第20話 昔ばなし③ わたしのために、あなたのために 前編
(……すごいお屋敷、庭園も広いし……上位貴族なのかな。でも……なんだろう、この感じ……綺麗だけど、嫌な感じがする)
シルが目的地の屋敷まで乗ってきたのは、王都に攫われた時とは比較にならないほど、揺れの抑えられた快適な馬車。白金貨十枚という高い買い物だったためなのか、まるで貴族の令嬢の様な扱いに困惑しながら、シルは大きな屋敷を見上げて僅かに顔をしかめる。
「さあ遠慮せずに入るといい。今日からここが君のお家なんだから」
「は、はい……」
シルの手を引くのは、鮮やかなオレンジの髪に碧眼という貴族然とした男。既に初老を迎えているものの、その顔立ちと女性を気遣う柔らかな物腰は、若い時はさぞ浮名を流したであろうと思えた。屋敷の中へと入ると、そこには歳若いメイドたちがずらりと並び、男を出迎える。
「「「「「お帰りなさいませ、ご主人様」」」」」
一糸乱れぬ美しい所作を見せるメイドたち。
「ああ、ただいま。コリンナ」
「はい、ご主人様。そちらが新しい娘ですか?」
「ああ、そうだよ。しっかり指導してやってくれ」
「かしこまりました」
男の前で優雅なお辞儀を見せるのは、他のメイドとは明らかに年齢層の違う、コリンナと呼ばれたメイド長らしき女性。
「ご主人様に引き取られて、あなたはとっても幸運よ?これからよろしくね」
コリンナが人当たりの良さそうな笑顔を見せると、シルは笑みを返す代わりに、怪しまれぬよう不安げな表情を作る。
「は、はい……あの、私はここで何をさせて頂いたら良いのでしょうか?」
「あら、緊張してるのね?」
「はは、いいじゃないか。そうやって、やる気がある娘は大歓迎だよ。そうだな……では、まずは自己紹介でもしてもらおうかな?」
「あ、はい。シルと申します。見ての通り獣人族です」
ケット・シーであることと家名であるフォーレスタを隠して、シルがぺこりと頭を下げる。
「シルか、よく似合っている、とてもいい名前だね」
男の二つの深い碧に自分の銀髪が映り込むと、シルは背筋がぞわりとする感覚を覚え、とっさに俯き視線を外す。
「ふふ、これは失礼。女性の顔をまじまじと見るなど、紳士の振る舞いとしては相応しくなかったね。さて、私の名はオーウェン・アーヴィング、この侯爵家の当主だよ。それでこちらのメイド長がコリンナだ。シルは新しい家族の一員だからね、今日は歓迎の意を込めて、屋敷の案内でもしながら話をしようじゃないか」
アーヴィングはそう言うと、コリンナを伴い、シルに屋敷の中を案内していく。
屋敷の中は貴族のそれらしく、足元は毛足の長い絨毯が敷かれ、周囲を見渡すと数々の美術品が配されている。そして上を見上げれば、意匠の凝らされたシャンデリアがシルたちを睥睨していた。
シルはあたかも華美な屋敷の様子に驚いているかのように見せかけ、どこかに少女の痕跡がないかと、隈無く視線を這わせていく。
そんな風にして屋敷中を回っていると、シルはあることに気がつき、おずおずとアーヴィングに尋ねる。
「あの……」
「うん?どうしたんだい?」
「メイドの方々、随分とお若い方が多いようなんですが、私も同じようにメイドとして働くのでしょうか?」
「ああ、そうだよ。まずはここで、どこへ出しても恥ずかしくないような教育を受けてもらう。そして十五歳になったら、晴れて自由の身というわけだ」
「えっと……私がこんなことを言うのは、おかしいとは思うんですが、せっかく高いお金で買われたのに、どうしてそのような事を?」
「いいや?シルの疑問は当然だと思うよ。私が逆の立場だったとしても、そんなうまい話があるのかって思うだろうね……私はね、少女たちがああやって売られている現状に心を痛めていてね、何か出来ないかと考えた結果が、こうして買い取って教育を施すということだったんだよ。まあ貴族の道楽みたいなものだと、思ってくれればいい」
