第31話 絵が浮かぶ表現で書きなさい

 小説において「一流」と「それ以外」を分ける根本的なもの。

 面白い構成力、読ませる文章力、唯一無二のキャラクター。

 いろいろ思いつくと思いますが、ここでは「絵が浮かぶ表現」について言及します。


 「絵が浮かぶ表現」とはどういうものでしょうか。

 それは「動きが見える表現」と言い換えられます。


 たとえば「お腹を出しながらソファに寝そべっている相方を見ていると、どうにも危機感が足りない。」という文があります。


 この文を読んだだけで「相方がお腹を出してソファに寝そべっている」光景がありありと見えてきます。ただ体形や体格、男女がわかりませんから、この文だけですべてを表現できているわけではありません。

 ですが、「相方がお腹を出してソファに寝そべっている」光景は確実に見えるわけです。

 その後も「しかしなあと言いながらひろしはまだお腹をかいている。」と「動きが見える表現」をしています。



 とくに一人称視点で小説を書くとき、語り口は主人公の心の声なので、つい主人公の心情をつらつらと書いてしまいます。

 それも物語には必要な情報ですが、「主人公の思考や感情」がどうだっただけを書いても「絵が浮かぶ表現」にはならないのです。


 そして、描写力が足りない人は、決定的に「絵が浮かぶ表現」が足りていません。

 「描写」とは「描き写す」ことであり、「どういうものなのかを写し取る」というデッサン力の話になりがちです。しかし「動きが見える表現」が足りなければ、いくら精巧に人物を写し取っても、所詮「模写絵」や「人形」でしかないのです。なにせ「動いていない」のですから。


 「描写」には「動きが見える表現」が不可欠です。

 対象がどう動くのか、動いているのか、止まっているのか。

 三次元に存在しているのなら、必ずいずれかの状態をとっています。

 読み手にその「動きが見える」ように描き写す能力。これが「描写力」のもう片方の働きです。


 たとえば「頭を掻きながらぺこぺこお辞儀した。」という一文があります。

 これでどんな「動きが見える」でしょうか。


 腰の低そうな人が、何度も何度も頭を掻きながらお辞儀している。


 そんな光景が見えませんか?

 もし見えるのなら、この描写は「動きが見える表現」つまり「絵が浮かぶ表現」になっているのです。



 あなたが書いた小説を読み返してみてください。


 そこに「絵が浮かぶ表現」「動きが見える表現」がどれほどあるでしょうか。


 実力のない書き手ほど、この「絵が浮かぶ表現」が乏しいことに気づくはずです。


 試しにあなたが好きな作家の文章を読んでみてください。

 おそらく文章を読んだだけでも「絵が浮かぶ」「動きが見える」はずです。

 そう。端的に言えばこの差が「一流」か「それ以外」かを分けるポイントになります。


 主人公の心情をつらつらと書くのも、一人称視点の小説では不可欠ではあります。

 ですがそれだけしか書かない人も多いのです。



 小説の文章を大きく分けると「地の文」と「会話文」になります。

 そのうち「地の文」は、一人称視点なら主人公が見たもの聞いたもの感じたものをありのまま書く「感覚の文」に偏ってしまいがちです。

 それではいくら小説を書いてもいっこうに成長しません。


 小説の文章で読み手から絶対的に求められているもの。

 それが「絵が浮かぶ表現」「動きが見える表現」なのです。


 どんなに心情描写がうまい書き手でも、「絵が浮かばない」「動きが見えない」作品は、脳裡に映像が浮かばないのです。


 現在はライトノベル全盛期がやや斜陽してきています。

 その原因は「絵が浮かぶ表現」「動きが見える表現」が少なくなってきたからではないでしょうか。


 テンプレートの踏襲にばかり気がとられて、本来小説に求められているもの、つまり「絵が浮かぶ表現」がなおざりになってはいないでしょうか。



 プロの作品でも中には「絵が浮かぶ表現」が少ないものも確かにあります。

 しかし、それが許されるのは、そのような文章でも原稿料や印税が手に入るからです。

 もし原稿料も印税も手に入らないのであれば、もはや「絵が浮かぶ表現」が尽きているといってもよいでしょう。



 小説賞で大賞を獲り、書籍化のために書き直しをしているとします。

 いつまでも改稿を繰り返しているものの、担当編集さんからなかなか「GO」サインが出ない。

 そんなことはよくあります。


 その大きな要因は「絵が浮かばない」からです。


 本当に売れる小説とは、文字だけが書いてあるはずなのに「絵が浮かぶ」のです。


 人間が生々しく、躍動的に描けているかどうか。

 たとえ止まっていたとしても、存在感にあふれているかどうか。


 人が小説に求めているものは「文章を読んだだけで絵が浮かび、動きが見える『動画』」なのです。


 「イラスト」が書いてあるだけでは誰も納得しません。

 髪が緋色だ、瞳がオッドアイだ、身長が百八十センチだ。

 そんなものはすべて「イラスト」でしかないのです。


 では「イラスト」を『動画』にするにはどうすればよいのでしょうか。



 逆転の発想をしてください。



 そうです。

 「動画にイラストの要素をはめ込んでいく」のです。


 冒頭の例文をまた持ってきます。

 「お腹を出しながらソファに寝そべっている相方を見ていると、どうにも危機感が足りない。」


 ここに「太ったお腹」「力士のようなお腹」「痩せぎすなお腹」であったり、「牛革製のソファに」「緑色のベルベットのソファに」「ベッドにもなるソファに」という修飾語を付けてみてください。

 「絵が浮かぶ文章」「動きが見える文章」に、イラスト的な要素である「色」「形」「質感」などをはめ込んでいくのです。


 するとどうでしょう。

 物語の映像がリアリティを伴って動きますよね。


 これが「小説賞・新人賞」で最低限求められている文章なのです。


 どんなに文章がうまくても、どんなに流行りのテンプレートに沿っていても。

 「絵が浮かばない」「動きが見えない」文章で大賞は獲れません。


 あなたが、そして私が追い求めるべき文章とは、「てにをは」が完璧だけでなく、「絵が浮かぶ表現」「動きが見える表現」なのです。



 今「カクヨム・アニバーサリー・チャンピオンシップ2022」が開催されています。


 「絵が浮かぶ文章」「動きが見える文章」を試す絶好のチャンスが到来しているのです。


 お題に応えて短編を書く。

 ここではさまざまなトライが可能で、どう表現すれば「絵が浮かぶ」のか「動きが見える」のか。

 それを毎回必死に追求してみてください。


 きっとあなたの文章力は飛躍的に向上しますよ。



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