第56話

 本編再開です。

 レインニールが聖域に来て暫く経った頃になります。


 ~~~~~~


 ふと胸騒ぎを感じた。

 それと同時に疑問に思った。

 もう長い時間、胸が騒ぐなんてことはなかったのに、今更、何なの。


 次第にぼやけていた意識が輪郭を持つように形を成していく。

 そもそも、胸なんてどこ?


 体はすでに朽ちていた。

 その形は長い時間をかけて溶けて染みて広がった。

 残っているのは意識のみ。ただ、何かに急き立てられるように飛び回るだけ。


 何かとは?


 声が聞こえる気がした。


 ふわりとそちらへ駆けるように飛んでいく。羽があるわけではない。けれども、空を地を山を海を、そしてその中を、世界のあらゆるところに行くことが出来た。


 ああ。

 落胆の声が漏れる。

 聖女王の祈りが、届いていない。

 礎の祈りが、行き場を失くして漂っている。


 世界は大きな器の中にある。

 その器、外側に、亀裂が、裂け目が、生じている。


 もう、何度目だろうか。

 見つけては聖女王と礎の力を借りて、自分の中で増幅させる。

 虹色の光を纏ったそれを糸で縫い合わせるように、綻びを繕っていく。


 最近は薄玻璃のようになってしまった世界の器を修復するばかりになった。

 昔は、どんなところにも虹の橋がかかるように滑らかに向かうことが出来たのに。


 昔?

 どのくらい昔?


 首を傾げる。

 首?首なんてもうないのに。


 肉体を持っていた時の感覚がまだ抜けないようだと自嘲する。

 そう、私自身にも限界が来ているようだ。

 この世界と同じように。


 行き場を失くしていた祈りが、行き先を見つけたようで目の前を流れていく。

 無事に目的を果たしたようでほっと息を吐く。


 もう、時間がないわよ?聖女王。

 どうするの?


 ああ。

 胸騒ぎはこれだったのかしら?

 納得しようとして違和感を覚える。


 こんな悲しい事ではなかった気がする。

 まだ疼く思いに集中する。


 ふと足元、足はないけれど、下のほうから何かを感じた。

 赤子の泣き声?産声?


 力強い感情に引き摺られる。

 目の前に両手を握りしめた産まれたばかりの赤子。

 眩しいほどの生命力に溢れ、何かを訴えてくる。


 胸騒ぎは大きくなるばかりだ。

 ああ。

 これだわ。

 この子だわ。


 急にすべてを理解した。

 でも、ダメ。終わりが見えている私が近づいてはいけない。


 それは自分の力が浸食する様に蝕むから。

 同時に、自分にも影響を及ぼす危険があるから。


 世界はちゃんと次を用意している。

 終わりがあれば、はじまりがある。それが理。


 良かった。

 ほっと息を落とす。


 世界を駆け巡りながら、遠くから見守ることにしよう。

 そう決意して離れる。


 けれども、あの子はどうしているかしら、とふとした拍子に思い出す。

 脳裏には順調に育っていく光景が浮かぶ。

 子どもを産み育てることはなかったけれど、もし、自分が、この役目を受けていなければ、もしかして、、、


 これを浮足立つ、とでもいうのかしら。

 自然と笑みがこぼれる。

 いろんなことを経験して、大人になって、私を楽しませて。

 繰り返しで厭きていた役目に、期待が溢れるようになり楽しくなる。


 なのに、世界は待ってくれない。

 不気味な音が外側から聞こえる。

 今もどこかで裂け目が生じている。


 行かなくては、少しでも長く、あの子が大きくなるまでは私が役目を全うしなければ。


 裂け目が広がっていく。

 小さな針ほどの大きさがいつの間にか両手を広げるほどになっている。

 間に合わない。

 急がなくては。

 また、遠くから世界が裂ける音が響く。


 己の力を分けて、同時にいくつもの穴を修復する。

 すっかり、役目がすり替わっている。

 私は世界のあらゆる場所へ聖女王と礎の力を届ける虹をかけるはずだったのに。


 疲れてしまったわ。

 呟くと同時に裂ける音が低く轟く。

 自分自身も震えるほどだった。


 何が起きたのだろうかと視線を動かす。

 ああ、あれは懐かしい。

 すっかり色あせていた記憶が蘇る。

 私が、眠った、あの場所。

 震動によって出てきてしまったのだろうか。


 そこへいくつかの影が中に入っていく。

 あら、あらあら。

 引き寄せられるように付いていく。


 その影は目も開けていられないほどの魂の輝きに満ちていて、追わずにはいられない。

 気を付けて!

 ここはもう幾星霜、経ったか分からない。


 何かを感じたのかそれが振り返る。


 ああ、あの子だわ。

 来てしまったのね。

 近寄らない様にしていたのに、呼ばれてしまったのね。

 何故だか泣きたいほど胸が震える。


 銀色の髪は背中まで伸び、紫水晶の目は怜悧な光を湛えている。まだ、幼さの残る頬は丸く、まるで熟れたての桃のようだった。

 きっと、触れれば柔らかく、吸い付いてしまいそうになる。


 だからダメ。

 でも、目が離せない。

 触れてはいけない。

 でも、手を伸ばさずにはいられない。


 そっと、わずかでいいの。


 その頬に。。。


 ~~~~~~

 そうやって、パンドゥラさんはレインニールに触れてしまいました。

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