目を瞑り、右手を胸に当てながら、少女たちの境遇を哀れんでいるかのように見せるアーヴィング。
「そう、ですか……」
(よくも平然とそんな嘘を……って言いたいところだけど……あの見張りの人に聞いてなかったら、多分信じちゃうと思うな……)
「ところで……」
「なんでしょうか?」
「シルの探し物は見つかったのかい?」
アーヴィングの言葉によって、和やかなムードが一変すると、二人がシルを前後から挟んで詰問を始める。
「っ!?……何の、ことでしょうか?」
完全に不意打ちをくらったシルは思わずたじろぐが、すぐに平静を取り戻して振る舞う。
「ここに来たばかりの娘たちに屋敷の見学をさせたところで、君みたいにそこらじゅうを熱心に見たり、質問をしたりする余裕なんて無いものさ」
「……」
「さて、どこで私の話を聞いたのかな?可能性としては……あの出来損ないの見張り番かい?」
「……」
「沈黙は肯定と取らせてもらおう。全く……彼はクビにしてもらわないといけないな。先日買った水色の髪をした獣人も、私のことをよく知っていたようでね?ひどく怯えられてしまったよ」
もはやこれ以上しらばくれたところで、どうにもならないと悟ったシルは、少女の無事を確かめることを最優先に据える。
「その娘は今どこにいるの?」
「……ああ、会わせてあげよう。ついておいで?」
傍らにあったアーヴィング自身を象った胸像に、コリンナが魔力を通すと、壁に掛かっていた隠蔽の魔法が解除され、地下へと続く隠し階段が姿を現す。
(やっぱり……ただのメイド長にしては魔力量が多過ぎると思ったよ……でも……隠し部屋、か……)
「獣人にとっては珍しいんじゃないかな?」
「……ええ、そうですね」
今から虎穴へと入るシルにとって、魔法が使えるという情報は、是が非でも隠しておきたい奥の手。何食わぬ顔で同意を示すが、その心中は穏やかではなかった。
『隠し部屋にはコレクションがある』
見張りの男のその言葉が、シルの頭の中で反響する。この先には、おぞましい光景が広がっているかもしれない。そう思うと額に汗がじんわりと滲み、心臓は早鐘を打ち始め、呼吸が浅くなる。
そんなシルの様子に気づくこと無く、アーヴィングはシルの手を引き、地下への階段を降りていく。
「コリンナは、かつてソルエール魔法学園を卒業したほどの腕前なんだ。いくら獣人の身体能力が高いとはいえ、君がどうこう出来るような実力じゃないよ。せいぜい大人しくしているといい」
アーヴィングがそう言うと、コリンナはこれ見よがしに手の平の上で小さな竜巻を作る。
(そうか……この人がいれば、確かに首を切っても、魔法で腐らないように出来るかも……じゃあやっぱり噂は……本当……)
「さあ、中へどうぞ、お嬢様?」
階段が終わると、まるで独房への入口のような鉄の扉が開かれる。見え透いた罠だと思いつつも、シルはアーヴィングに促されるままに、最初に中へと入る。
ガシャン
シルが入ったことを確認すると、アーヴィングは扉を閉めて鍵を掛ける。
「素直な娘は嫌いではないが、君はもっと警戒した方がいいんじゃないのかな?」
「私をどうするつもり?」
「聞いているんだろう?十五歳になるまでそこで過ごしてもらう。話し相手もいることだし、ゆっくりするといいさ。もっとも、それまでを従順に過ごすのであれば、上に戻してあげてもいいがね?」
この程度の状況、シルにとってはさして危険を感じるものでは無い。しかし、それを悟られるのは得策ではないため、シルは敵意を込めた瞳で、扉に設けられた覗き窓を睨み返す。それを恐怖と焦燥に因るものと受け取ったアーヴィングは、笑い声を響かせながら階段を引き返していった。
