第38話 焦燥 ※ リランダ視点


 リランダが、自分に前世の記憶がある事に気が付いたのは、成人した時の事だった。

 けれど、だからと言ってどうと言う事もなかったのは、前世の知識などなくとも幸せに暮らせたからだ。

 リランダは幼い頃から愛らしかった。


 平民として過ごしていた頃から、誰もがリランダを好き、甘やかした。

 母が貴族の愛人をしていたからお金に不自由もなかったし、日々に満足して過ごしていた。そしてある日父親だと言う貴族がリランダを見て使えると判断し、貴族の家へ連れ帰り今に至る。

 新しい人生の始まりだった。


 貴族の妻はリランダを嫌がったが、夫に命じられ渋々了承し、邸の端に住む事を許した。そこでもリランダは甘やかされる。

 父親には娘がいなかったからか、可愛がる事が楽しかったらしい。

 父の目が効いていた事もあり、リランダは特に不遇を感じなかったし、ドレスや宝石は見た事も無い程に輝いていて、煌めく世界に目が眩み、頬は緩む。

 自分は選ばれた人間なのだと。

 そうして貴族の令嬢として飾りたてられたリランダは今までの比ではない程美しくなり、人目を引いた。


 父は満足し、簡単な社交を教えリランダを夜会へと連れ立った。そこでも誰もがリランダを褒めそやすので、リランダは得心した。ここが自分の居場所なのだと。

 他の貴族令嬢というのはお高くとまり、いけすかないが、令息たちはリランダに群がり蜜のように甘く囁く。

 令嬢たちからの視線は厳しかったが、リランダの気分は高揚していった。


 だがやがてリランダは、彼らが所謂「下級貴族」というものであると知った。自分もまた下級貴族……

 彼らに囲まれる自分を他の令嬢たちが羨ましそうに見ている事は知っていたが、どの令嬢も本気で欲しがっている者はここにはいないと知り、リランダは周りを見回した。

 そこでフォリムを見つけて知ったのだ。

 自分が乙女ゲームの世界に転生していた事を。




 フォリムは公式の夜会にしか出て来ないし、騎士団所属のせいか威圧感があり近寄り難い。少し近づこうとする素振りを見せただけで、近衞騎士たちに阻まれる。

 多くの令嬢がヤキモキする中、リランダもまた先に進めないストーリーに焦れた。


 リランダは主要キャラでは無く、ただのモブだ。

 因みにフォリムはメインキャラでは無く、隠しキャラ、というやつだった。


 ゲームの中で彼はヒロインのティリラに一目惚れをし、惚れ薬を使ってロアンから略奪を試みる───当て馬もとい、ヒールキャラだった。


 それでも彼のヤンデレっぷりが好きと言うファンも多く、次に出たファンブックでは攻略キャラとして登場していた。実はこの辺はストーリーの改変もあって、リランダは記憶が曖昧だ。


 だけどフォリムを蕩かせる科白は今も覚えているし、好感度だって上げられる自信があった。

 彼は有能な兄に劣等感を持った人物で、自分の葛藤に寄り添ってくれたヒロインを深く愛するようになる。


 ただそれを実践する為には、ヒロインと同じく一目惚れをして貰わないと、フォリムには近づけない……

 フォリムはモブのリランダに一目惚れなどしなかった。視界に入れてもくれない。


 だから目をつけたのだ。彼に近しい近衞騎士のジェラシルに。

 ジェラシルならば近づけさえすれば自分に惚れさせる事は容易いと、リランダには疑いようもなかった。

 その頃にはリランダは貴族令息がどういう女性を好むのか良く分かっているつもりだったから。

 

 けれどフォリムはリランダがジェラシルを攻略している間に、何故かマリュアンゼと婚約してしまった。


(っはあ!? 何でそうなるのよ! でもそう言えばマリュアンゼってフォリムの婚約者だったんだっけ? 父親が軍部の偉い人でそれ関連の政略的なものだったような……)


 リランダはゲーム内容をあまり覚えていない。

 確かにお気に入りのゲームの一つではあったが、その手のゲームはいくつもやり込んでいるし、漫画やラノベも読み耽った。……つまりごっちゃになってしまっている状況だ。


(でも、攻略法を知ってるんだから! 近付けば何とかなる、してみせるわ! マリュアンゼはジェラシルの元婚約者だし、元婚約者から声を掛けられたら、普通は嬉しいものよね! そうやって近づきましょう!)


