不穏な習い事

この店、最大のピンチですっ

 

「うちの店っ、最大のピンチですっ」


 気持ちのいい日曜の午後。

 珈琲の香り漂うカウンターから身を乗り出し言う琳に将生は言った。


「この間、最大のピンチが訪れたんじゃなかったのか?」


 自販機によって、と将生は言う。


「いや~、自販機、猫町4番地とは共存できたんですけどね~」


 できて当たり前だろう、と将生は思ったが。


 琳は、

「あっちは座るところがないので、ゆっくりしたいお客様はこちらに来られます」

と言う。


 ……自販機の側にベンチ置かれたらどうするんだろうな。


「そうじゃなくて、うちの看板メニューの『喜三郎きさぶろうさんの珈琲』が滅多に出せなくなりそうなんですよ~」


 ついに『喜三郎さんの珈琲』って、メニューに載せたのか?

とメニューを見てみたが、載ってはいなかった。


 常連しか知らない裏メニューということだろうか。


 いや、そもそもこの店、ほぼ常連しか来ないのだが。


 今も店内の片隅では、珈琲そっちのけで、いつものおばちゃんたちが自治会の作業をしている。


 将生の隣に座っていた、ほんわり顔なのに、全身凶器の造園業者、水宗が、

「でも、僕は琳さんの珈琲も好きですよ」

と微笑む。


「いつもここ、すごく喉乾いてるとき立ち寄るので、とても美味しいです」


 ……それは水でも美味しいのでは?

と将生は思ったが、言わなかった。


「ところで、喜三郎さんは何故、珈琲を淹れに来なくなったんだ?

 具合でも悪いとか?」


 ちょっと心配して、そう訊いてみたが、琳は小首をかしげながら言う。


「いえ、それが。

 喜三郎さん、最近、コミュニティセンターの習い事にハマってて。


 あっちにずっと行かれてるみたいなんですよねー」


「いいことじゃないか」


「そうなんですよ。

 楽しそうなので、いいんですけど。


 でも、味にうるさいお客様がいらしたときに、ちょっと困るかなって」


「待て。

 俺たちは一部の客には出せないような代物しろものを飲まされているのか」


「大丈夫ですよ。

 美味しいですよ、琳さん」


 珈琲を一口飲んで、水宗は言う。


「僕、花粉症なんで、鼻詰まってて、今、あんまり味も匂いもわからないんですけどね」


 美味しいです、と水宗は微笑んだ。


 水宗は、さっきから、まったくフォローにならないフォローしかして来ない。


 この人がいちばんの刺客なんじゃ……と将生は思ったが、琳は特に気にしていないようで、

「ありがとうございます、水宗さん~」

と笑って礼を言っていた。


 しかし、店がピンチか。


 ……ピンチの方がちょっといいな。


 客は俺だけの方がいい、と将生は店にとっては、かなり危険な思想を抱いていた。




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