ナイフエッヂ オブ ザデッド
@kasa-obake
第1話
夜闇の中で、ある男が息を荒げ誰かが通りすぎるのを待っていた。
新月も星も、その男の瞳を照らしてはいない。だが彼の瞳は赤く闇夜を照らしていた。
この街では、謎の通り魔事件が多発していた。
謎の、というのは、その通り魔事件が全て別の人物による犯行だったからだ。被害者には共通点もなく、また加害者にも共通点はない。ただ、手口だけが共通していた。
被害者は、全て肉を噛みちぎられていた。
今のところ被害者にも、加害者にも死者は出ていない。
そして、加害者はその時のことを全く覚えていなかった。死者が出ていない上、悪意すらもなく、何も覚えていない加害者に対してそれなりの人権は保護され、大きく報道されることもなかった。
なんらかの伝染病も疑われたが、その検査も無駄だった。結局、なんの異常も見つからない。
だが、定期的に現れるその通り魔に、街は暗い影を落としていった。
まさか、自分自身が通り魔に襲われることなど無いと思っていた。
少し、帰りが遅くなってしまっただけだ。急いで、走っていて……。路地で男の人の横を走り抜けようとして、不意に肩を捕まれ、地面に押し付けられた。
女の子なんだから夜道に気をつけなさいとか、近頃は物騒だからとか、もう飽きるほどに聞いていたはずなのに。
目の前の男は明らかに異常だった。涎をダラダラと流しているし、目は血走って真っ赤になっている。
街灯の薄明かりが、男の目を赤く光らせていた。辺りに人通りはない。
男が、口を大きく開いた。
「ひっ、あ、助け」
恐怖が悲鳴すら上げさせない。自分の口がパクパクと開くだけだった。
男の首がもたげ、私の首の肉に歯を当てた。そのままギリギリと肉を食いちぎろうと首を振るその男に、持てる力を全て使って抵抗した。首筋の痛みが生存本能を呼び起こしたのか。
腕と足を振り回すが、所詮女の力で、男の体を振り払えるわけはない。だが、振り回した手が、何かを掴んだ。
男の体から脇腹から突き出たそれを掴んで、力を込めると、得も言われぬ感触が手を伝った。動かすほどに、その感触がヌラヌラと伝ってくる。そして、男が噛み付くのをやめて苦しげな声を上げた。
肉からはみ出たそれは、薄く光る刀身だった。自分が、男の体に刺さった刃に渾身の力を込めていることを理解した瞬間、思わずそれを引き抜いてしまった。
ナイフがズルリと引き出され、男が私の上に力なく覆いかぶさった。男の体を引き剥がして、体を起こす。手に握られたナイフを目にして、この状況を人がどう思うのだろうかと考える。
思わず、そのナイフを手にしたまま、その場を駆け去った。
私は昔から、よく眠る子供だったらしい。赤ちゃんの頃ですらほとんど夜泣きしなかったそうだ。そんな赤ん坊だったから、両親はどうしていいのかわからず、結構苦労したらしい。その体質は直ることもなく、眠っても眠っても眠り足りない気がする。
高校生になってもそれは変わらない。
眠い、寝足りない、瞼が重い。
秋の終わりの寒空の元、うつむいて学校への道を歩いている。高校への登校時間は自宅から徒歩十分弱。自転車に乗ればもっと早いのだろうが、この距離では自転車での通学許可が降りない。律儀に守る必要もない気はするのだが、そういう規則を破れない私は、こうしてトボトボと歩いて通っている。
今の高校を選んだのは、単に家から近いという理由しかない。偏差値を考えればもっと上の高校だって目指せたのだろうし、実際中学の担任からはもっと上の高校を勧められた。
だけど、めんどうだった。
別に勉強が面倒だとか、そういう理由ではない。ただ、その進学校がどこも遠かったのだ。朝に弱い私は、ギリギリまで寝て心の安息を得る事を選んだのだった。
そして、高校一年の二学期も半ば過ぎて今に至る。
いつも気怠げなのは本当に眠いからだし、今も眠い。うつむき加減なのもいつものことなのだが、その理由はいつもとは少し違っていた。
眠れなかった。浅い眠りと夢の間を行ったり来たりして、ずっとまどろみの中をさまよっていた。朝の至福の微睡みを味わうこともなく、朝日とともに身を起こして、真夏の朝のような汗をパジャマに染み込ませた気持ちの悪い朝だった。
原因なら知れている。昨日、男に噛み付かれ、そしてその男に刺さっていたナイフを、よりにもよって自分の部屋にまで持ってきてしまったことだ。
なぜあんな行動を取ってしまったのだろうか。いくら気が動転していたとはいえ、人の体に刺さっていた刃物を抜き取って持って帰るなんて。それを手放して直ぐに警察にでも駆け込めば良かったのにと思う。でも、何故かそんな考えは頭のなかから消えていた。
昨日の事を思い出す。あの時、ナイフを抜いてその場に倒れた男はどうなったのだろうか。
今朝のニュースを見た。無駄に早く起きてしまったのも手伝って、朝刊の地域のニュースやテレビのニュース番組をくまなくチェックしたが、それらしい事件は載っていなかった。
そして、通学路、昨日私があの男と出くわした辺りを通り過ぎる。そこには死体などなかったし、血の跡すらもなかった。脇腹に刺さったナイフを抜いたのだ。当然、血が流れたはずなのだが、それらしい痕は何もない。と言っても、アスファルトの上に残された血痕など今まで見たこともないので、どんなものかも分からないのだが。
どちらにせよ、私が昨日遭遇した通り魔とその痕跡は何も見当たらず、いつもの通学路があるだけであった。
あの通り魔がどこへ消えたのかわからない。今からでも警察に通報するべきだろうか。だけど、なんと説明したらいい?
いきなり男の人に噛み付かれ、その人の体に刺さっていたナイフを抜いたら急に倒れたので怖くなって逃げ出しました。翌朝現場を見に行ったら何も残っていませんでした。状況を簡単に説明するとこんな感じだが、自分でもよくわからない。
昨日、男に噛まれた痕も、もう残っていなかった。家に帰ってすぐに鏡を見てみたが、かなり強く噛み付かれたのか、噛みちぎられそうになった場所が腫れ上がっていた。だけどその痕は翌朝には消えていた。思っていたよりは軽い傷だったのだろうか。
そして傷跡が消えたことで、昨日遭遇した出来事を証明できるものはほとんどなくなってしまっていた。
ただ一つ、あの場から持って帰ってしまった一振りのナイフを除いて。
鞄の中のナイフがカチカチと音を立てている。
学校へ向かう短い時間の中で、歩く度にその音が後ろをついてくるように響いていた。
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