第28話 これは恋と呼ぶには、優しすぎるから

※今回はシル視点のお話です


 ケイの確信は正しかった。パパがここに来た時点で勝敗は決まっていた。


 私たちを避けるように、地下の分厚い天井がガラガラと音を立てて落ちてくる。今この場において、こんなことができる人を、私は一人しか知らない。その人は、この天井を破壊したと思しきメイスを持って、瓦礫の上に降り立つ。


「く、来るんじゃねぇ!動いたら分かってんだろうなっ!!」


 マーティンたちは理外の力を目の当たりにし、私たちにナイフを突きつけ人質にする。だけどそんなものは何の障害にもならなかった。

 自分ではよく分からないけれど、かなり痛々しい風貌になっているのだろう。パパは無理やり引き起こされた私を見ると、沈痛な面持ちを浮かべる。そして三人を睥睨へいげいして、普段抑えている魔力の一部を解放し始めると、次第に頑丈なはずの地下室が震え出す。内に潜む魔神復活の予兆なのか、その魔力量はソルエールの大戦の時よりも遥かに多く、持て余しているようにも見える。少なく見積っても、今の私の倍以上なのは間違いない。二年半で追い抜くという目標が、途端に絶望的に思えてくる。


「……大人しく投降するならギルドに処遇を任せる。もしもその子たちに手を出すつもりなら、お前らがコトを起こす前にここで殺す。どちらがいいか選べ」


 その圧倒的な存在感の前には、『どうやって助けるの?』などという疑問すら湧いてこない。普段優しいその人から発せられる、ただただ冷たい『殺す』という言葉が、あまりにもリアルに感じられる。

 その言葉は私に向けられたものでは無い。それが分かっていても、思わず背筋が凍る。隣にいるケイも、そのあまりの迫力に息を呑み、ガタガタと震えている。

 その怒りと殺気をまともに向けられている三人の目には涙が浮かび、もはや正気を保つことも難しそうだった。


「……う……あ…………」


 生々しい死の予感に触れたことによる極度の緊張、それを示すかのように全身からは大量の汗が吹き出し、いつの間にか足元には水溜まりが出来ている。その上、上手く呼吸が出来ていないようで、言葉を発することなど出来そうにない。


「どうした?さっさと選べ、話せないのなら行動で示せ。突きつけているそのナイフを手放さない限り、抵抗の意志アリと見なして殺す」


 もう一段階引き上げられた威嚇に晒されると、男たちは『ひいっ』と小さく呻き、意思とは無関係にナイフを恐怖のあまり落としてしまう。パパはそれを合図に一気に距離を詰めると、三人を一撃の元に昏倒させ、あっという間に縛り上げていく。


「シル、大丈夫か?すぐ治してやるからな」


 パパはミリィさんの状態を瞬時に確認すると、私に治させた方がいいと判断する。

 拘束を解かれパパの腕の中で回復魔法をかけてもらっている時、私は情けなくてその顔をまともに見られなかった。

 治療が終わると、私はミリィさんのもとへと行き『上級回復ハイヒール』と『解毒キュア』を同時にかける。程なくしてミリィさんは全快し、静かな寝息を立て始める。


「ミリィ、良かった……………………アルさん、本当にありがとうございます。あと……すみませんでした。どうか……シルを叱らないでやってください。私が無理を言って……シルは私のためについてきてくれたんです」


 ケイがミリィさんの顔を覗き込んで安堵の涙を一頻り流すと、パパに向き直り、頭を下げて懇願する。

 パパはケイの言葉に答えずに、ふぅと息を吐くと、私の前に立つ。私は平手打ちくらいは当然だろうと、覚悟してグッと歯を食いしばるが、それが飛んでくることは無かった。


「……シルは今回のこと、どう思っているんだ?」


 パパの厳しい口調に、私の声が震える。


「……私は……危険かもしれないって思って…………だけど……それでも私なら出来るって思った。パパとママがいれば確実だけど、私だけでも上手く出来るはずだって」


「うん、それで?」


「……ごめんなさい……私の判断の甘さで、みんなを危険に晒しました……ミリィさんも助けられず、その上、私もケイも……」


 私は自分の力を過信した。それによって最悪の事態を引き起こすところだった。私の謝罪の言葉を聞いたパパは、厳しかった表情をふっと緩ませる。


「そうだね、それが分かっていればいいよ。友達を思いやるのは間違ってない、きっと俺がシルの立場でもそうする。だけどそれをしていいのは、どんな劣勢をも跳ね返せるだけの力がある者だけだ。今回であれば二人を人質に取られたとしても、相手を制圧できる算段が無ければいけない。そうでないのなら、例えケイさんに恨まれようとも、力づくで止めないとダメだ」


「はい……」


「うん、説教は終わり。遅くなって悪かったね、無事で良かったよ」


「……うん」


 パパに優しく頭を撫でられ、そっと抱き寄せられ、あやす様にトントンと背中を叩かれる。

 久しぶりに感じる太くて逞しい腕、ゴツゴツした手、硬い胸板、パパのにおい。泣くまいと固く締めていたはずの涙腺が緩んでいく。両目から涙が溢れ、私の心にさざ波が立つ。


「うぅ……」


 それは次第に大きなうねりとなると、喜び、安堵、悲しみ、不安、焦燥、ありとあらゆる感情をさらって、ごちゃ混ぜにしていく。そしてそれはついに、あの日捨て切れずに、心の奥に大事に大事にしまっていた宝物。小さな小さな恋心のカケラすらも引っ張り出す。


「…………ごめん……なさい……私……ごめんなさい……」


 口をついて出たその言葉は、何に対して謝っているの?


 私はいつの頃からか、パパと手を繋ぐことに抵抗を覚えるようになってた。もうそんな歳じゃないよって誤魔化すと、パパとママは思春期だねって笑ってたよね。だけどそんなのは嘘っぱちだよ。

 思い出したくなかったんだ。だけど、いつか思い出してしまう気がしていた。だからパパと少しだけ距離を取ったんだよ。

 だってこの感情は私にとっては優しくないものだから、辛いものだから、胸がぎゅっとなって苦しくなっちゃうから。


 この恋は実らない。


 そんなこと、私はとっくに知ってるよ。だから私は娘でいることを選んだんだ……なのに……どうしようもなく心がざわつく。

 娘でいるために決別したはずの恋心を、未だに未練たらしく抱えて……みっともなくて、卑怯で、自分が嫌になってしまう。涙が溢れて止まらない。


「シル…………ごめん……ごめんね……私、強くなるから……シルに頼らなくてもいいくらい、シルを守れるくらいに強くなるから……もう、シルを泣かせたりしないからね。だから……」



 ケイが背中から抱きしめてくれる


 優しい体温が伝わってくる


 優しい気持ちが伝わってくる


 私の冷えた心が熱を帯びて解けていく


 ぐちゃぐちゃに乱れた心が、ゆっくりと、少しづつだけど凪いでいく


 こんなの……知らない……私は知らないよ……


 だって私の知っているそれは、こんなにも心を温かくしてくれなかった……


 だって私の知っているそれは、こんなにも心を穏やかにしてくれなかった……


 だから私は知らない……知らないよ……だって……だって、これは……



「さぁ、帰ろう。セアラとスフィアちゃんも待ってる」


「……うん」「……はい」

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