虹の礎-いしずえ-
炎鷹
第1話
うららかに陽光が降り注ぐ。
カフェテリアのテラス席は程よく人でうまっている。昼下がりのためか、遅いランチを取る者やティータイムを楽しんでいる者がほとんどである。
その中に所狭しに皿が並べられたテーブルがあった。
イチゴのタルト、ピスタチオのタルト、モンブランにガトーショコラ、タルトタタン。
勿論どれも大人が手のひらを広げたほどのホールケーキサイズである。
甘いものばかりかと思えば、箸休めなのかポテトを油で揚げたもの、サンドイッチ、チーズも並んでいる。
席には男女二人が座っている。
男性は自分の皿にサンドイッチとチーズをのせ、コーヒーの香りを確認しながら次から次へと消えていくケーキを眺めていた。
女性は優雅な仕草で目の前のタルトを切り分けると、流れるような動きで口へ運ぶ。決して貪るわけでも口へ押し込むわけでもないのに、吸い込まれるように皿の上は空になっていく。
その姿は貴婦人が上品に食事をしているようである。
だが、瞬く間にケーキが消えていくので目を疑ってしまう。
カフェの店員は幾度も目にする光景なので慣れており、頃合いを見計らっては皿を下げに現れる。ついでに紅茶のポットも入れ替え、試作のケーキだと言ってミルフィーユを置いて行った。
「ふむ、カスタードクリームに紅茶の茶葉が入っている。風味が新鮮だ」
甘すぎなくていい、など付け加え、食べにくい事で敬遠されがちなミルフィーユをほぼ崩すことなく食べ終えた。
甘すぎるどころか、先ほどから甘い物しか食べてないような気がする。
そっと、男が胸の内で呟いたのが聞こえたのか、女は口直しのためにサンドイッチを皿ごと引き寄せた。
豪快と言えなくもない食べっぷりだが、女性の姿はすらりとしており中々の美人と言える。
銀髪は腰の先まで流れており、一つ一つが輝く絹糸のようである。紫水晶のような瞳に透き通る肌、まっすぐに伸びた背筋から凛とした印象を受ける。声も落ち着いたものであり、どこか知的な雰囲気を持っている。
向かいに座る男は穏やかな表情を浮かべつつ、毎度繰り広げられる景色に胃をやられそうになっている。
甘い物が特段、苦手というわけではない。だが、何より好きだということでもない。
何皿目か数えるのは疾うに放棄しているが、それでも見ていて心と体にいいものではない。
あれだけのケーキや甘い物を体に取り入れているというのに反映していないのはどこかに消えていっているとしか思えない。
薬を飲んでいるようでもないし、運動を好んでしているわけでもない。
彼女は謎が多いのだが、その一つが食生活だった。
普通に食事を取ることもある。ただ仕事に没頭し、一日食べないという日もある。
とてもバランスが良いとはいえない生活をしている。
勿論、周囲は注意し、半ば無理やり休ませることさえある。
だから何処に行ってるんだ、そのタルトタタン!
男が少し物思いに耽っていただけで、サンドイッチとモンブラン、タルトタタンが消えた。
ふと、二人はお互いに空を見上げた。
何気なく動きが揃い、目を合わせる。
「今日は晴れて本当に良かったですね、レインニール様」
「そうね。リウの日ごろの行いのお陰かしらね」
恋人同士のような会話だが、色気は存在しなかった。
それもそのはず、二人は上司と部下だった。
暫く、静かに食器の音だけが響く。
ガトーショコラを食べ終えたころ、ミルクレープとチーズケーキ、フルーツが飾られたタルト、クッキーなどの焼き菓子の盛り合わせが運ばれてきた。
「まだ、食べるんですか?」
そろそろ仕事に戻りたいと言外に告げる。
「いや、これは…」
言い淀んでいるとカフェテリアのテラスに一人の女性が現れた。
金色の髪を赤いリボンで結び、同じく赤いフリルの付いたワンピースドレスを着た、まだ年若い彼女はキョロキョロと視線をさ迷わせた後、レインニールたちを見つけると笑顔でやってきた。
慌ててやってきたカフェテリアの店員に椅子の準備をさせ、同時にカトラリーの追加を出し、ミルクティーを頼んだ。
「ここにいたのね、探したわ」
にこやかに微笑むと当然のように、目の前のミルクレープを切り分け、自分の皿に盛りつけた。ついでに焼き菓子も幾つか摘み、少し悩んだ表情を見せたが結果、タルトものせた。
「お手を煩わせて申し訳ございません、陛下」
レインニールは膝の上に両手を乗せ、頭を下げた。
「わたくしの依頼を受けてくだされば、全て許します」
その言葉に即答しないレインニールに不審な様子も見せず、陛下と呼ばれた彼女はケーキを堪能する。頬に手をあてその味に集中するかのように目を閉じる。
「やっぱり、ここのケーキは最高だわ。毎日、食べられるなんて、レインニールは幸せだわ」
「恐縮です」
実際、レインニールが毎日ここでティータイムを楽しむことはないのだが、それでも身近にあるという状況を作ってくれた陛下には感謝を示す必要があった。
