そちらがその気なら、こちらもそれなりに。
三日月三歩
婚約破棄と、断罪。
「アレクシア・ルステンバーグ!
私は貴様との婚約を破棄することをここに宣言する!
そして真実の愛に目覚めた私、ヘイリー・リヒャルド・ステイルフォードは、ここにいる子爵令嬢のルイーズを婚約者とすることを、この場を以て宣言する!」
王立学園のダンスホールより数段上がった舞台上からそう高らかに宣言したのは、アレクシアの婚約者でこの国の第一王子であるヘイリー・リヒャルド・ステイルフォード。
そんな彼の胸に寄り添いながら震えるのは、彼との恋を噂されている子爵令嬢のルイーズ・オブライエン。
ピンクハニーのフワフワの髪にチョコレート色の大きな瞳、華奢で小柄な彼女は、密かに学園内で行われている投票で『 守ってあげたくなる女性ナンバーワン! 』の称号を戴いている。
片や今まさに婚約破棄を宣言され、ダンスフロアで真顔で壇上を見上げているアレクシアは、ルイーズとは対照的に青みがかった銀のストレートヘアにコバルトブルーの深い青の瞳。
誰もが羨むボンキュッボンの学園一の才女は、『 踏んで欲しい女王様ナンバーワン! 』の称号を獲得していた。
「他に想う方が出来たから、婚約を破棄したいというのは理解いたしました。
しかしながら、このような場所で見せしめの様に婚約破棄を突き付けるのは、如何なものかと思いますよ、殿下。
婚約破棄をしたいのであれば、王宮に呼び付けるなり我が家に来ていただくなりして、お話し下されば良かったのに……。」
やれやれといった感じで溜め息を吐くアレクシアからの最もな言葉に、彼女から数メートル離れた場所から事の成り行きを見守っていた他の生徒達は一様に頷いていた。
今は王立学園の卒業パーティの真っ只中。
ヘイリーは卒業生代表としてその開会宣言を行う予定だったのだが、彼は何をとち狂ったのか、恋人であるルイーズや側近達と共に壇上に上がり、司会の男子生徒からマイクをひったくるや否や、いきなり婚約破棄を突き付けたのだ。
そんな奪い取らなくても司会者はマイクを渡したというのに。
「そのように今更しおらしい態度をしても無駄だ!
お前がルイーズにしてきた数々の悪事は、全て日の元に暴かれるのだ!」
「覚悟することですね。」
「この世に滅びない悪はない。」
ヘイリーの言葉に続き、側近である宰相の息子・セドリックや騎士団長の息子・ニコラスが不敵な笑みを浮かべている。
それを見たアレクシアは静かに溜め息を吐いた。
「わたくしがそちらにいるご令嬢を虐めていた……。
そうおっしゃるのですね?」
「そうだ!証拠はすでに上がっている!」
「自らの罪を認めてください、アレクシア様!
そうすれば私は……ヒッ!
に……睨むのはやめてくださいっ!」
アレクシアを指差しながら声を荒らげるヘイリーから視線を外して、罪を自認しろと言うルイーズを見ると、小さく悲鳴を上げて怯えたようにヘイリーの胸に顔を埋める。
それを慰めるようにルイーズの背を撫でながら、ヘイリーはキッと眉を吊り上げた。
「そうやってルイーズを睨み付けても無駄だ!
お前がどれ程ルイーズを迫害しようと、私が必ず守ってみせる!」
「私は別にルイーズさんが話してるからそちらを向いただけで、睨んでなどおりませんが……」
「嘘を吐くな!お前が睨んでないのであれば、何故ルイーズはこのように怯えている!?」
アレクシアがいくら言っても、ヘイリー達は聞く耳を持たない。
まるで姫を護る勇敢な騎士のような芝居じみた態度に、アレクシアはうんざりした。
「では、そのわたくしがルイーズさんを虐めた証拠とやらをお見せいただけますか?
このような場所で断罪なさるのですから、もちろん証拠がおありなのですよね?」
「もちろんだ!
