第9話 どうしても気になる

 トラに任せておくだけじゃ駄目だ、と自分でも調べてみることにした。

 とは言っても、探偵のようにあちこち嗅ぎまわる訳にはいかないので、ネットで。


 敦も私もSNSはやっていない。調べるなら大月翼、彼女の方だ。

 松岡建設の本社受付嬢、自分磨きにもそれなりに時間を費やしていると見た。自己顕示欲も強そうだし、何らかのSNSをやっている可能性は高い。多分、見つけ出せるはず。


 とりあえず関係ありそうなワードを入力、必要に応じてアカウントを作り、片っ端から検索をかける。

 そうしてどうやらそれらしいものが見つかった。案の定、大月翼さんはいわゆる『インスタ女子』だった。『つーちゃん』という愛称で投稿をしている。

 見てみると、ここ一、二か月の投稿がかなり多い。


 ホテルのモーニングとおぼしき写真に『#朝から一緒』『#たまには洋食もいいよね』のハッシュタグ。

 きれいにラッピングされたバレンタインのチョコレートの横に、さりげなく置かれた有名宝石店の紙袋の写真。『#愛情たっぷり』『#特別な日』のハッシュタグ。


 彼氏ができて幸せ! 見て見て!

 ……とばかりの怒涛の攻撃に胸焼けしそうだったけど、辛抱強く一つ一つチェックしていく。ところどころに映っている男性と思しき画像は、間違いなく敦だった。

 確か、ここ三か月と言っていた……年明けぐらいから付き合ってたのかな。

 じゃあ、その前はどんな投稿してるんだろう?


 やはりまだ付き合ってはいなかったのか、風景の写真や猫の写真などさりげないものばかりで、いわゆる『彼氏います』写真は無い。

 唯一気になった写真と言えば、クリスマスに投稿した室内のクリスマスツリーの写真ぐらい。

 部屋の雰囲気から、到底本人の部屋とは思えないし『#ホワイトじゃない』『#小さな幸せ』というハッシュタグがどこか切ない恋心を匂わせていた。


 でもまあ、大筋は敦の言った通りなんだと思う。クリスマス頃から二人は接近して、年明けぐらいから正式に付き合いだした。そして彼女は敦の子供を妊娠してしまった、と。

 普通に、そういうことじゃないだろうか。違和感とか気のせいだったかも……。

 でも……あれ?

 

 何気なく画像を眺めていて、ある共通点に気づく。

 彼女は一切顔出しはしていない。それは去年も今年も変わらないのだけど。

 ただ、物を指差したり、空を仰いだりといった写真には左手が写っているものがかなり見受けられる。

 その小指には、決まって小さなピンク色の石がついた指輪が填められていた。

 でも最近の写真からは、その指輪が無くなっている。


 会ったときの、彼女の手を思い出した。

 きれいなベビーピンクのマニキュアが塗られていた。……でも、指輪はしていなかった。

「婚約者です」

と言われて思わず左手を確かめたから覚えてる。

 婚約指輪はしてなかったけど……でも、婚約しているからってつねに指輪をしているとは限らないしね。


 受付嬢は、会社の顔だ。

 それは単に可愛ければいいというものではなく、各部署と速やかに繋ぎをとり来客を退屈させないスキルを身につけた『応対の達人』でもある。

 内容がわからなくても、今自分の会社が何に力を入れているのか、どういう計画を練っているのか、来客の顔ぶれでわかることもあるだろう。

 実は社内の中で、一番状勢に詳しい人間かもしれない。


 となると、他社の人間と恋人同士になることはあまり推奨されていないのでは? 食事に付き合うぐらいならともかく。

 厳しい会社だと、他社の社員に個人的に誘われた場合、自社に報告する義務があるという。


 以前の彼女の投稿が、匂わせつつも彼氏の存在をアピールしていないのは、その『あまり推奨されていない恋愛』をしていたからでは?

 敦と恋人関係になって、誰にも憚らず堂々と言えるようになったのが嬉しくて、その反動でこのアツい投稿になっているんじゃないだろうか。


 うーん、うがち過ぎかな。ピンキーリングをしていたからと言って、深い意味はないのかもしれない。

 恋人から貰ったものとも限らないだろう。自分の趣味かもしれないし。

 でも、じゃあ……どうしてわざわざそれを外す必要がある?


 もう一度、彼女のクリスマスの写真をよく調べる。見切れてるけど、壁に掛けられた時計が映っていて、短針が7と8の間にあった。つまり、時刻は7時台だ。

 朝ってことはないだろうし、夜の7時過ぎといったところだと思う。

 この部屋で待っていたのは敦か、それとも……?

