第35話 溜息 ※ 前半シモンズ視点


 フォリムは自分の主人だ。

 十二歳で拾われてから、かれこれ四年ほど仕えてきた。


 シモンズの両親は下級貴族だったけれど、犯罪に手を染め縁が切れた。

 一人路頭に迷うところをフォリムに拾われ、今に至る。




 彼はあまり他人に関心を寄せないようにしているが、女性とは特に距離を置きたがる。

 多分だけど、面倒に感じるんだろうなあ、と思う。

 産まれも育ちも豊かな彼は外見にも恵まれ、数多の女性を惹きつけるから。

 きっと自分が仕える事が出来たのも、たまたま性別が男だったから。


 ヴィオリーシャと婚約関係にあったフォリムも見てきた。それを見て、婚約者とはこういうものだと思ったのだが……一見して「誠実」という一歩引いた付き合い方は、女性から見ると物足りなかったらしく、ヴィオリーシャからの干渉は増す一方だった。


 けれどそれに対するフォリムの対応が変わる事も無く、シモンズは不思議に思うのと同時に不憫に思った。


 あれだけ心を傾けられても、決して開く事の無い固く閉ざした扉。その扉に今まで婚約者を含め、一体幾人の女性が手を掛けてきただろう?

 誰の声にも耳を貸さない主人。


 誰もと距離を置いて付き合いたい───シモンズにもそんな時間があったから、一人で殻に閉じこもるフォリムにどこか共感していた。

 けれど、だからこそ、そこから出て来て欲しいとも思ったのだ。


 ただ自分の使命を全うし生きるだけの人。

 持ち合わせた美徳すら、そう育てられただけだと、謝意に対して喜ぶ事が出来ない無感動で寂しい人。

 ……もどかしいと思ったし、そんな「当たり前」を植え付けた王族の教育や、アルダーノは嫌だと思っている。


 人から労われた時の感動を、この人も持てたらいいのに。

 合理的なだけでなく、嬉しいとか楽しいとか、単純な感情に振り回されて、もっと……

 楽しそうにしている主人を見てるのは、自分も楽しいものだと感じたから。


 誰かに手を引かれる温もりを、同じようにこの人にも知って欲しいと密かに頼んでいた。


 ───ただ誰でもいいとは思っていたけれど、男より強い女を見つけてくるとは思わなかったが……


 出来れば主人が、生涯王族の義務だけに生きる事なく、一つでも我儘を持って生きて欲しいと望む。

 自分が許され生かされたように、主人にも「生きる」事を自ら望んで欲しいと。


 シモンズは隣で大人しく座る女性を一瞥し、溜息を吐く。確かに相手は誰でもいいと思っていたけれど、と繰り返し思った事は、内心だけに留めておいた。

 




 ◇





「っくしゅん!」


 風邪だろうか……そう言えば寒い気がする。

 主に隣からの冷気で妙に冷え込むようだ。気のせいかもしれないが。

 マリュアンゼは膝に置いていたストールを肩に掛け直し、胸元で引き結んだ。


 ノウル国への越境の手続きはシモンズが代わってくれたので、マリュアンゼは特にする事も無く。舗装された街道をポクポク進む馬車に乗り、やがて見えてきた街並みに胸を躍らせていた。


 半日程の旅路とはいえ、考えて見れば初めての外国。ノウル国の首都ルデュエルは国の中心にあるから、ここはまだ違うのだけれど。

 初めて見る自国とは異なる景色に、マリュアンゼは瞳をキラキラと瞬かせた。


「あの神殿で挙式を挙げ、花嫁はイルム国へと向かう」


 マリュアンゼの視線の先に目を細め、ロアンはぽつりと呟いた。


「まあ、あれが有名な───」


 浮かれて口にしかけた言葉を急いで飲み込む。

 記憶が正しければロアンが挙式を行った場所でもある。ただロアンを見る限り、妻のティリラ妃との婚姻に不満があるのは明らかで……


 婚姻前の貴族令嬢に手を出しておいて何を……と、今までのマリュアンゼなら思っていたけれど、今は首を捻る。

 だってロアンは潔癖症に見える。更に女性嫌いでもあるようだ。……だから何というか、不思議に思っていた。


 けれど先程の話を順に追って行くと、恐らくロアンは第一位王位継承者から遠ざけられる為、嵌められたのだ。

 そして嵌めた相手はノウル国を城内から侵食している妃たち……第二王位継承権を持つ王族に準じる者、なのだろう。


 妃の不貞がどうこう言っていたが、その辺は真実かどうかはマリュアンゼには分からないし、ロアンは嘘でもまことと通すつもりなのかもしれないとは思うけれど……必要悪として。


「セルル国でもアロージュ神殿は有名か」


 さして気に留めた様子もなく、ロアンが口にするので、マリュアンゼはほっと一息つく。ついでに昨夜本で読み込んだ知識を勢いよく捲し立てた。


「はいっ! 至宝の芸術家サレロの作品で、この半世紀であれ以上の建造物は建てられておらず歴史的価値も高いと聞いています! サレロは造詣に定評がありますが、実は絵画もとても素晴らしいんです。特に恋人に贈った『青の雪』は、模写でもその美しさが伝わってくる程の秀作で……」


 はっと固まったのは、隣から送られてくる冷気に気づいたからだ。シモンズからの煩いという視線に少し目を泳がせてから平静を装う。


「ここから見ても荘厳さが伝わってくるようで、近くで見れるなんて楽しみです……」


「……そうか。教師にでもなった気分だな」


 ふと目を細めるロアンに首を傾げる。


「教師?」


「ああ、煩い生徒に同行する教師だ」


 その言葉にマリュアンゼは、むーっと頬を膨らませた。


「だが、楽しい」


 ぽつりと呟いた声は聞き取れなかったので、一人ぷりぷりとそっぽを向く。けれどその先でシモンズが驚いたように目を見開いているので思わず首を傾げた。

 アロージュ神殿に何かあるのだろうか。


 マリュアンゼもまた、再びアロージュ神殿を振り仰ぐ。

 ノウルでは騎士の拝命もアロージュ神殿で行われる。……では自分もあそこで? なんて思うと顔がにやけてしまう。何せ世界遺産に認定されている、歴史的建造物でもあるのだ。

 

「神殿で騎士を拝命する妄想に耽るのなら、役目を完遂する流れを把握した方がいいと思いますよ」


 冷静に突っ込むシモンズにマリュアンゼはぎくりと頷く。


「そ、そうね」


 浸っているように見えただろうか、恥ずかしいな。

 それをロアンは何だか楽しそうな顔で見ていたけれど、とりあえずマリュアンゼはまだ見ぬ花嫁を全力で守るべく、拳を握った。

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