「……ふぅ、行ったみたいだね。大丈夫?」
部屋の片隅で踞るのは、探していた水色の髪の毛を持つ猫獣人の少女。シルの問いかけにも、小刻みに肩を震わせるばかりで反応は返ってこない。
シルは嘆息して改めて室内を見回すと、二人が監禁された部屋は、窓が無いだけで、ごく一般的な平民の部屋といった作り。とりあえずは『コレクション』は無さそうだと、ホッと胸を撫で下ろす。
「初めまして、私はシル・フォーレスタっていうの。あなたを助けに来たんだよ」
少女の前に座り、その手を取って再びシルが優しく語り掛ける。
「…………帰るとこなんて……ないもん」
か細い声と共に、顔を上げた少女の両の瞳から、大粒の涙がポロポロと溢れ出す。
「ひっく……パパも……ママも……死んじゃったもん……もう生きててもしょうがないもん」
シルは何も言わずに、容易く手折れそうに痩せ細った少女を抱き寄せ、腕の中で気が済むまで泣かせる。
「どう?少しはスッキリしたかな?」
「……うん……」
「良かったぁ!そうだ!お名前は何て言うの?」
シルは大袈裟に喜んで見せると、少女の手をさすりながら尋ねる。
「……スフィア、です」
「スフィアちゃんかぁ、可愛い名前だね」
「うん……ありがとう」
名前を褒められたことが嬉しかったのか、スフィアの雰囲気が少しだけ緩む。
「ねぇねぇ、スフィアちゃんは、ここから出たくないの?」
「だって……ここを出たって、どうしていいか分からないもん……一人で生きてなんて行けないよ……」
「でもね、パパとママは、スフィアちゃんが死んだら悲しいと思うよ?」
「……パパとママに会ったの?」
「うん……お墓をね、作ったんだよ……だから一緒に行こ?パパとママに、スフィアちゃんが無事だって見せに行こ?」
「お墓……あう……う……やっぱり、夢じゃ……無かったんだ……うぅっ、パパも、ママもすごく優しかったのに……お金無くても、パパとママがいて、楽しかったのに……どうして……?私がこんな髪の色だから……?私のせいでパパとママは死んじゃったの?」
「スフィアちゃん……」
「あのね!いつもみたいにね、三人で寝ようとしてたらね、いきなりディックさんがうちに来て、私を連れていこうとしたの!水色の髪は珍しいから高く売れるって!!それで……パパとママがそれを止めようとしたら……そしたら……そしたら!」
「スフィアちゃん!もういい、もういいよ……思い出させてごめんね?辛かったね?怖かったね?もう大丈夫だから、ね?」
その光景がフラッシュバックしたのか、頭を抱えて取り乱すスフィアを、シルは強引に引き寄せると、背中をさすりながら魔法で眠らせる。
「……そっか……ディックさんが……道理でタイミング良く現れるし、色々と詳しいわけだよ……さて、とりあえずスフィアちゃんは確保出来たけど、今からどうするべきかな……」
スフィアを膝枕しながら思案していると、シルはよく知った強大な魔力を感知する。
「あ、パパとママが来てくれてる……それなら……」
普段のアルとセアラは、あまり目立たぬように、魔力をほとんど外に出さないように抑えている。こうして離れた場所でも容易に感知出来るということは異常なこと。
シルはそれを自身への合図と受け取ると、土魔法によって鉄扉の周りを崩壊させ、眠るスフィアを背負って外へと出るのだった。
※あとがき
無理やり一話にしようとしたら、内容が薄くなってしまい、付け足し付け足しをしていたら、いつの間にか8000字を超えてしまいました。ということで前後編ということにして、続きは今日の昼時に更新です。お昼休みのお供にでもどうぞ。
見通し甘くてすみません……
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