ここにいる卒業生諸君にも、如何にアレクシアが卑劣で卑怯な人間か見てもらおうではないか!」
その言葉に辺りが一気にざわめき立つ。
「で・す・が、その前に。
まずはこちらにサインしていただきましょうか。」
そう言って宰相の息子・セドリックが壇上から悠々と降りてくる。
その手には三枚の丸めた羊皮紙が握られていた。
「そちらは?」
「これは婚約破棄に対する同意書です。
法務省で保管するものと、お二人がそれぞれ保管する用です。」
手渡された紙を確認すると、そこには既にヘイリーのサインがされていた。
ご準備のよろしいことで、と笑いそうになる。
「万が一にも逃げられたら困りますから、今すぐこちらにサインをしていただきたい。」
セドリックが横目で見ると、彼の侍従と思わしき男性がササッと記名台とペンを持って来る。
これまたご準備のよろしいことで、とまた笑いそうになるのを堪え、アレクシアはその台の上に羊皮紙広げると、三枚の羊皮紙に自らのサインをした。
「これでよろしいかしら?」
書き終わった羊皮紙をセドリックに渡すと、彼がサインを確認する。
それを見たセドリックは、ニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
「ヘイリー殿下、サインは間違いなく。
法務省の文官の立会いの下、正式な婚約破棄の手続きがされましたことをここに宣言いたします!」
セドリックの言葉にヘイリーとルイーズは満足そうに顔を見合せた。
侍従だと思っていた彼はどうやら法務省の職員だったらしい。
彼はセドリックから書類を受け取ると、そのまま広間の壁際へと下がった。
「これでもうお前と私は婚約者ではなくなったな!」
ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべるヘイリーの胸元に顔を埋めているルイーズが、薄らと勝ち誇ったように笑っている。
そしてセドリックがまた壇上に戻ると、ヘイリーが横に控えていた自らの侍従を呼ぶ。
その手には大きな箱が抱えられている。
「さて、これから皆に見てもらいたいものがある。」
そう言ってヘイリーが箱から取り出したのは、ビリビリに破かれたノートだ。
「アレクシア、これに見覚えは?」
「全くございません。」
「これは、ここにいるルイーズの詩の授業のノートだ。
何故こんなにも破れているか?
それはお前がルイーズへの嫌がらせに破ったからだ!」
ヘイリーはそのノートを高らかに持ち上げると、一段と声を張り上げた。
その言葉に辺りが騒然とする。
「身に覚えがございませんわね。」
「嘘を吐くな!
お前は私の寵愛がルイーズに向いたこと、それに彼女の詩の才を妬んで破り捨てたのだろう!」
「陰で私の悪口を言ったり、お茶会に招待しなかったり嫌がらせされるのはまだ我慢できました!
でもいくら私が妬ましいからって、頑張って作った詩のノートを破るなんてあんまりです!」
わっと顔を覆って泣き出すルイーズを、ヘイリーが抱き締める。
そして思いっ切りアレクシアを睨み付けた。
「アレクシア、お前は先程身に覚えがないと言ったな?」
「はい。」
「だが証人がいるとしたら?」
ヘイリーの言葉に舞台の袖から一人の少女が歩いて来る。
焦げ茶色の髪を両サイドで結わえた気の弱そうなその少女は、騎士団長子息のニコラスに促されて中央まで来ると、緊張した面持ちでヘイリーに向かってカーテシーをした。
「まずは君の名を聞こう。」
「は、はい。わたし……わたくしは、ワーズナー男爵家のキャスリーンと申します。」
「君はこの破られたノートに見覚えはあるかな?」
おどおどと名乗るキャスリーンに、ヘイリーは優しく破られたノートを見せる。
するとキャスリーンは逡巡した後、意を決した様に前を向いた。
「こ、これは公爵令嬢のアレクシア様が破っていたノートです!」
この発言に静まり返っていたホール内が一気にどよめき立った。
辺りからは驚きの言葉が次々に飛び交っている。
「なるほど。このノートをアレクシアが破っていた、と。
その時のことを話してくれるね?」
ヘイリーの言葉に、キャスリーンは静かに頷いた。
「ちょ、ちょうど三ヶ月前です。
新学期に入って卒業パーティのダンスの練習が始まった時でした。
初めてのダンスの練習の日に私は練習中に髪を結ぶためのリボンを忘れてしまい、急いで教室に取りに行っておりました。
私とルイーズさんは隣のクラスで、その、ルイーズさんのクラスの前を通った時に、同じくダンスの練習で誰もいなくなった筈のルイーズさんのクラスから物音が聞こえました。
わたくしはどなたかがいらっしゃるのかと思って、後ろのドアからクラスの中をこっそり覗いてみました。」
「そこには誰がいたのかな?」
「そこには、その……」
「アレクシア様がいた、と。」
もじもじとアレクシアの方を見るキャスリーンに代わってセドリックが答えると、彼女は辛そうに眉を下げたまま頷いた。
「アレクシア様は……その……とても怒っていらっしゃるようで、鬼の様なお顔でノートを破っていらっしゃいました。」
「その後君はどうしたのかな?」
「わ、わたくしは恐ろしくて!
