#0038 彷徨の果てにあるもの (2)【栞視点】






 夕方、というよりはもう夜と言っても良い時間帯の山形駅。

 ボクと葵はたまたま通りかかった改札前で、帰りの電車が止まっているという最悪のニュースを耳にした。


 再開の目途は立っていないというが、復旧に長時間かかるのは必至だ。

 おそらく今夜中は……



 葵はどうにかして次の乗り換え駅まで移動する手段は無いかと駅員さんに掛け合ってみているけれど、



「そうですか……ありがとうございます」


 そう答えて引き下がる葵の肩はどこか気落ちしているように見えた。


 やっぱりダメか……

 一縷の望みだと思っていたけれど、それでも現実を知らされるのは堪えた。

 ボクの心は、ひたひたと絶望感に侵されてきていた。



 駅員さんとの話を終えた葵がボクのところに戻ってくる。

 首を振っていた。



「葵……、ごめん。こんなことになってしまって」

「栞のせいじゃないよ」


 優しい瞳でフォローしてくれる葵。

 だけどボクの心は沈んでいた。



 今日のボクはついてないことばかりだ。



 お寺のお堂でボクの気持ちを告白しようとしたら、地震が起こってしまう。

 それに、お気に入りだった傘を電車内に置き忘れてしまった。


 そしてここに来て、電車が止まってボクたちは帰る手段をなくしてしまった。


 正直、ボクは泣きたい思いだった。



「……ボクが葵をこんな遠くに連れてきたせいで、大きな迷惑をかけてしまった。ボクのせいだ」

「そんな、おれは迷惑なんて思ってないよ」

「でも……せめて、美術館に戻ろうなんて言わずに仙台に向かっていれば、帰れなくなんてならなかったのに」


 お昼を食べながら、午後の予定としてボクが提示したもうひとつの案。

 物珍しさでバスなんか乗らず、再開した仙山線で仙台に向かっていれば……


 その時、葵とボクはほぼ同時に気づいた。



「栞、今からでも仙台に向かってみるのはどう?」

「そっか、その手があった」


 仙台からは東北新幹線が出ている。

 それはボクたちの住む街まで通じているから、距離的にはかなり大回りになるけれどそのルートから帰ることが可能だ。



 仙山線で仙台まで2時間かからないくらいだろうか?

