第11話

「あー、飽きたー!」


 女子たちが作業を初めて約一時間後、黙々と事務作業をしていた美帆が音を上げはじめた。

 パソコンを持ってきている瑞樹と泉が主体で、万帆と美帆は書類を綴じたりチェックしたりする仕事をしていた。飽きても仕方がない作業だった。


「なんか飲み物ほしい。瑞樹ちゃん、自販機とかないの?」

「この部屋を出て右のロビーにあるわよ」

「わかったー。ちょっと行ってくるね。お姉ちゃんも行こ?」

「えっ、うん」


 美帆が万帆を連れて、部屋を出ようとする。


「あ、出て左の方には行っちゃだめよ」

「なんで?」

「お風呂、今準備中だから」

「ふーん」


 万帆と美帆の二人はロビーに行き、自販機で飲み物を買い、近くにあったソファに座った。


「うーん。瑞樹ちゃん、どうするつもりなんだろう」


 美帆がコーラを飲みながら、万帆に話しかける。


「瑞樹ちゃんからなにか聞いてないの?」

「うん。今回は瑞樹ちゃんだけの作戦みたい。でも泊まる部屋同じなんだよね? 男子の部屋が別だったら、一人で夜這いに行くのかと思ったけど、まさかみんなが寝てる前で山川くんを襲うなんて……」

「あの瑞樹ちゃんなら……」

「……」

「……流石にないよね。しょーたんとか倭文さんとか、普段あんまり話さない子もいるし」

「だよねー。よし、ちょっと探ってみるか」

「何を?」

「この旅館だよ。ネットにも全然情報なかったし、正直どういうところなのかよくわからないんだよね。何か、瑞樹ちゃんの作戦に関係する大きなトラップが仕組まれているかも」

「だとしたら、瑞樹ちゃんが行くなって言ってた旅館の奥のほうが怪しいね」

「行ってみるかー」


 万帆と美帆は抜き足差し足忍び足で部屋の前を通り、瑞樹に行くなと言われた旅館の奥へ向かった。

 そこには大浴場があった。青い暖簾の男湯と、赤い暖簾の女湯。

 二人はまず女湯に入ったが、特に変わったところはなかった。それから誰もいないのを確認して、男湯の中も見た。こちらも女湯と同じく、特に変わりはなかった。


「普通の温泉だねえ」

「そうだね……あれ、こっちから外に出られるよ」


 美帆が戻ろうとしたところ、万帆がさらに奥へ続く通路を見つけた。

 二人でその通路を進むと、建物の外へ出た。そしてすぐに目に入った看板を見て、二人とも息を飲んだ。


 露天風呂(混浴)


「「これだ!!」」


* * *


 万帆と美帆が館内を探索していた頃、瑞樹と泉は黙々と作業を続けていた。

 この二人は同じ生徒会役員だが、相変わらず、仲が良いという訳でもない。次回の生徒会長選挙も、二人で人気が二分されているという噂だった。

 別に会話しなくてもいいのだが、ずっと無言だというのも気まずいので、瑞樹が話しはじめた。


「倭文さん。生徒会長選挙の応援弁士、決まったの?」


 応援弁士は、春休み明けすぐに学校へ報告しなければならない。もう決まっていてもおかしくない時期だった。


「隅田さんにお願いしたわ」


 隅田さんとは、泉を一番よく慕っている生徒会役員の一人で、あまり表に出るタイプではないが、とても真面目な女子だった。泉の応援役としては適任だった。

 なお瑞樹は、同じく瑞樹を慕っている中田という女子に頼んでいる。泉と違って瑞樹は生徒会内でも大声で話すから、これは公然の秘密だった。


「あら。山川くんのことは諦めたの?」

「応援弁士を頼むのはやめたわ。生徒会活動の経験はないし、迷惑かと思って」

「最初はそんなこと言ってなかったよね? 迷惑でもいいから山川くんにお願いしようとしてたでしょ」

「それは……あの時はたしかに、配慮が足りなかったわ」

「山川くんに嫌われるのが嫌なんだ?」


 泉は答えず、うつむきがちになった。いつもロジカルで明瞭な話をする泉が、問いに答えないのは異常なことだった。少なくとも生徒会活動でこういう反応は見せない。


「でもさー、山川くんって万帆ちゃんにしか興味ないじゃない? 諦めたほうがいいと思うよ」


 瑞樹にとっての強敵は万帆だが、泉もダークホースである。そもそも美人で男子にはモテるし、何より他と違って予測不能なことをする。

 さっさと潰しておきたい、というのが瑞樹の考えだった。


「別に、山川くんが万帆さんと付き合っていても私は構わないわ」

「……何それ?」

「山川くんが誰のことを好きになるかと、私が誰を好きになるかは別の問題だからよ」

「……はあ? あんたはそれでいいの?」

「ベストな状況だとは思っていないけど、待っていればチャンスが巡ってくることもあるわよ」

「なんか、あんたらしくない考え方ね」

「そうね。私、この問題に関しては自分で答えが出せないから、家族……みたいな関係の人に助言をお願いしてるのよ」


 家族みたいな関係の人、とは家政婦の山科のことである。もっとも山科は助言というより、泉をからかって遊んでいるだけなのだが、本人は気づいていない。


「ふうん」


 これで会話は終わってしまった。泉を諦めさせることは難しいが、この様子では当面、瑞樹にとっての驚異にはならない、と思ったからだ。


* * *


 場面変わって、旅館のすぐ下を流れる川の、川辺にて。

 光は、翔太の投げ込みに付き合っていた。

 こんなところまで来てキャッチボールか、という気持ちはあったが、翔太の野球にかける一途な気持ちには勝てなかった。この後温泉へ入るため、汗をかいた方がいいと思ったこともある。

 いざやってみると、自然に囲まれた川辺でのキャッチボールは気持ちがよく、いいリフレッシュになった。

 さんざん投げ込みをして、夕方、日が暮れそうになったところで旅館に戻った。


「ただいまー!」

「おかえりー。しょーたん汗くさいからお風呂入ってきな」


 部屋に戻ると、美帆がそう言って二人分の浴衣を渡してきた。


「しかたねーな。山川センパイ、一緒に温泉行きましょう!」

「おう」


 汗臭いという指摘には反論できなかったので、二人はさっそく温泉へ向かった。

 設備は古く、湯船もそう広くなかったが、それでも泳げるくらいの広さの大浴場だった。


「うひょー!」


 翔太ははしゃいで、泳ぎ回っていた。光たち以外にお客さんはいないとの事だったので、何も遠慮する必要はなかった。


「ふう……」


 一方、光は完全にリラックスしていた。

 家族で外出の経験があまりない光は、温泉に入るということがどんなものか、よくわかっていなかった。いつもより大きな風呂に入るくらいだと思っていた。

 いざ入ってみると、他に誰もいないためとても新鮮なお湯が、光を芯から包んだ。悩みは忘れて、一生このまま温泉につかっていたいと願った。


「センパイ、そろそろ出ようぜ!」


温泉を楽しんでいた光だが、この後夕食も控えていたので、翔太に従った。

 脱衣所に戻ると、自分が脱いだシャツがないことに気づいた。

 脱衣かごに書き置きで『洗濯しておきます 館主』とメモが残っていた。そこまで気を使ってくれなくてもいいのに、と思いながら光は浴衣を着て、部屋に戻った。

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