね。えっ? 愛莉?」
見ると、柊さんの袖をギュッと握っている。
「あー、雷嫌いだったっけ」
「いや、別にー」
指摘されてすぐ袖から手を離した。
その後は雷はなかったものの、今度は強烈な雨が降り出していた。天気予報は快晴と言っていたが、折り畳み傘を持って来て良かった。
松葉さんの顔の険しさを見て思い出した。まだ赤い傘を返していない。こんなに酷い雨は始業式以来初めてだし。
「どうしよ」
「え、傘持って来てないの?」
「まあ」
「お気にの赤いヤツは?」
「どっか行っちゃった」
この時、確信した。あの時の女の子が松葉さんだったということを。
だけど、今は言い出し辛いし、今日だけ凌げるならという気持ちで鞄から傘を出した。
「コレ使ってください」
「え? 良いの?」
「良いの、じゃないから。藤ヶ谷くんはどうやって帰んの?」
「犬だしブルブルすればよくなーい?」
「返しなさい!」
「大丈夫ですよ。走って帰るので」
「ほら、犬めがこう言ってますわよ?」
「いつか罰当たるから」
「棒に当たるんじゃなかった? 犬の方が」
傘を片手に気分よく自席に戻っていった。柊さんはずっとその背中を睨んでいた。
放課後。
その予言が当たったのか、松葉さんが自席に突っ伏していた。
ふたりで近寄り、柊さんが声を掛ける。
「どしたー? 甘部はー?」
「今日はムリ」
「え? リエットは?」
「鬼に呼ばれた」
「あぁ、御愁傷様」
鬼とは一体。
「コレ、あんたにあげる」
「え?」
鞄の中から松葉さんが取り出した白袋を僕に渡してきた。
中には高級そうなクラッカーが入っていた。
「親戚から送ってきたヤツ。だからリエット頼んだんだけど、傘のお礼にあげる」
「悪いですよ、そんな」
「あたしは鬼婆との戦いがあるからじゃあね」
いつにない低いテンションで松葉さんは帰っていった。
「鬼とは?」
「あとで話すよ。行こ」
周りを気にする柊さんに倣ってみると、確かにまだクラスメイトが多くいる。他には隠していることなのだろう。
西館二階から東館二階へと差し掛かった時、柊さんの足が止まる。
「どうしたんですか?」
「今日は部活やめてうち来る?」
「え!?」
「雨降ってるし、入れてあげるよ」
水色の傘を持ち上げていた。
「ご迷惑じゃないですか? 家の方とか」
「大丈夫。わたしんちで時間潰したら、この傘で帰ってくれたら良いし」
「じゃあお言葉に甘えて」
上がり階段には行かず、下り階段に向かった。
所謂相合傘をしながら、門を出て帰路に就く。方角は僕の家と反対だった。
僕が傘を持って歩いていると、
「もっと自分の方に寄せなよ。肩濡れてるよ」
「いえ、僕は大丈夫ですから」
「それじゃ、わたしが」
柊さんが傘の先端を手で押し込み、それと同時に身を寄せてきた。
「え!? 近くないですか?」
「嫌?」
「い、いえ」
腕には胸の感触があるし、湿気混じりの外気とは別の、温かく優しい匂いを感じた。
しばらくそんな体勢で歩いていると、
「ここだよ」
見ると木造建築二階建てのアパート。お世辞にも綺麗とは言えないが、ここで家族と住んでいるようだ。
「ボロでしょ?」
「いえ、なかなか趣が」
「良いって。ボロいから。大家にはナイショだけど」
先に柊さんが階段をあがると、カンカンと錆びついた音がする。僕もそれに続きながら話す。
「今は誰かおられるんですか?」
「いや、ひとりだよ」
「お仕事か何かで? それとも買い物で?」
「ひとり暮らしだよ」
「ええぇっ!?」
驚く僕に対して動じない柊さん。
「どしたの?」
「いや、あの、帰りますよ。やっぱり」
「え? なんで?」
「そんな、女性の部屋に男が入るなんてダメですよ」
「あれ~? それって愛莉がいるのに、わたしに手出すってこと?」
「ち、違います! 決してそんなことでは」
柊さんが近付いてきて、僕の肩をトンと叩いた。
「なら問題ないじゃん。キミだから入れるんだし」
「え?」
意図していることは分からないが、ここで帰ってしまったら不埒なことを考えていたと判断されてしまう。そうだ、僕は松葉さん一筋だ。裏切るような真似は絶対にしない。これは、そう、友達の部屋にお邪魔するだけ。ただそれだけ。
手招きする柊さんの方へ僕は歩いていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます