アップデートという悪夢

 その日は何事もないはずの木曜日だった。そう、木曜日なのだ。


 いくらでも事前に準備する時間はあった、クラッシュさせない程度のデータ保存はできるはずだった。しかし木曜日は俺の出席番号と同じ数の日だったので授業中指名される確率が高かった。


 そこで俺はPCのスクリーンをロックして勉強に励んだのだった。


 そして無事、学校の授業を終えて帰宅してのことだ。


 PCのロックを解除した。あれ? 開いていたウインドウが無いな……?


 チクチクと俺の脳みそが警報を告げている、何か忘れている……とても重要なことだったはずだ。今日は木曜日……木曜……ああああああああ!!!!!!!!


「お兄ちゃん!? 何かあったんですか!?」


 バタバタと睡が俺の部屋に入ってくる。


「いや、なんでもない。気にしないでくれ。よくあることを忘れてただけだ」


「? なんか叫び声みたいな奇声が聞こえたんですが……」


 マジか、声に出ていたのか。驚かせてしまったな。


「いや、ちょっとデータが飛んだだけだから気にしないでくれ」


「そうですか……? まあいいですけど」


 渋々睡は部屋を出て行った。


 何が起きたかと言えばWindowsUpdateだ。定期アップデートが水曜日にあるので毎回水曜日には気を使うのだが、昨日は予習に必死だったのでついつい忘れていた。シャットダウンしておけば良かったのだが、残念ながら起動の遅さに我慢できずつけたらつけっぱなしにしていた。


 俺は消えたデータについて調べてみる。どうやら編集中だったテキストデータとスマホで撮った写真を加工していた途中データが消えてしまったようだ。


 はぁ……


 俺は諦めてキッチンに向かいコーヒーを飲んで全てを忘れることにした。幸いクラウドストレージを使用していたデータはおおむね無事だったので不幸中の幸いだろう。


 コーヒー豆を入れながらどうしたものかと考える。そうは言ったところで就寝前にバックアップを取っていなかった俺が悪いだけではあるのだが。


「お兄ちゃん、たまには紅茶はいかがですか?」


 睡がそう言って俺の前に一つのティーカップを置いた。気遣ってくれているのだろうか?


「お兄ちゃん、何のデータが飛んだんですか?」


「編集中のソースが一番大きいな……未保存のまま結構溜まってたんよ……」


「まあお気の毒に……それだけなんですか?」


「ああ、後ついでにこの前出かけた時にお前と撮った写真が数枚……」


「はぁ!? 舐めてるんですか? ドタマかち割りますよ?」


 笑顔から一変、睡はブチ切れモードに入ってしまった。


「まあまあ、未編集のデータは無事だからな? お前が行ってた『私とお兄ちゃん以外を写真から消してください』ってやつを作ってた途中の奴が消えただけだから!」


「ちなみに作業時間は何分くらいかかってましたか?」


「二時間……くらいだったかな?」


「ファッキン!! 私とお兄ちゃんの思い出をぶち壊しやがりましたね! そういえばなんでデータが飛んだんですか? 昨日からは停電も無かったはずですが?」


「マイクロソフトのアップデートだよ……10からは強制適用になったからな……すっかり忘れてて起きたらぱあだよ」


 そう、強制適用が無かった時代はあえて手動でアップデートをするという手が使えた、残念ながらバージョンアップに伴いその牧歌的でそれなりに満足していた時代は変わってしまった。


「で、お兄ちゃんはめげずに私とお兄ちゃん以外を記録から消去してくれるんですよね?」


「お前は旧ソ連の指導者か何かなのか?」


 記録からの消去とかとくに都合の悪い歴史でもないのに消すとかサイコパスなんだよなあ……


 愚痴っても譲らないのが睡なので俺も諦めてGIMPにもう一働きしてもらうことに決めた。写真屋を使えという話でもあるのだがCCは高校生には高すぎる。学割を使ったとしても贅沢な品だと言っていい。


「お兄ちゃんと私以外が居る世界なんて不要なんですよ?」


「世の中の大半の人は世の中を回すのに苦労してるんだからもうちょっと配慮してやれよ!」


「お兄ちゃんは分かってないですね! それはそれ、これはこれです」


 どうやら都合の悪いことは無視するらしい……俺の身にもなってほしいものだな。


 そんなことを言ったところで聞く妹ではないので俺は編集作業の続行が決定されてしまい、面倒くささにあきれ果てそうだった。


「で、じゃあ俺は部屋に戻って作業を進めればいいのか?」


「まあそれはお茶会の後でいいですよ」


「やることは確定なんだな……」


 フォトレタッチとか専門ではないし、スマホやタブレットでもできそうなことしかしていないのだが、睡は俺にタスクを振ってきた。自分が我慢ならないと思うのは勝手だが俺を巻き込むのはやめて欲しかった。


 そんなことを頭の隅っこに追いやって紅茶をすする。香りの強さからしてアールグレイだろう、嫌いではない。


「お茶菓子もどうぞ」


 お茶改定番のスコーンも一緒に出された。一応休んでいいらしいな。


 今後のことはさておき、今は紅茶とスコーンに集中したかった。背景画像から画像の背景を推測して削除していく作業は面倒くさいので後回しにしてしまいたかった。


「お兄ちゃん、紅茶はどうですかね? いつもコーヒーですよね?」


「ああ、いい感じだ。美味しくいれてあるな、スコーンも手作りだろう?」


 睡は笑顔で頷く。今だけは単純に妹の笑顔を楽しみたかった。その裏にある他社への排除感情などと言うものを予想するのはうんざりだった。


 ちゃぷ……ちゃぷ……


 俺は紅茶に口をつけてほんの僅かだけ口に含みカップを置くという牛歩戦術を行使することにした。理由をつけて画像編集を後回しにすれば締め切りが延びるかもしれない。そもそも兄妹の写真のレタッチに締め切りなどというものがあるのがおかしいのだが、睡はその辺を全く疑問に思っていない様子だった。


「お兄ちゃん……なんで世界に私とお兄ちゃん以外の人が居るんでしょうね?」


「RPGのラスボスみたいな発想はやめろ、人類を敵に回して最終的に人に倒されるキャラみたいだぞ」


「失敬な! 私だったら隠しボスレベルの格というものがありますよ?」


 ボスキャラなのは否定しないのか……


「まあ今日のことは不幸な事故だったと言うことで、お兄ちゃんには作業を頑張っていただきたいですね!」


「はぁ……分かったよ。やる意味はさっぱり分かんないけどやるさ。それがお望みなんだろう?」


「そうですね、お兄ちゃんが意味を理解する必要は無いのですよ」


 どうにも最後まで人類に敵対するラスボスっぽいキャラ立ちを崩す気が無さそうな睡に食器の後片付けを任せて自室に戻った。俺の作業の手間を考えたらそのくらいはやってくれてもいいだろう。


 そしてクソみたいに重いレタッチソフトを起動させながら『なんで二人きりの時に撮らなかったんだろうなあ……』などと睡に毒された考え方をしてしまうのだった。


 ――妹の部屋


「お兄ちゃんと私だけの世界……いいですね! ありですね! むしろ最高じゃないですか!?」


 私はお兄ちゃんと二人きりなら大抵のことは我慢できます。だから二人だけの世界を目指すのもいいかもしれませんね。


 ふと、そんな途方もない考えが浮かびましたが、やはりお兄ちゃんとの関係を祝福してくれる程度には人が居た方がいいのでその考えは修正したのでした。

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