第37話 牢 ※ フォリム視点


 地下牢に来た事が無い訳では無い。

 罪人の尋問、処罰……どれ程かと言われれば数えてはいないが、人より多い事は確かだ。


 大理石と違って石畳に響く足音はどこか陰鬱で───

 遮られた陽光のせいで暗褐色の石の壁は湿り気を帯び、更にこの場を暗く見せていた。

 

 伝い落ちてきた一雫が床に落ち、ぴちゃりと鳴る。

 その音にすら闇を孕んでいるように思うのは、ここがそんな場所だからだろうか。


「フォリム殿下、こちらになります」


 声のする方へ顔を向ければ、日の当たらない独房の一つで一際ひときわ濃い影が揺らいだ。

 貴人用ではなく、囚人用の牢に入れたのは宰相だろう。

 あそこにいるのは用済みと烙印を押された愚か者だ。


「で、殿下? 嘘! ああ、迎えに来てくれたんですね!」


 破顔して鉄格子に縋り付く姿を一瞥し、牢番に下がるように手で合図を送れば躊躇う様子が返された。


「大丈夫ですよ」


 柔らかい声に顔を向ければ騎士団副団長のジョレットが控えている。ジョレットの存在に安心を見せた牢番は、深く頭を下げ来た道を戻って行った。


「何だあれは」


 つい不満を漏らせば、ジョレットがくすりと笑い声を漏らした。


「信用は一日にして成らないようで」


 ジョレットが騎士団長に代わり、城内を立ち回る様子は城有名だ。彼の立ち振る舞いは騎士団の信用を内外から確立している。

 成る程とフォリムは思う。


(……今回の婚約で、ジョレットは高位貴族に太いパイプが出来た)


 元々優秀な部下だったので、この婚約を機に騎士団長の座を譲ろうと考えていたが……

 後押しする材料がここにもあったのか。

 つい口元を緩めれば、目の前から期待に満ちた声が掛けられた。


「あの! 私もう許して貰えるんですよね? 伯父様は随分怒ってらしたけど、私そんなに悪い事はしていませんよね?!」


 牢に入れられて三日目だろうか。

 リランダ・デニーツ

 美貌を誇っていた令嬢だったが、地下牢に押し込められ放置されたせいか、手入れがなくなれば令嬢とは言いがたい有様だ。

 リランダはそんな自分の様子など気付いていないようで、期待と媚びに満ちた眼差をフォリムに送っている。


 ……欠片も反省していないようだ。

 自国のみならず、他国の王族への不敬を働いたというのに。


 デニーツ子爵家はリランダとの縁を切った。

 つまり彼女は平民落ちした。


 だがデニーツ家は貴族として教育をしないまま、飾りたてただけの女を娘と称して王侯貴族に紛れ込ませ、王家主催の舞踏会に出席させた。

 王族をも侮ったその罰を、受けずに済むと思っているのだろうか。

 この親にしてこの娘あり、というやつだ。


 まあそこを危惧しての宰相の采配なのだろうけれど。その宰相もあわよくばそんな姪を自分やロアンに押し付けようとしていたのだと考えれば、怒りしか湧かない。


 冷えた瞳で見据えれば、リランダは何かを察したように身を引き、愕然と口元を戦慄かせた。


「事情聴取をするだけです」


 こごった空気に静かな声が割り込んだ。

 ぴくりと反応するリランダにジョレットは淡々と、けれど声音は少しだけ柔らかく続ける。


「デニーツ子爵はあなたを勘当しました。貴族籍の申請をしている最中だったようですが、取り消しましたから、あなたとあの家の縁は消えました。当然宰相閣下とも、あなたは他人です」


「嘘……私が?」


 口を開けて固まるリランダにジョレットは表情を無くしたまま、告げる。


「ですから我々の聴取にはよく考えて応じて下さい。平民の命など、王侯貴族の前では塵に等しいのですから」


 その言葉にリランダは、ひっと息を飲む。 

 どうやら自分の身に何が起きているのか察したらしい。


(余程容姿に自信があったのだろうな)


 ジェラシルを手に入れたところで満足していれば良かったものを、疑いもせず王族に手を伸ばしてきた。

 けれど───


『リランダ嬢には気をつけろ、だそうですよ。一応ジェラシル様からの伝言ですので伝えておきます』

 

『妻と……ティリラと同じような事を口にしていたんです』


 ジェラシルからの伝言と、ロアンが持ちかけた話を思い出し、つい顔を顰める。


 ───リランダとティリラ妃には共通点がある。


 フォリムにとってはどうでもいい事だが、ロアンには何故か大事な事のようで。

 リランダから情報を引き出せばマリュアンゼとの婚約を考え直しても良い、と条件を出されたのだ……飲むしか無い。

 

 しかし思い返せばリランダは馴れ馴れし過ぎる態度だった。

 フォリムが覚えていないだけで、どこかで会った事があったろうかと思った程に。結局はただの不敬な庶子だと位置付けたのだが。


『その共通点の中で、私の冤罪を晴らす材料があればいいと思うのです』


 流石に難しい、ロアンからのそんな提案にフォリムは眉を顰めた。

 ただ単に言動が似ているという情報だけで、引き出せる証拠とは何だ。睨みつけるフォリムにロアンは両手を挙げ降参の意思を表した。


『別に無理難題をふっかけているつもりはありません。ただあなたがマリュアンゼ嬢を大事にされているというのなら、これくらいの融通は利くかなと思っただけです』


 しれっと答えるロアンに何も言えない。

 彼が王になろうとしているのは分かったが、その為の身辺整理など、それこそ捏造でいいだろうにと思うのだが。


『過去と決別したいのです』


 その言葉にフォリムはロアンを見つめ返した。

 前に進む為に片付けなければならない、自分の中のしこり。目を背けてきた事に向き合おうとしている人間が、目の前でフォリムを真正面から見据えている。


『ロアン殿下の提案を飲む事で、円満にマリュアンゼとの婚姻話を無くして下さるのならば、協力します』


 フォリムの答えにロアンは、ふっと息を漏らした。


『有用な情報が入りましたら勿論そうさせて頂きますとも。我が国は別に「セルル国との国交の為に回避できない縁談」となれば、マリュアンゼ嬢との婚姻もティリラとの離縁も面倒なく進みますから』


 そう言って一見爽やかに笑う様が胡散臭い笑顔にしか見えないが……

 決別しか見えない未来が始まりだと言われれば、勝手ながら、後ろめたい思いが湧き上がってしまった。


 向かい合った先が別れ。

 ヴィオリーシャの事が思い浮かぶ。

 多分それがお互いの為だった。


 けれど今、あのマリュアンゼに背を向けられるのは心は重くなるだけで……

 利害が一致しているのだと自身に言い聞かせ、改めてリランダに視線を据えた。


(情報を引き出す。マリュアンゼを取り返す為に)


 青褪めるリランダを見下ろし、フォリムはジョレットに牢の鍵を開けるよう指示を出した。

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