 ジェラシルの事は嫌いでは無いが、自分は選ばれた人間。

 名も無い近衛騎士などでは不十分だ。

 喜ぶ父に呆れた眼差しを送り、本番に向けて気合いを入れる。


 自分なら出来る。

 何故なら今までずっと、恵まれ愛されリランダを中心に世界は回っていた。


 何よりフォリムは王族だ。

 子爵家より伯爵家なんかよりもずっと上で、自分を見下していた高位貴族たちよりも勿論上の存在。


 モブに産まれた自分がそんな立場になれるなんて、これこそ転生の成せる業だ。

 自分中心の世界の最も高みに登り詰める。

 これはきっとチートを備えた幸運のゲーム。リランダはこの幸運に心からの笑みを浮かべた。


 望むものを手に入れる未来しか見ず、疑いもしなかった。やがて迎えるエンディングでは王族としてフォリムの隣で微笑み、多くの貴族にかしずかれる様を。





(なのに……)

 

 リランダは緊張で色が抜けた指先を見つめる。


(どうしてこんな事になってるの)


 地下牢から出されたものの、通された部屋は尋問室。鉄格子が嵌められた狭苦しい部屋に、簡素な木の椅子と安っぽい机が置いてあるだけだった。


 何度もフォリムに助けを求める眼差しを送るも、その度に彼の瞳は冷たく眇まるだけ。

 彼の望む言葉を吐く美しいリランダを見ても、フォリムはどこまでも無関心だ。ジェラシルの反応とも、ゲームのものとも違うものに段々と焦りが募った。

 恐らくルートを間違えたのだ。だから───でも!


(ゲームでは望まぬ婚約だと言っていたのに! フォリムも、ジェラシルだって!)


 けれどこのまま進めば辿り着く先は、きっと牢よりも暗く、何も無い場所だ。指先がカタカタと震え出した。


(やり直し、は?)


 ゲームの世界なのに、どうしてそれが無いのか。生死が掛かっていると言うのに。どうして、なんで!?

 八つ当たりのように仕様を罵っていると、フォリムが口を開いた。


「何故私やロアン殿下を知っていた?」


 身体が跳ねる。

 思わず上げた視線の先では、変わらぬ眼差しのフォリムがリランダを射抜いていた。


「あ、の」


「正直に話して下さい。でないと罪が深まります」


 穏やかに話しかける騎士団副団長に勇気を貰い、口を開く。

 だがなんと言うべきか。ゲームの中の事なんだと、弁解すれば許されるのだろうか。

 あなたとへ会ったことは無いけれど、知っているのだ、と。

 それでも期待した許しは受けられないだろう。でもどんな嘘が適正なのかが分からない。

 リランダは必死で頭を巡らせた。


「夜会で見かけて、他の令嬢がマリュアンゼ嬢はフォリム殿下に相応しくないって話しているのを聞いて」


 正直に話しているのにフォリムの瞳は凍えていく。

 リランダは喉を鳴らした。


「あ、あとロアン殿下の話は、平民街で暮らしていた頃に聞いた事があるんです! 隣国からきた旅芸人が真実だって教えてくれて。その、本当はティリラ妃が策略でロアン殿下と婚姻を結んだ、と。だから今二人は本当は仲が悪くて、それで!」


 眉間に皺を寄せるフォリムに焦りを見せながら、リランダは続ける。


「わ、私は侯爵である伯父様に王族の妻になるをしろと言い含められていたんです! 私みたいな下級貴族は高位貴族には逆らえませんし、それに殿下方には決まった相手がいないから、遠慮の必要も無いからって!」


