学園の女神さまが腹黒だった件について
文嶌のと
プロローグ
高校二年一学期
第1話 ボッチ・ミーツ・ガール
――僕は何も知らない。
産後すぐに母が亡くなって、父とふたりで暮らすこと十六年。
小学生になる頃までは母方の支援もあり、寂しさは感じなかったが、徐々にそれも薄れ、ひとり懸命に昼夜問わず働く父の居ぬ間、気付けば鍵っ子で半ひとり暮らしと化していた。寂しくないと言えば嘘になるが、汗で黒ずんだTシャツを着た父の背中を見ていると、迷惑をかけてはいけないと思うし、学費のもとをしっかりと取って恩返しをしなければと感じて勉強や家事に明け暮れていた。
そのせいで社会性は発達せぬまま、高校生の現在、友達もおらず、碌に遊びも知らない――所謂、世間知らずボッチになっていた。
明日は四月八日、始業式の日であり、僕は高校二年となる。
だけど、その前日にあたる今日、そんなことを語り合う友人はおらず、日課となる買い物に来ている。
二日に一度くらいに訪れる見慣れたスーパー。コンビニをひと回り大きくしたほどの規模だが充分だ。必要なものを購入して、慣れた店員さんにお辞儀をして外へ出る。
いつもと同じ流れだったが、今日は少し様子が違った。
――雨か。
日照り続きで久しぶりに見る雫。農家の人達にとっては恵の雨だし、僕は折り畳み傘を用意していた。
黒い傘の下、カーキ色のエコバッグを片手に提げて帰り道を行く。
いつも人通りの少ない場所で妙なものを見た。電信柱のそばで赤の傘を片手にしゃがみ込んでいる女の子。年は同じくらいだろうか。ウェーブ混じりの艶ある腰ほどの黒髪に、長袖ロングスカートの清楚な装い。俯きがちなその横顔は雪のように白く、誰もが見惚れるだろう顔立ちだった。
僕のことには気付かず、必死に道端に置かれた段ボールの中に手を差し出していた。
何をしているのか声を掛けようと思った時、彼女は赤の傘を段ボールに被せて、傘なしで向こうの方へ走り去ってしまった。両手で頭部を庇いながら駆けていく後ろ姿は、曲がり角へと消えていった。
彼女が消えたあと、ゆっくりと赤い傘に近付いて見ると、そこには子犬が一匹捨てられていた。茶の柴犬だが、まだ幼く、彼女が覆う前に濡れていたのかブルブルと震えている。
連れて帰りたいのは山々なのだが、父は大の犬嫌いであり、飼う余裕もあまりない。
ふとエコバッグの中を見ると、魚肉ソーセージがあった。食べさせて良いのか不安だったが、細く痩せた子犬を見て包みを開けた。
小さくひと口大に千切ってやると、ゆっくりとした動きで食べてくれた。
「あーー、ワンちゃんだ!」
咄嗟に振り返ると、まだ小学生にもならない少女とその母親が立ったまま段ボールの中を眺めていた。
「まあ、捨てられちゃったの?」
「そうみたいです。僕の家では飼えなくて」
「おかーさん、うちで飼おうよ?」
隣にしゃがみ込んできた少女が熱心に母親を見上げている。その必死さに母親も熱心に考えていた。
「そうね。このままじゃ可哀想だものね」
「やったー!」
「大丈夫なんですか?」
「ええ。うちに先輩ちゃんがいるから仲良くするでしょうし」
先に犬を飼っているのなら安心だ。
急いで立ちあがって頭を下げて言った。
「ありがとうございます!」
「良いのよ。あなた純粋な子ね」
「いえ」
純粋だなんてとんでもない。自分では飼えなかったこの子を、他人に押し付けているようで罪悪感があり、今のお礼だって、この子が助かったことへのものなのか、飼わずに済んだことへのものなのか分からないし。
手慣れた様子で子犬を抱きかかえた母親は、大きめのボストンバッグにスペースを作り、その中へ入れてあげていた。母親が上からタオルを掛けてやると、疲れ切ったのか子犬はスヤスヤと眠っていた。
「コレもらって良い?」
段ボールに残った魚肉ソーセージを指差した少女。
「良いよ」
「ありがとー」
半分破れた包みを握り、軽くこちらへ手を振ると、母親とふたり、とても柔らかな笑顔で去っていった。
ふたりの姿が見えなくなるまで手を振りながら、視界の滲みを意識していた。目から出たもののせいかもしれないし、レンズに付いた雨雫かもしれない。
だけど、僕の心は温かかった。優しいひとを知れたから。
そのことで思い出したように段ボールに目を戻すと、赤い傘だけが寂しく残されていた。
傘を畳んで水を切り、隈なく探してみても名前などは無く、いつ会えるとも知れない彼女に今度会ったら返そうと持って帰ることにした。そのままにしておいたら彼女が戻るころには誰かが持って帰ってしまうだろうから。
家に帰り、夕食中に父と今日あったことを話しながら日は過ぎていった。
※※※
始業式の朝。久しぶりに袖を通す黒ブレザーに違和感を覚えながら着替えを済ませ、真新しい赤ネクタイに新鮮な気持ちを覚える。二年を提示する色が少し大人になった気分にさせてくれた。
入学してすぐの頃は四苦八苦していた作業も今日はスムーズにこなせた。掲示板で新たな教室を確認し、新たな教室で自分の席に座り、新担任とのホームルームを過ごし、講堂での始業式を送る。一年前をコピーしたかのような作業であり、その全てが僕にとってはひとり作業だった。
もう一度教室に戻った時、新担任である女性教諭――
「まだ一時間くらい残ってるが、やることないな。席替えでもするか?」
男勝りな言い方だったが、席替えには皆が賛同していた。僕は今の、前から二番目のままの方が良かったのだけれど。目が悪いから。
先生のスマホに抽選アプリがインストールされているらしく、左前から順に送っていくことになった。「他のアプリ見たら殺す」と言っていたが、一体どんなアプリを入れているのだろうか。ゲームか何かだろうか。
しばらくして僕の左列を後ろから前へと通過して、僕の前に座る子に渡った。サバサバとした雰囲気の派手な金髪のショート。一年の時には別のクラスだったのだろう、見たことがない明るさだ。
「はい」
手首には金の輪、小指には銀の指輪、黒のネイルと目を引くものだらけで思考が停止していた。
「なにしてんの? ほら」
「あ、すみません」
冷たい言い方だったが、彼女は顔色を変えず、怒っているようにも見えなかった。
渡されたスマホをタップすると三十と表示されて、今度は僕が後ろを振り返る。
――ッ!
またしても思考が停止した。
僕の後ろの席で「ちょうだい」と言わんばかりの顔をしていたのは、おそらく子犬に傘を置いて行った昨日の子だ。横顔しか見ていなかったが、髪型からして多分そうだ。
「よく止まるね、キミ」
「あ、いや、すみません」
彼女にスマホを渡して瞬時に前を向いた。
昨日の今日、再び出会ったから硬直したのもあるが、初めて正面から見た彼女の顔の美しさに圧倒されたからでもある。
凄いインパクトだと思いながら、赤い傘を返さないと、とも思っていた。
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