 だとすれば最終の新幹線なら……うん、きっと乗れるはずだ。


 ボクは頭をフル回転させてそんな思考をする。



「……いけると思う」



 僕たちにはまだ手が残されている。

 さっきまでのブルーな気持ちはどこかへ行ってしまっていた。


 ボクは改札脇の券売機へ向かい、自分を急かす思いで画面に指をタッチし続けた。

 脇目もふらず、葵がうしろからボクを見守ってくれてることは意識の外だった。


 しかし……



「……満席、みたいだね」

「そんな」



 画面には非情な現実が表示されていた。


 指定席は完売。

 そして、ボクたちが乗るべき新幹線には自由席が無い。



 つまり、ボクたちは新幹線に乗れないということだった。

 神様はボクたちがこのルートから帰ることも許さなかった。



 どうして、満席なんて何かの間違いじゃないか……と思っていた時、背後の葵がまた何かに気づく。



「……そういえば、今日仙台でアイドルのコンサートがあるんだったね」

「……」


 そうだった。

 忘れていた、今頃Alice and Herculesのライブが仙台でやっているんだった。


 だから、ライブ終わりのファンが押し寄せる仙台発着の新幹線は満席なんだ……



 そのことにようやく思い至り、ボクは絶句する。

 ひとつの望みが完膚なきまでに絶たれた瞬間だった。



 券売機のキャンセルボタンを押すボクの心は失意で真っ暗になった。



「どうしよう、葵……」

「そうだね……」


 隣から聞こえる葵の声は変わらない落ち着きだった。



 ボクは泣きそうだった。

 葵がそばにいなかったらとっくに泣いていた。


 少しして葵が口を開く。



「……さすがにこの状況は、おれたちの手には負えない、かな。父さんに相談してみようと思う」

「そう、だよね……ボクも母さんに連絡してみるよ」


 ボクたちが出した答えはギブアップに限りなく近いものだった。


 相談と言いつつ、つまるところ車で迎えに来てほしいと打診するということだ。

 夜遅くにこんな遠くまで来てもらうのだから。かなりのお叱りを覚悟しないといけない。



 気は進まないけど、このままこうしていても時間だけが過ぎていくばかりだ。


 現状ボクたちに打てる手は思いつかなかった。



 ボクはスマホを出して、母さんに電話をかける。

 ちらと葵を見るとスマホでお父さんを呼び出し中みたいだった。


 10秒もしないうちに母さんに繋がる。



『もしもーし』

「……もしもし、母さん」


 ……電車が動かなくなってこのままじゃ帰れないから、山形まで迎えに来てほしい。

 そのことを伝えるのは何だか情けなくて、気が進まなかった。


 だけど、言わないと。

 ボクは静かに息を整えてから、母さんに現状を説明した……



『……ふぅん』


 電話越しの母さんの声は平坦で、なんだか無表情に聞こえるのはボクの気のせいだろうか。


 ……やっぱり母さんにも大きな迷惑になるわけだし、やっぱりお叱りは免れない。

 ボクは心がぎゅっと縮こまる思いで、母さんの言葉を待った。





『え、じゃあ葵くんとドコかに泊まっちゃえばいいじゃん』



 ボクは電話口から聞こえてきた母さんの言葉が理解できなかった。





「……え、ごめん。なに?」

『だから、葵くんと泊まっちゃえば? ホテルとかとってさ』

「……」

『……あれ。もしもし? きこえてる?』


 ボクはたぶん10秒くらい固まっていた。

 そして、母さんの言ってることがようやく理解できたボクは思わず大きな声を出してしまう。



「……な、なんてことをさせようとしてるんだ!」

『徹夜でほっつき歩いたり野宿するくらいなら宿とった方がいいと思うよ?』

「ボクが言いたいのはそういう問題じゃなくて! あ、葵も一緒にいるんだよ!?」


 気が動転したボクは思わず大きな声がでた。

 ……母さん、ボクが葵といることを忘れているんじゃなかろうか?


 ボクの声に隣で電話中の葵がボクをちらと見ていて、途端に恥ずかしくなってしまう。



 だけど母さんの返答は――



『知ってるよ、それは。……何か勘違いしてるかもしれないけど、なにもラブホに泊まれって言ってるわけじゃなのよ。普通のホテルで別々の部屋取ればいいのに、ダメなの?』

「なっ……、ボクと葵は中学生なんだ! 男女の生徒同士で外泊なんて、倫理的にダメにきまってるじゃないか!」

『葵くんはこれから家族、つまりあなたのお兄さんになろうとしてるわけだし、そうなったら毎日ひとつ屋根の下で寝泊りするのよ? 家族が同じところに泊まるのに何の問題あるの?』

「~~っ!」


 それは……そうかもしれないけど!

 そんな簡単に、葵とお泊りなんて出来るわけないじゃないか!



 もちろん、ボクは泊まる用意なんてしてない。

 それに、当然部屋は別にするとしても(そ、そんなの当たり前だよっ!!)、寝間着とかお風呂上がりの姿とか、ぜったい葵に見せることになる。


 そんな恥ずかしい真似できるわけない!

 日帰り旅行のはずだったのに、話が違うよ!



 ……そんなこと、葵の隣で言い返せるわけがなくて、ボクは歯噛みする思いだった。



 さらに母さんはボクに追い打ちをかける。



『で、葵くんには告白したの?』

「……な、なんで母さんがそのことを」

『綾から聞いた』

「……」


 綾のことだからきっと悪気はないはずだけど、この時ばかりは呪わずにはいられない。

 恥ずかしさで死にそうだ……!