「……ロアン殿下はともかく、私にはマリュアンゼがいるだろう」


「お二人ともいるでしょう……」


 低く答えるフォリムにジョレットが冷静に返す。


「ですが、取り立てて気になるような情報は出て来なさそうですね」





 すっと眇められたジョレットの眼差しにリランダが怯む。

 とは言えフォリムもそう思う。

 ロアンは一体この女に何を見たのか。

 彼の失脚を目論む証拠ならば、ここで情報を求めるより、裏で絵を描いている奴を突き詰めて行った方が実りがあるように思う。

 そう結論付け次の一手に頭を回らせば、切迫詰まった声が尋問室に響いた。


「わ、私には前世の記憶があるんです!」


 聞き慣れない言葉にジョレットと二人目を丸くすれば、リランダが涙目で息を切らして震えていた。


「し、信じられないと思いますが! 私はっ、それで殿下たちの事を知っていて……だから私の事を好きになるって自信もあってっ、それで頑張ったのに! 全然反応が違うからっ、おかしいと思ってるうちに牢屋に入れられちゃったんですっ!」


 わあん! と子供のように泣き出す姿に顔を顰め、フォリムは横目でジョレットを窺い見た。

 珍しい表情を見せるジョレットに合図を送り、中に兵士を一人置いて二人で部屋を後にした。







「妄想癖でもあるのでしょうか」


 溜息混じりに呟くジョレットに苦笑を漏らし、フォリムは腕を組んだ。


「だが……ロアン殿下を何処で知ったと思う?」


 ふと口にした言葉に自分でも疑念が深まる。

 あの時リランダは確かにロアンを認識していた。隣国の王族を、一年前まで平民だった娘が何処で会った?


「旅芸人がどうとか言っていましたが」


 ジョレットも思案に暮れる。

 あの女の容姿なら、強請れば姿絵の一、二枚用意してくる男がいてもおかしくない。

 だが、そもそも欲しがるだろうか。あの手の女が自分に関わりも持たない者に対し、一方的に、一途に想いを寄せる……? 芽があると踏めば、伝を頼り乗り込んで行く性格ではあるだろうが。


 何処で知ったか。


 知識としてはあるが、存在するのは物語の中だけ「前世」という言葉。

 あの女の言う通りに前の世とやらがあり、もしや自分と恋人同士だったとでも言い出すのだろうか。知らずフォリムの眉間に皺が溜まる。


「何故ロアン殿下とフォリム殿下なんでしょうね? 共通点も無いのに」


 顎を摩りながらジョレットが呟く。

 

「まともに取り合うのか」


 じろりと睨めばジョレットが肩を竦めた。


「ですが……」


 躊躇いがちな物言いにフォリムも口元を引き結ぶ。

 確かに追い詰められて出た発言だった。


 人によって揺さぶりの効果は違う。追い詰められ過ぎて諦めて口を閉ざす者もいるし、虚像を口走る者もいる。あの女の様子では、圧力への耐性など皆無だろう。それを見越して大した圧は掛けなかった。


 最後に出たのがあの女にとっての自白なのだろう。それは助けを乞い、縋りついた言葉だった。

 子供でももう少しましな嘘を吐く。前世だなどと。

 ……となると嘘は言っていない……のだろうか。


「頭がおかしくなりそうだ。こんな話を真に受けろと?」


 額を押さえるフォリムにジョレットが息を吐いた。


「少し時間を掛けてリランダ嬢の周囲を洗いましょう。端的に話を済まそうと、本人から全て引き出そうとした事が横着だったのです。ですから……団長はノウル国へ行って下さい」


 ジョレットの科白にフォリムは目を丸くした。


「いつ行くと言い出すか分からない状態ならば、もう行って下さい。こちらでの作業は、俺がしますから」


「しかし……」


 ロアンとの約定を考えると、自分はここにいるべきだと思う。


「取られてもいいんですか?」


 低く問うジョレットに、フォリムははっと息を飲んだ。


「どんな事情があるにせよ、彼女がいなくなるのは嫌なのでしょう? なら迎えに行くべきです。陛下への言い訳は……何とか考えますから」


「……本当に、頼もしくなったものだ……」


 苦笑が溢れる。

 マリュアンゼを迎えに行く……そして、何故かノウル国へ行かないと行けない何か。

 そんな妙な焦燥感に駆られれ、フォリムはジョレットへ感謝を込めて頷いた。

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