急いでリボンを取るとダンスの練習に戻りました!」
怯えたように下を向いてしまったキャスリーンにヘイリーが礼を言うと、彼女は後ろへと下がった。
「この様に目撃者もいる!
それでもまだやっていないと言えるか!?」
「わたくしは身に覚えがございません。」
キッと目を吊り上げたヘイリーに、悠然と答えるアレクシア。
それでも証人が出て来た以上、周りの雰囲気はヘイリー達に傾き始めていた。
「それで?
証拠や証人はこれだけですか?」
「アレクシア様!
どうか罪を認めてください!
今ならまだ、謝ったら許してあげますから!」
胸の前で祈るように手を組んだルイーズが一歩前へと出る。
その大きな瞳に涙を溜めて輝かせ、まるで悲劇のヒロインのようだ。
「ですから、わたくしは身に覚えがないと、そう申しております。」
「往生際が悪いぞ、アレクシア!
まあいい、証拠は他にもある!」
そう言ってヘイリーが箱の中から取り出したのは、水色のドレスだった。
「アレクシア!これに見覚えは!?」
「ございません。」
「ああ、そう言うと思ったよ!
これはお前が嫌がらせにインクをぶちまけたルイーズのドレスだ!」
ドレスを広げて高らかに持ち上げると、黒い大きなインクの染みが見える。
人の頭程の大きな染みは、拭き取ろうとしたのか所々掠れて伸びているようだ。
「この……ドレスは……、亡くなった私のお母様の形見のドレスですっ!」
アレクシアを睨み付けながらその大きな瞳からポロポロと涙を零すルイーズに、一気に同情的な視線が集まる。
そしてそれとは反対に、アレクシアには突き刺さる様な批難の視線が集まった。
ルイーズの母親は貴族ではない市井の出で、子爵であったルイーズの父親とは籍を入れていない。
ルイーズの母親はいわゆる愛人というやつなのだが、女手一つでルイーズを育てていた母親が五年程前に亡くなり、その後父親である子爵が、本妻が亡くなったのをきっかけにルイーズを引き取ったことから、一時期社交界で話題になっていた。
その母親が子爵と出会ったパーティで着ていた思い出のドレスが、そのインク塗れのドレスなのだそうだ。
「このドレスはっ、亡くなる前にお母様が私にくれたものですっ!
お父様との思い出のドレスだから、いつかあなたも好きな人と踊る時には、これを着てねって!
私は……私は……これを着て、ヘイリー様と踊りたかった……!」
ヘイリーから受け取ったドレスを抱き締めながら肩を震わせるルイーズに、周りからも涙を堪えるような声がする。
「ルイーズ……。
もちろん、これにも証人がいる。」
「左様ですか。」
「こちらに来てくれ。」
重苦しい空気が漂う中、心痛な面持ちのヘイリーが舞台袖に手を差し出すと、そこには凛と前を向く一人の美しい女子生徒がいた。
侯爵令嬢のブリジット・テイラー、その人だ。
彼女は静かな足取りで中央まで進むと、ヘイリーに向かって淑女の見本のようなカーテシーをする。
そして壇上から強い瞳でアレクシアを見下ろした。
「ブリジット、よく来てくれた。」
「礼には及びませんことよ、殿下。」
大物の登場に一気に場がざわついた。
「まずはブリジット、こちらのドレスは知っているか?」
「はい。そちらにいらっしゃるルイーズ・オブライエンさんのドレスです。」
「間違いはありませんか?」
セドリックの確認の言葉に、ブリジットはしっかりと頷いた。
「わたくしはルイーズさんがそちらを着ているところを見たことがあります。」
「それはいつのことか覚えていますか?」
「はい、あれは今から一ヶ月前のことです。
私は実家の所用で授業に遅刻してきたのですが、廊下でこのドレスを着たルイーズさんと擦れ違いました。
ルイーズさんはダンスの練習に向かう途中だったようですが、ダンスの練習は学校指定の練習用のドレスを着ますでしょう?