『まあ、わたしの娘が考えることくらい、聞かなくてもわかるわよ』

「うう、うるさい。ほっといてくれ」

『ついでに娘のことをひとつ言い当ててあげましょうか。まだ葵くんに告白してないでしょ』

「――――――――!」

『あはは、図星? ちょっと、今日1日あって言えてないなんて、情けなさすぎるわよ』


 なんで母さんにこんなに煽られないといけないんだ……!



『べつに、一緒の部屋の一緒のベッドに泊まってもいいのよ? むしろ男女なら、ある意味そっちが自然だと思うの』

「か、母さん?」

『葵くんだって男の子なんだから、きっと狼よ~』

「なっ……! 一体なにを言いだしてるんだ!?」

『葵くんのためにとっておいたファーストキスも、処女も、いっぺんに捧げられるじゃない。誰にも邪魔されないわよ?』



 しょ、処女って……!!


 確かに、葵とのそういう想像、したことないといえば嘘になるけど!

 ……というか、何度もしてる。



 きっとボクは夢中になって葵を求めて……

 葵も……



 って、こんな時にボクは一体何を想像してるんだ!?

 そんな準備してないし……とにかく、そんなの絶対ありえないから!!



 あああっ! もう、なんでキュンキュンしちゃってるんだボクは!?




 と、その時。




 ぷしゅ!



 ……という、気が抜けるような音と、その後に続いてゴクゴクという何かを飲み干す音が受話口から聞こえてくる。



 まさか。



『ごめん栞。いまお酒飲んじゃったから、迎えにいくの無理になった』

「母さん!」

『ていうか、山形まで車で往復とか絶対いやよ』


 ああ……


 母さんに迎えに来てもらう希望が絶たれてしまった。

 ボクはへなへなと膝から崩れ落ちそうになった。


 アルコールが入って上ずった口調の母さんは、勝手に会話を切り上げ始める。



『まー、帰れなくなったのはアンラッキーだったかもしれないけど、禍福は糾える縄の如しっていうし。葵くんと仲良くなる絶好のチャンスじゃない。あ、補導には気を付けなさいね』

「えっ、ちょ、ちょっとまってくれ! ボクはどうすれば!?」

『好きにしちゃって構わないわ~。イチャラブえっちは青春の醍醐味よ? しかも相手は初恋の男の子じゃない。そのまま結ばれちゃうなんて、喉から手が出るほど羨ましがる人が大勢よ~』