「レインニールは私の事が嫌いなの?」
頭を傾げ陛下は尋ねる。
幼い顔つきの彼女がやや上目遣いで相手を見るとほとんどの者はたじろいでしまう。
レインニールも例外ではない。
「そういうわけではございません。ですが、試験の補佐と言われましてもわたくしの力は役に立ちません。代わりの者を推挙させていただいた次第です。すでに承認され、彼らを中心にしたサポートグループは始動していると聞いております」
「だって、時間が迫っているんだもの。承認せざるを得なかったの」
不服そうに頬を膨らませる。
俯いて膝に手を置き、拳をつくる。
「みんなに言われたわ。レインニールを巻き込めないなんて聖女王失格だって」
横で聞いていたリウはぎょっとして思わず上司を見る。
「泣き落としは反則ですよ、陛下。誰の入れ知恵ですか?フロラン様ですか?」
「だって、レインニールは頼み事には弱いって」
「相手によります」
冷静に会話をしつつも、ケーキを口に運ぶことは忘れない彼女は空になった皿を店員に下げさせる。
「わたくしが推挙した彼らは、とても信頼のできる者たちです。わたくしを何度も助けてくれました。今回の聖女王試験も陛下の期待以上の力を発揮するに違いありません」
「私は、レインニールに手伝ってほしかったの!」
潤んだ瞳を向けられ、レインニールは口を閉じる。
「私も聖女王の試験を受けたわ。知らない場所、知らない人たち、しかも、男の人ばっかり、本当に心細かった。そんな中にレインニールがたまに聖殿に来てくれて、嬉しかったの」
思い出すのは陛下がまだ、聖女王候補だった頃。
聖殿の片隅で、環境になれず試験の経過も今一つの彼女は沈んだ顔で佇んでいた。
すでに研究員として聖殿に出入りを許されていたレインニールは、仕方なしに声をかけたのだった。
「だからね、試験中、レインニールは私付きの研究員に任命します!」
高らかに宣言して、今までしょげ込んでいた表情が一変する。
聖女王権限で、強制的に試験に巻き込むらしい。
レインニールは額を押さえ、リウはやれやれと肩をすくめた。
「あの、陛下。わたくしにも職務がありまして…」
「補佐ならいるじゃない」
そういってリウを見る。
「そのための、リウでしょ?ねぇ?」
陛下に詰め寄られて、拒否できるほどリウの神経は図太くない。
だが、簡単に承諾してよいか分からず、レインニールに助けを求める。
「陛下」
暫く、空を見上げたレインニールはやや冷たい声で呼びかける。
「こちらに来ることを誰かにお話しされましたか?」
「え?その…」
突然、陛下は挙動不審となり、視線をさ迷わせる。
「手紙を置いてきました」
ため息を長く吐いてレインニールは小さく頭を振る。
「陛下。いつまでも候補者気分ではいけません。周りの者も困っていることでしょう」
思い当たることがあるのか、ぎこちなく笑ってごまかそうとする。
「だって、そうでもしないとレインニールとお話しできないって思ったから」
リウは視線の先に、カフェテリアに入ってくる女性の姿を認めた。
ややきつい印象のあるその瞳がこちらに向くと、猛烈な勢いで近づいてくる。
「陛下!勝手をされては困ります」
「あ、アデライド、ごめんなさい」
アデライドと呼ばれた女性は肩を怒らせて陛下にのしかかる様にお小言を続ける。
止めどとなく言葉が紡がれるが、始終その口調は上品であり陛下に対して慇懃なものであった。
それを横目で見ながら、レインニールは焼き菓子を口にする。
すぐ傍で厳しい言葉が飛んでいるのを聞きながら食べるのは、あまり嬉しいものではないと思った。
「どうするんですか、レインニール様」
リウがうんざりとした表情で身を乗り出す。
あまりのアデライドの剣幕にカフェの客たちも何事かと注目している。
事態を収拾させる気がないらしいレインニールをリウは視線で責める。
「リウ、申し訳ないんだけど」
口調から、彼女が謝っているのは状況に対してではなかった。
「分かっています。留守の間はお任せください」
レインニールは責任者でありながら、留守をすることが多い。そこを補うために通常は置かれない補佐役が作られた。それがリウである。
権限は同等、実際の取りまとめを担うことがほとんどである。
本部会議もリウが出る。
だからと言って、レインニールが遊びまわっているわけではない。
陛下からの要望や依頼を受け、独自に動いているらしい。
全て陛下からとは限らないこともリウは知っている。
賑やかな午後であった。
リウはレインニールが不在の間、どう支部をまとめようか思案することにした。
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訪問ありがとうございます。
暫く不定期になります。楽しんでいただけたら幸いです。
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