ルイーズさんだけが普通のドレスを着ていらしたから、お尋ねしたのです。」
「彼女はなんと?」
「不注意でダンスの練習用のドレスを汚してしまった、と。
ダンスで使えるようなドレスがこれしかなかったから、代わりにこれを使うことにした、とおっしゃっていました。」
その言葉に、おずおずとルイーズが答えた。
「実は……その練習用のドレスも、気が付いたらインクをかけられていたんです。
前回の練習で着た時にはそんな汚れはありませんでした。
本当はお母様の形見だから本番まで着たくなかったんだけど、仕方なく……。」
ポロポロと零れ落ちる涙をルイーズが手の甲で拭っていると、ブリジットは労わるように肩を撫でながらハンカチを差し出す。
それに小さく微笑むと、ルイーズはお礼を言って涙を拭った。
その姿をヘイリーが優しく見守る。
「それで、その後どうなったのですか?」
「わたくしはルイーズさんと別れて、事務室向かう為に廊下を曲がりました。
そしてしばらくすると、ルイーズさんが歩いて行った方から悲鳴のような声が聞こえてきたので、わたくしは慌てて元来た道を戻りました。」
「悲鳴……ですか。」
「はい。『やめください!』『いやっ!』と何かに抵抗する様な声も聞こえました。
そして到着すると、そこには泣きながら座り込んでいるルイーズさんが……。
わたくしがどうしたのかと訊ねると、泣きながらアレクシア様にインクを掛けられた、と。
見ればドレスには真っ黒のインクが滲んでいて、わたくしは慌ててハンカチを取り出してインクを取ろうとしたのですけれど、間に合わなくて……。」
「なるほど、このインクが擦れたような跡は、ブリジット様がハンカチで拭いて差し上げようとしたものですね?」
「はい。わたくしが慌てて擦ってしまったせいで、逆にインクが拡がってしまって。」
「そんな!ブリジット様のせいではありません!
ブリジット様は私のためにご自分のハンカチが汚れるのも構わず、拭いて下さったんです!」
申し訳なさそうなブリジットを庇うように声を上げるルイーズ。
その友愛に、見守る一同の瞳に温かいものが浮かぶ。
「その時、その場所には誰がいましたか?」
「いいえ。しかし私が到着した時、走り去る靴音が聞こえました。
そして足元にはこの小瓶が。」
ブリジットがポケットから取り出したのは、ハンカチに包まれたインク壺だ。
それをヘイリーに手渡すと、ヘイリーはまじまじとその小瓶を見た後、ニヤッと笑った。
「見よ!新たな証拠が出た!
この小瓶にはアレクシア・ルステンバーグと明記されている!」
その言葉に辺りが騒然とした。
王立学園は全寮制のため、学用品一式は学校から配布されることになっている。
しかし生徒によっては使い慣れた物を別途持ち込んでいる。
アレクシアもその一人だった。
公爵家御用達の商人から仕入れたインクを愛用しているため、それを持ち込んでいたのだ。
もちろん個人の持ち物なので、インク壺にはしっかりとアレクシアの名前が彫り込まれている。
「公爵令嬢であるお前のインクを、しかも名前の彫り込まれている物を他の人間が手に入れることは不可能だ!
そしてこれが公爵家から借りてきた、お前が実際に使っているインク壺だ!
どうだ!これでも身に覚えがないと言うか!」
ヘイリーが自らのポケットから取り出したのは、ブリジットが手渡したインク壺と同じインク壺。
一方は未開封のものなので蓋には未開封のシールが貼られているという違いはあるが、これによって両方が同一のものであることが証明された。
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