 


   * * *


 

 月曜日の夜10時過ぎ。

 松岡建設本社からそう遠くはない居酒屋……の真下にある、昭和レトロを感じさせる喫茶店。

 コーヒーを飲みながら待っていると、若干赤い顔をした敦がキョロキョロと辺りを窺いながら入って来た。

 私の姿を見つけ、きまり悪そうな顔をしている。


「そんな挙動不審にならなくても」

「翼を心配させたくないから」

「だからGPSで調べられてもわからないように、この喫茶店にしたんじゃない」

「用意周到過ぎて怖いよ、清良」


 急な呼び出しに、敦は明らかに機嫌を損ねている。

 無理もない、私が連絡を取ったのは、敦の会社用の携帯電話だったから。


 忙しくて外回りも多くなったから、本当に緊急のときはこっちにかけてくれ、と以前に教えられていた番号。

 当然、仕事中にかけるような真似をするはずもなく、一度も使われるはずの無かったものなんだけど。


 どうやら敦の私物のスマホは彼女の管理下にあると考えた方がいい。だとすると、この会社用の携帯電話にかけるしかない。それに彼女の目の前で「もう連絡は取らない」と誓ったのだから、これは明らかなルール違反。


 それでも、私はどうしても最後に敦に聞きたいことがあった。

 だから、

「よりを戻す気は全くない。だけど、どうしても二人で話したいことがある」

と、会社用の携帯電話に連絡をしたのだ。


「よく同僚の人達と行っている居酒屋、あったよね? 河内ビルの三階に入ってる。そこの一階下の喫茶店に、月曜日の夜10時に来て。実際に飲みに行って、『先に帰る』とか言って抜けてくればいいでしょ? 時間は取らせないから」


と、私自らアリバイ工作の案まで授けたのだ。


『何でだよ。あれで最後だって……』

「ナカジン技研の浦西哲也さんのことで、話があるの」

『……っ』


 この男性の名前を出した途端、敦は急に口ごもった。

 そして、ほどなく『わかった、月曜10時な』とだけ言い、プツンと電話が切れた。


 それは――この〝浦西哲也〟が、敦や彼女とは決して無関係ではないことを表していた。



   * * *



「清良、何で浦西さんのこと知ってるんだ? 俺、取引先の相手の話なんてしたこと無いよな?」


 私の向かいに座り、乱暴に鞄を置いた敦が左手でワイシャツの襟首からネクタイを抜きながら右手で顔を仰ぐ。

 アルコールが入っていて暑いのか、それとも後ろめたさがあってなのか、とにかく春先とは思えないほどの汗をかいていた。


「偶然、聞いちゃったの」

「誰から!?」

「教え子。ナカジン技研にいるのよ。去年入社だったかな」

「……」


 半分は本当で、半分は嘘。

 私が初めて送り出した卒業生の一人がナカジン技研に入社したのは本当。

 でも、情報の出所はトラだから。


「浦西哲也さん、8月に結婚するんだってね」


 店員が敦の注文したブレンドをテーブルに置き、去っていくのを待って単刀直入に切り出す。

 カップを持つ敦の手が一瞬ぴくりと震えた。けれど彼は、

「……そうだけど」

とまるで何でもないことのように答えた。私からは目を逸らし、珈琲をゴクリと一口飲み込む。


「でも、去年まで……ううん、ほんの二か月前ぐらいまで、大月さんと付き合ってたんじゃないかって聞いたんだけど」

「何を……馬鹿なこと言うな!」

「えっ」

 

 ガチャリ、と乱暴にカップをソーサーに置き、敦が大声を上げる。

 その表情と声量に驚いて、固まってしまった。

 どうして、そんな……予想していたリアクションと違う。


 彼女の前カレが浦西さんだということぐらいは、当然知っていただろう。

 だけど、二股をかけられていたことは知らなかったんじゃないか。まぁ、敦自体が二股をかけていたんだから文句は言えないと思うけど、それは置いておいて。

 そして――ひょっとして、お腹の子は敦じゃないのに、都合よく父親役をやらされているんじゃないか。


 そういう懸念が、私にはあった。

 よりを戻す気は全く無かった。だけど――もし騙されてるんなら、さすがに黙っていられない、と思った。

 敦の様子が何か変だったのは、敦も何か不安を感じているんじゃないか。後に引けなくなっているんじゃないか。


 本当に余計なお世話だとは思うけど……私の自己満足かもしれないけど。

 敦の真意を、確かめたかったのだ。

 多分、私史上、最大の我儘だった。


 だけど……まさか、即座に否定するとは思わなかった。

 てっきり「そんな話は初耳だ」と動揺するかと思ったのに。


「どうしてそんな、はっきり否定できるのよ」

「何だっていいだろ。だいたいひどすぎるぞ、清良。人のプライベート暴いて楽しいのかよ?」

「そんなつもりは無かったけど、もし敦が何も知らないとしたら……」

「知ってる、全部。馬鹿にするな!」

「……」


 本気で睨まれて、どう言ったらいいかわからなくなった。

 八年の付き合いだった。でもこれまで、こんなに怒っている敦を見たことはない。

 

 そうさせてしまったのは、私。

 最後の最後で、私は本当に間違えたんだと。八年間をガラクタにしてしまったのは私自身なんだと。

 そう、気づかされた。

 



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