 がんばりなさーい。

 応援してるわ~。


 ボクの声なんて届いていない母さんは、そんな調子のよいメッセージを言い残して一方的に電話を切ってしまう。

 ツー、ツーという無機質な電子音がなんだか無情に聴こえた。



「ちょっと、まってよ……」



 ボクは通話の切れたスマホを片手に呆然と立ち尽くした。

 母さんはボクたちを迎えに来てくれないということと、そのあと母さんが言った……いろんなことが頭の中をぐるぐるとして、一向に思考が纏まらない。



 カラダが熱くて、正常じゃなかった。




「……栞、ごめん。おれの父さんも、ここまで迎えに来るのは厳しいって」


 そして、ボクが通話を終えたのを見計らった葵が躊躇いがちに……申し訳なさそうに告げた。



「……どこかのホテルに葵と泊まれって、母さんに言われたんだ」

「……そうだね。おれも栞に、そう言おうと思ってた」


 万策尽きたボクたちの運命は静かに決定したのだった。





 * + * - * + * - * + * 





 気持ちをいったん整理するため、葵の提案でボクたちは場所を移動することにした。

 駅の出口を出てすぐのバスターミナルのところ、屋根のかかった場所にベンチがあったので、ボクと葵は腰をおろした。


 ボクたちは駅から近い距離にあるビジネスホテルを片端から検索して、今晩の宿泊ができないか電話をかけた。


 しかし……



『申し訳ありません。本日満室となっております』

「そうですか……すみません、ありがとうございます」


 さっきの電話でボクのスマホは充電切れになってしまった。

 それで、葵はボクにもホテルの人との会話が聴こえるようにと、スピーカーモードで電話していた。



 満室で断られるのは、これで4回目だった。



 1か所だけだったらたまたまかもしれないけど、4連続となると尋常ではない。


 きっとこれもアイドルのコンサートのせいだ。

 仙台市内だけでなく隣の山形のホテルまでファンの予約で占められているということだ。



 おかげで、ボクたちは寝床の確保すらままならない……


 雨の中でボクは頭が冷えて、心がだんだん冷たくなっていった。



「……うーん。なかなか、難しいね。こうも満員だと」


 電話を切った葵は独りごちて嘆息する。

 声色は落ち着いているけれど、さすがに疲れが滲んでいるみたいだった。


 ボクは葵にとても申し訳なくて顔を上げることができなかった。



「どこかの宿でキャンセルが出てるはずだから、根気強く探していこう」

「ごめん、葵……」

「栞は悪くないよ」

「でも……」

「疲れたでしょ? ちょっと休んでて大丈夫だよ」


 ……葵だって、絶対疲れているはずなのに。


 どうしてこんなことに。

 今頃、夕食をとって帰りの電車の中でまた葵と楽しいお話をしてるはずだったのに。


 ボクたちは今、初めて来た街の真ん中で行き場すら失っていた。


 ボクは座ったまま膝の上でぎゅっとこぶしを握っていた。

 情けなかった。



「ここもダメだったね……」

「……」


 ボクが俯いている間に、すぐ隣に座っている葵は5軒目のホテルに電話をかけて、そしてまた断られてしまった。


 断られるたび、自然と言葉数が減ってきていた。



 葵は、ボクと泊まることについてどう思ってるんだろう。


 ……やっぱり迷惑だろうか。

 そうだよね。当たり前だ。



 不測の事態とはいえ……やっぱり生徒同士で外泊なんておかしいよ。

 葵だってきっとそう思ってる。



 葵は優しい。

 こんな状況でも不平をぜんぜん言わないし、それどころかボクのことを気遣ってくれてさえいる。

 今のボクはその優しさに完全に甘えているだけだ。


 葵の本心を知るのが怖かった……



「……あ、ねえ栞。ここのホテル、最上階に展望浴場があるんだって。天然温泉って書いてあるよ」

「展望、浴場……」

「朝食もおいしそうだよ、ほら」

「……」


 葵はそう言って、ボクのひざの上……俯いてるボクの視線の先にスマホを見せてくれる。

 そこに写っていたホテルのウェブサイトは、たしかに大きな浴場と豪華な朝食が目を引いた。


 客室も綺麗そうだ。



 だけど……きっとまた満室だ。


 気持ちいいお風呂や、美味しいご飯、ふかふかのベッド……

 ボクたちが望んでやまないそれらは、どこまでも遠い存在に見えた。



「……」

「……電話、かけてみるね」


 ああ…… 葵を無視してしまった。

 きっと葵は、落ち込んでいるボクを見かねて声をかけてくれたのに、ボクは口を開けなかった。

 嫌われてしまっても仕方ない…… 自業自得だった。



 葵がホテルに電話する手つきはもはや慣れきってしまっていた。



『今日から1泊で、2名様ですね。確認致しますので少々お待ちください』


 ホテルの人はそう言って、保留音に切り替わる。

 そして、1分もしないうちに電話口から応答が――




『お待たせいたしました。ダブル1部屋でしたらご案内が可能です』



 だ、ダブルって……!


 ……シングルベッドが2つ並んでる2人用客室が、ツイン。

 それに対してダブルはベッドが1つだけの部屋だ。



 つ、つまり……

 この部屋を取ったら、葵と同じベッドで寝るってことで。



 ボクは思わずバっと葵のことを見上げた。


 葵は一瞬だけ逡巡していて、だけど躊躇なく答えたのだった。



「それで構いません。予約入れさせてください」

『畏まりました。それでは、お客様の……』




 葵ーー!!


 い、一体何を考えているんだ!?










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