氷の花

葛野鹿乃子

第1話 氷の花

 ある雪深い森の奥に、氷の王子がいるという言い伝えがありました。


 氷の王子は、氷のように冷たい瞳を持っている魔物です。

 その瞳に魅入られた者はたちまち氷漬けになって、永久に凍ったままになってしまうといわれていました。氷の王子は、自分が氷漬けにした人々の像に囲まれながら、森の中の氷のお城に棲んでいるのだそうです。

 森の近くで暮らす人々は、氷の王子を恐れて森には近づかないようにしていました。




 その森のそばの貧しい村に、老いた母親と二人の姉妹が住んでいました。

 その年の冬は寒さが厳しく、母親はすっかり身体を悪くして臥せってしまいました。姉妹は甲斐甲斐しく母親の看病をしましたが、母親の身体は日に日に悪くなるばかりでした。

 貧しい一家は三人で食べていくのがやっとの状態で、お医者さまを呼べるようなお金を持っていません。姉妹は助け合いながら、母親の看病を続けるしかありませんでした。


 あるとき、そうりょうむすめが悪くなっていく母さんを見て言いました。

「あたし、森の中にある氷の花を取ってくるわ」


 氷の花は、雪の中にだけ咲くうつくしい花で、ガラスのように透明な花びらを持っているふしぎな花です。

 それを煎じて飲ませれば、どんな病もたちどころに癒えるという言い伝えがありました。その花があれば、母さんの病を治すことができるのです。


 けれど、いもうとむすめは姉さんの袖を引いて泣き出しました。

「お願い、姉さん。行っちゃあだめよ。氷の花が咲いているところには、氷の王子がいるって言われているじゃない。行ったら姉さんは氷漬けにされてしまうわよ」


 そうりょうむすめはいもうとむすめの手を取って言いました。

「でも、このままじゃ母さんは悪くなるばかりだわ。あたしはきっと氷の花を取って帰ってくるからね。あなたがしっかりして、母さんの看病をするのよ」

 姉さんはそう言って、雪が降る森の中へと出かけていきました。いもうとむすめは涙を流したまま、姉さんを見送りました。



 いもうとむすめはひとりで母さんの看病をしながら、姉さんの帰りを待ちました。けれどそれっきり、姉さんが帰ってくることはありませんでした。

 家の戸板の隙間から入ってくる冷たい風に、むすめは心細くなるばかりでした。むすめは何度も頬を涙で濡らしました。

「姉さんはきっと、氷の王子に魅入られて氷漬けにされてしまったんだわ」

 いもうとむすめは、そう考えてはひとりで泣いてばかりいました。

 母さんは、もう食べ物も喉を通らないほど悪くなって、生きているのがふしぎなほどやせ衰えてしまいました。


「このままじゃ、母さんは春がくる前に死んでしまうし、姉さんも帰ってこないままだわ」

 いもうとむすめは流れてくる涙を袖で拭いました。

「氷の花さえあれば母さんもよくなるし、氷漬けになった姉さんを助けることができるかもしれない。あたしも氷の花を探しに行こう」

 いもうとむすめはそう思い決めて、羊の毛糸で編んだ外套を着込み、手袋や襟巻をして出かけました。

 家の扉を開けた途端、凍てつくような冷たい風と雪がむすめの頬を切りつけるように吹き込みました。


 荒れ狂う風は氷の粒のような雪を纏っています。

 吹雪は積もっている雪を舞い上げ、辺りを濃霧のように包んでいました。

 大地も、厚い雲に覆われた空も、葉を落とした黒い木々も、吹雪の中では真っ白に染まって見えました。

 むすめは外套の前を両手で合わせて、森の中へと入っていきます。木々の間を通り抜け、雪に埋もれた地面を踏みしめながら、むすめは辛抱強く歩き続けました。



 やがて、むすめは崩れかけた建物を森の中で見つけます。

 雪が覆う白い建物は、まるで氷でできたお城のようでした。

 これが氷の王子が棲むというお城に違いありません。お城の周りには、すっかり雪に覆われた氷の柱がいくつも立っていました。

 むすめは氷の王子がいないか辺りを見回しながら、お城の周りをめぐって氷の花を探しました。


 すると、お城の前にほのかに光り輝く花をいくつも見つけたのです。

 五枚の花びらも、茎も葉も、みんな青白い氷でできていました。それは透明なようでいて、花の真ん中は薄青く染まっているのです。

 雪を花びらの上にのせた、うつくしい花でした。


 これがきっと氷の花なのです。

 これを持って帰れば、母さんを元気にして、どこかにいる姉さんを助けられるはずです。そして三人一緒の、幸せな生活に戻れるに違いありません。

 むすめは氷の花を二つ摘み取りました。

 むすめは何かの気配を感じて、思わず振り返りました。


 むすめの目の前には、すばらしくうつくしい若者が立っていたのです。

 血の気のない白い肌に、雪のような白い髪。それはまるで雪と氷でできているかのようでした。むすめを見つめる銀色の瞳は、とても悲しそうでした。

 氷の王子です。

 むすめは言い伝えも忘れてつい氷の王子に見惚れてしまいました。こんなにうつくしい若者を、むすめは初めて目にしたのです。


 気がついたときには、むすめの身体はもう動かなくなっていました。

 まるで身体が凍ってしまったかのようです。赤かった頬はみるみる白くなり、くちびるは色を失くしていきました。

 むすめの意識も、雪が解けてなくなるように、どんどん薄れていきました。


 そこでむすめははっとして、ようやくあることに気づきました。

 お城の周りにあった氷の柱。

 それは、氷の王子によって氷漬けにされてしまった人々の、氷の像だったのです。

 その中には姉さんの姿もありました。

 姉さんは、氷の花を手にしたまま、氷の中でうっとりした甘い笑顔を浮かべていました。きっと姉さんも氷の王子に見惚れたまま氷漬けになってしまったのでしょう。

 むすめの意識はそのまま薄れていって、さいごには氷とひとつになりました。




 やがて、氷の花を求めて、旅の者がまた森にやってきました。

 氷の像は、ひとつ、またひとつと、お城の周りに増えていくのでしょう。

 氷の王子は、憂い顔で今もお城に棲んでいます。

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